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躓きながらでも

明けましておめでとうございます。
新しい一年が始まりましたね。
このnoteを開いてくださったみなさんは年末年始どのようにお過ごしでしょうか。

私は2024年末、観覧車に乗りました。今回はINIの「Ferris Wheel」に想いを寄せて、観覧車に乗ったときの日記を書きたいと思います。あまりにも自分のことばかりだけど、心動く瞬間にINIの曲が側にいてくれたことが嬉しかったから!

⚠️INIと出会う前からのリアル日記を読み返しながら書きました。自我がかなり強いというか自我しかありません。耐えられないかも!と思ったらどうか心を守って遠慮なくページを閉じてくださいね。




私が住んでいるこの街の中心街には観覧車がある。デパートの屋上にある観覧車。少し離れた場所からでも見えるぐらい、私にとって、とても大きい観覧車だ。

年末、友だちがこの街に遊びに来てくれた。別の界隈で知り合ったけど、今はINIのことを一緒に応援している友だち。出会って以来年末に会うのが恒例になっている。(うれしいね)

「いつかUSJ行きたいよね」
「絶叫系乗れないかも」
「高い所がだめなの?」
「え〜どうなんだろう」
「観覧車、乗ってみようよ」

そんな会話をしながらこの観覧車に乗ることにした。

この観覧車のゴンドラは2種類ある。
通常のゴンドラと、360度透明なシースルーのゴンドラ。

私たちはシースルーのゴンドラを選んで乗ることにした。
「やばいやばい、Ferris Wheel流さないと。」


この観覧車、年末以外にも乗ったことがある。初めて乗ったのは確か9年前。

この街は私の地元ではない。
9年前、当時高校生だった私は、初めて来たこの街で、初めてこの観覧車に乗った。

そのとき一緒に観覧車に乗った友だち。この子も共通の趣味で繋がった友だちだ。この子に会うためにこの街まで遊びに来た。

「ここの観覧車、誕生月は無料で乗れるんだよ。」
「シースルーのゴンドラがあってね、結構怖いの。」

そんなことを教えてもらいながらデパートの屋上へと上がっていく。私と友だちは「せっかくだから」という理由でシースルーのゴンドラに乗ることにした。

「あの学校ってなんて名前なの?」
「〇〇ちゃんの家はここから見える?」
「結構高いねー。」

私は観覧車に乗りながらそんなことを言っていた。そんなことを言いながら乗った観覧車は妙に遅く回っているように感じた。


私は元々あまり観光に行かない。どちらかというとインドア派で、家でのんびりしていたい。

観光名所といわれる綺麗な景色を見ても「きれいだね〜」で終わってしまう。どちらかというと景色よりも早くごはんが食べたい。

そんなことを思うたび「私はあまり感受性がない人だ」と自分を型にあてはめる。

でも、だけど、9年ぶりに乗ったこの観覧車で私は泣きそうになった。

私が地元からこの街に引っ越してきたのは6年前。進学のため、これからこの街に住むことになる。9年前この街に住んでいた友だちは、私の趣味も友だちの趣味も変わり、すっかり会わなくなっていた。

ひとりぼっちだ。ゼロから始まる。
空っぽの部屋を家具で埋めながら、確かにそう思った。

家から外へ出てみる。まったく道が分からない。でも学校へ行かないと。スマホに地図を表示させながら少し歩いてみる。どうにも居心地が悪い。地元よりも道が細く感じる。学校まで徒歩〇分って聞いていたはずなのに、歩いても歩いても辿り着く気配がない。距離としては近いはずなのに、はるか遠い道のりに感じた。

“がむしゃらだったあの頃の僕は”

進学をきっかけにこの街へ来て、この街で生活をしているうちに夢を見つけた。

夢を叶えるためには、私にとってたくさんの勉強をしなければいけなかった。今思えばまさに”がむしゃら”。そして、そんな私の姿を見て学校の友だちや先生は「地元には帰らないの?」と聞いてくれた。私はそう聞かれるたび「帰らないよ。」と答えていた。

結果として、頑張った甲斐か運なのか、夢を叶えることができた。

またこの街で新たなスタート。

桜の咲く4月、私は希望を抱いて初めて職場へと向かう。が、所属することになった部署は私の希望通りの部署ではなかった。

私が所属することになった部署は覚えることがとてもたくさんある。覚えることは苦手だけどパターン化は得意だからきっと大丈夫。これとこれは似ていて、これとこれは違う。効率、効率、効率。効率よく覚えなきゃ。

数ヶ月後、なんとなく仕事が頭に入ると独り立ちデビュー。早速お客さんが私の窓口までやってきた。私の名札には研修中のシールが貼られている。だけど窓口に来たお客さんは私がすべてを知っている前提で話しかけてくる。どうやらそれが社会人の責任ということらしい。

束の間の沈黙。

惨敗だ。心の中で白旗を振る。どうすればいいのかわからない。誰か助けて欲しい。顔が熱くなってきて、涙が出そうになるのをぐっと堪える。覚えたはずのことも出来なくて自分のことが情けなくなってくる。お客さんが心配そうな顔でこちらを見ている。

