須我神社 | 出雲国
御祭神
須佐之男命
奇稲田比売命
清之湯山主三名狭漏彦八島野命
合殿
武御名方命
由緒
当社は古事記(和銅五年・西暦七一二年)に所載の神社です。肥の河上で八俣遠呂智をご退治なさった須佐之男命は、八俣遠呂智の尾から得た霊剣 天之叢雲剣を捧げ持って宮を造るべき良いところを求めて此処に至り「吾が御心清々し」と仰せになりました。この地を須賀といい此処に宮をお造りになり「須賀宮」として奇稲田比売命と共にお鎮まりになりました。また剣はいかにも畏れ多いとお思いになって天之叢雲剣と銘づけて天照大御神様に献上なさいました。その時美しい雲が立ち騰がるのをご覧になって「八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重つくる その八重垣を」と御歌をお詠みになりました。このことから当社は古事記・日本書紀に顕されている「日本初之宮」であり、「和歌発祥」の宮であります。やがてこの宮で御子神がご誕生になり御名を清之湯山主三名狭漏彦八島野命と申しあげます。出雲風土記(天平五年・西暦七三二年)では須我社・須我山 須我小川などの表記があり、賀と我の両様の文字を当てていたものと思われます。また当社の後方二キロ米の所に八雲山がありその山懐に磐座があります。その巨岩は、夫婦岩と称し神社の奥宮として祭祀しております。良縁結び子授けの霊験・御利益があるとして「二宮詣り」の信仰があります。当社の旧社格は県社であり神佛霊場では第十六番の神社であります。
出典:境内案内看板
出雲の起源 和歌発祥の地 八雲山 登山口
八雲山文学碑の径
不老長寿 神泉坂根水
奥宮 夫婦岩
八雲山山頂より