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【NAYUTA:東京電脳R 】世界観#5 - Eyes【考察】

はじめに

本noteでは、NFTアートプロジェクト「NAYUTA:東京電脳R」の世界観・設定・ストーリーについて考察していく。
本noteに記載する内容は、あくまで一個人の解釈なので、ご認識のうえ、お楽しみいただけば幸い!
本noteは10/17(月)に公開された「世界観#5 - Eyes【」について考察する。下記noteで公開されているので、本記事を読む前にてチェックしていただきたい!


考察

今回は、NAYUTA:東京電脳Rに登場する3つの思想のうちの1つ、"Eyes"について明らかになっている。
アートでは、ロボットやアンドロイド・ガイノイドっぽい見た目のキャラクターが多い"Eyes"はどのような思想なのだろうか。

人間が人間らしく生きる姿を体現する"Eyes"

考察当初では、AIによる統治・監視機構のようなものかと思っていた。
実態は、仕組みであり、ライフスタイルのようなもののようだ。
私からすると、POPEYEでみるひとたち、みたいなもんだろか。
一種のエリート層のようにも感じる。

人間(というか生物)は、一個体が種のための最良の行動をとれるわけではない。
その性質が、今から70年たったところで、大きく変わるとは思えない。
一個体が、腐らずに生きられたり、 世界をより良くするために行動する
ようになるには、なんらかの仕組みが必要である。
それが、オカモト財閥では、
「努力に見合った報酬と裁量を与えられる評価制度」として
実現されているのかもしれない。
評価制度だけでは、不十分な気がするので、想像してみると、
・適切な努力ができるようなリファインプログラム
・適性を診断し、適性にあった学習のできる教育プログラム
・生活圏全体での行動監視システム
・個人の行動の集計による「個人の信頼の数値評価」
・SNSのように個人の信頼を参照できるシステム
・自分の思想・行動がオカモト財閥の目指す未来と合致するかを評価するシステム
などが、NAYUTAの世界には実装されていそうである。

"Eyes"になれるもの、なれないもの

Eyesは、オカモト財閥の一構成員である、ということである。
世界のオカモト財閥ということは、NAYUTAの世界のキャラクターは
全員がEyesなのだろうか。当然違う。
Eyesになれるもの、なれないものがいるのだろう。
Eyesになれるものは、
例えば、両親がEyesで、オカモト財閥系の学校で教育を受け、
オカモト財閥系の会社に就職できた人間だけなのかもしれない。
(人間、ということも重要か。。。)
両親がおらず、ずっとスラムでその日暮らしを続けている人間が
Eyesになるチャンスは与えられているのであろうか?

ロボットは人間のように幸福を追求できるのか?

"Eyes"は人間が幸福に生きるための仕組み・ライフスタイル
というように解釈しているが、
ジェネシスアートにはロボットのキャラクターが多く登場する。
彼・彼女らは、いわゆる"Eyes"として一般大衆から羨望の眼差しを
向けられる存在なのだろうか?
おそらく違うだろう。
彼・彼女らは、一般大衆のいう"Eyes"を支援したり、間引いたり、する
存在なのかもしれない。

一般大衆が、人間ではなくロボットなのだとしたら・・・?
彼・彼女らも、もしかしたら他のロボットたちから羨望の眼差しを
向けられているのかもしれない。
だが、ロボットやAIは幸福を感じるのだろうか、
幸福を感じるのだとして、それはどういう瞬間なのだろうか?

おわりに

当初のイメージと全然違った"Eyes"。
ただ、明かされた設定とジェネシスアートの関係性が
少しばかり謎である。
ジェネシスアート#2や#6のような、一見ロボットに見える
キャラクターが、Eyesの中でどのような役割を持っているのか
考えたい。
Discordのlabo-storyでも聞いてみよう・・・。


TOKYO_DENNOU_R #002


TOKYO_DENNOU_R #006


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