「分かんないよーーー……」

小声でそう呟きながら、でも忙しそうな先輩に助けを求める勇気もなくお客さんにも迷惑をかけてしまった。

その日の仕事終わり、私は誰にも見つからないように初めて職場でぽろぽろ泣いた。

「できなかった、悔しい」と思いながら、いつもの倍の時間をかけて、力なく、よぼよぼ自転車を漕いで帰った。

「明日も仕事だ。」
そう思いながら、助けを求めるようにイヤホンを耳につけ、そのままうとうと眠りについた。

“嫌でも明日はまた始まるから”

人は慣れを覚える生き物だ。

さらに数ヶ月後、私も仕事に慣れてきた。
職場で泣くこともなくなった。お客さんに尋ねられたことも大抵答えることができる。

いつの間にか後輩もできた。

「お客様にこう聞かれたらこうしてみてね。分かんなかったら、また聞いても大丈夫だから。」

ついこの間まで大学生だったのに、まるですべてを知っているかのように仕事を教えることだってできる。

ある日、いつものように窓口で接客をしていると突然お客さんから質問をされた。

「仕事って楽しい?」

話を聞いてみると、どうやらこのお客さんは高校生で卒業したら就職をするらしい。

私は突然の質問に動揺した。聞こえてくるとしたらドキリという鈍い音。

数秒の間、戸惑う。「仕事は楽しいよ」と即答できない自分が、なんだか間違っているように思えて自分を責めたくなった。

でも、それと同時に私は嬉しかった。目の前の人が「仕事をしている私」ではなく「私」に質問をしてくれていることが、親しげな声色で分かったから。

結局私は「まあ、日によると思いますよ」と誤魔化すように答えた。まあ、なんて頼りなくてそっけなくておもしろくない答え。もしかしたらがっかりさせてしまっただろうか。


あのとき咄嗟にそう答えたけど、今振り返ってもこの答えは嘘じゃなかったと思う。今同じ質問を聞かれてもきっと同じ答えを出す。

私の仕事は基本毎日同じことをする。どんなお客さんが来ても対応に困らないよう年に数回改正される綿密なマニュアルがある。そんなマニュアル通りの仕事。繁忙期は感情を殺し、お客さんにどれだけ怒られても笑顔を浮かべ、機械のように働く。楽しいと思う日はあまりない。

でも、そんな変わりない日々を過ごしている中でも突然こんな質問をされる日がある。わたしはこの日「今日、楽しかったな」と思った。帰り道、いつもより力強く自転車のペダルを踏む。信号待ちの時間、徐々に暗くなっていく空を見ながら頼りない回答をしてしまったことを少し悔やむ。そして、心の中で「でも、楽しいと思える日がちょっとでも多かったらいいですよね」と付け足した。そう、今日みたいに。



この観覧車はいつも変わらない速度で回っている。一周大体15分。私がこの街に初めて来た日も、この街に引っ越してきた日も、仕事をしている日も、友だちと遊んでいる日も、落ち込んで泣いてる日も、嬉しくて笑ってる日も。わたしがこの街に来る前も、そして今も、これからも。

9年前、初めてこの観覧車に乗ったとき、シースルーのゴンドラに揺られながら見知らぬ土地を物珍しそうに見ていた私。

そして年末、見晴らしの良いシースルーのゴンドラに乗って、この街を見渡してみる。すると、意識していなかったけれどいつの間にか思い出になっていた思い出たちが、待ってましたと言わんばかりに「ここでこんなことがあったよね」と私に話しかけてくる。

ゼロから始まったと思っていたはずなのに、自分でも気付かないうちに日々がこんなに積み重なっていた。私はそれを希望だと思った。たとえどんな1日だったとしても、私たちは無意識に絶えず呼吸をしている。浅い呼吸のときもあれば、深呼吸をした日もある。あのとき吸って吐いた息は、ずっとその場所にいてくれてる気がした。

観覧車がてっぺんから地上へ降りてくるとき、さっきまで見えていた思い出たちがまた見えなくなっていく。この感情も、日常に溶けて眠りにつく頃、私はきっとまた忘れてしまう。

でも、”必ず明日はまた始まるから”


「初日の出は海で見たいかも。」

友だちの言葉に「わたしもそうだな」と思った。だって、ゴンドラの中から見た太陽が、燃えながら地平線に沈んでいくあの太陽が、あまりにも綺麗だったから。

“Life is like a Ferris Wheel”

また新しい一年が始まります。
変化のない日々も、苦しい日も、楽しい日も、何も感じられないような日も。時間は止まってくれません。一日が遅く感じる日もあれば、早く感じる日だってある。でも、変わらず、どんなときだって、私たちには朝がある。どんな気持ちで迎えたとしても、朝の日差しは私の今日を訪ねてくれる。

2025年、一体どんな一年になるでしょうか。

どうかこの一年が、みんなにとって穏やかで幸の多い一年となりますように。


そして京ちゃん、りーくん、INIのみんな、素敵な曲に出逢わせてくれてありがとう。
こみそかでFerris Wheelを披露してくれてとても嬉しかったよ〜!特別な日も、当たり前だと思ってしまうような日常も、いつも側で寄り添ってくれてありがとう。今年も、誰よりも光り輝く11の一番星たちをたくさんたくさん応援できますように!


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