私が社会運動する際に心がけていること、またはどのような動機に基づいて行っているかについて
今回の記事では私が社会運動する際に心がけていること、またはどのような考えに基づいて行っているかについてです。政治に絡むことなので、もしかしたら不快に思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、書かなければと思いますので、ご了承ください。
さて、私の基本的な政治的立場は中道寄りの左派です。私は中学時代、今の立場とは逆の立場にいました。しかし、勉強するにあたって右から左に流れました。勉強した内容は、主に現代文と英語長文でした。なぜ現代文と英語長文を勉強すると、思想が変わるのかというと、もちろんそれらに書かれている文章内容の影響もありますが、一番大きな要因としてはそれらの形式にあるのではないでしょうか。どういうことかというと、現代文や英語長文では、筆者の主張というものがあります。それは、筆者の主観なわけです。主観表現がきたら、基本的には論証がなされるわけです。自然科学や社会科学の場合では、政府や学術機関の統計が客観的な証拠として読者に提示されるわけです。私の場合、現代文や英語長文における論証の必要性によって思想が変わったのだと思われます。
では次に、私の社会運動における簡単な経歴を述べていこうと思います。私は大学時代の大部分をある政治系学術サークルに所属していました。そこで年に2度、機関誌作成に向けて文章を書いていました。このサークル活動に参加しようと決意した動機は、社会思想という授業でカントの啓蒙思想に触れたことです。カントの啓蒙思想を要約すると、1精神の未成年状態からの脱却2理性の公的な使用、この2つに要約されます。カントの啓蒙思想をその政治系学術サークルで具現化できると考え、入会しました。しかし、2021年私が大学4年のころ街頭スタンディングや集会に参加し始めました。以上が私の社会運動における経歴です。
最後に私が社会運動する際に気を付けていること、またはどのような考えで社会運動に参加しているかということについて記そうと思います。それは、他者に自分の思考過程を理解してもらうこと、つまり自分の意見を正当化できるようにすることです。私は、確かにスタンディングや集会に参加する際やツイッターで意見を発信するときは、ある何かしらの主張しかしません。というのも、スタンディングや集会に行くという行為またツイッターで意見を発信するという行為は、私にとって、自分の意見を誰かに聞いてもらう・みてもらうためだからです。しかし、そのような場合であっても、どうして私はこのような意見を持ったのか、どのような理論で私は自分の意見を正当化することができるのだろうかということを意識するようにしています。現代文や英語長文と同様です。これらには主観に対して論証がなされます。自分の意見を正当化することができたという点において、私は、先に述べた中央大学の政治系学術サークルに所属していたことをうれしく思っています。