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阿野全成伝―秘伝外伝2023ー2024

阿野全成伝外伝第弍巻 2023年6月 第3回阿野祭(天候不順のため中止)向けに発行

闇に消えた河内源氏「悪禅師」の名をもつ男
智謀を尽くし、美貌を持ち、攻防に優れる
源氏最強の男
わが子を思い、助けを求めたのは
最愛の好敵手、梶原平三景時
鎌倉幕府の重要な陣所兵站の地
阿野の地でふたりは何を思う
「嚆矢の一冊」に続く、第2 弾!

阿野全成伝外伝第弍巻

「北条時政の黒衣の軍師」阿野全成と
「頼朝が最も信頼した参謀」梶原景時――
歴史の影に隠れた2人の知将が織りなす、
絆と葛藤の物語がいま明かされる。

源氏の未来を担う息子たちを巡る全成の親心と、
景時の覚悟が交差する中、迫り来る運命の影。
果たして、父として、武士としての選択は何をもたらすのか――。

📖 スピンオフ小説!『雪の貴公子』の原点となる
本作をもとにした『雪の貴公子』では、梶原景時の知られざる人間味と阿野全成との絆がさらに深く掘り下げられています。


📌 『阿野祭』と小説冊子について
2022年の「鎌倉殿の13人」をきっかけに、
毎年6月23日の阿野全成法要にあわせ「阿野祭」を開催しています。
祭では無料配布してます冊子『阿野全成伝外伝第弍巻』に、
この物語が収録されています。
無料なので、入手できるチャンスがございましたら
ぜひ手にお取りください。

2025年の第4回阿野祭は6月22日を予定!


建久3年(1192年)、11月下旬、全成は阿野館の縁側で思いに沈んでいた。今は阿野上総とよばれる半僧半俗の中途半端な立場である。
鎌倉の地は新たな時代の幕開けを迎えていた。兄頼朝が征夷大将軍に任命され「御所様」と呼ばれている、同年9月、のちの三代将軍実朝こと千幡が生まれ、妻のたもつは阿波局の名で乳母(めのと)として三郎と四郎とともに鎌倉の館にいる。
浮島の湖からの冬を知らせる風で久しく伸ばした黒髪が背中になびく。
「翠雲(すいうん)…、太郎のことがわからぬ。」
阿野全成の長男、翠雲(すいうん)こと阿野太郎は、治承5年(1181年)生まれの、11歳である。少し耳が不自由で言葉少なく寡黙であったが、その目には常に鋭い光が宿っていた。頭脳は明晰で、どんな問題も一瞬で解決する。ゆえに聞こえずとも幼い頃から周囲の人々に頼られ、それが彼のプライドをさらに高める結果となったのだろう、太郎は耳が不自由であることによる困難を感じつつも、自分の内に秘めた力を積極的に誇示することを好んだ。
全成はそんな聡明な太郎の将来を案じ、なるべく早く仏門にいれようとした。家督は、和田小太郎義盛に教育をお願いした一つ下の次男の阿野次郎こと藤(とう)雲(うん)に与える。だが、太郎は幼時より仏門の道に強い抵抗を示した。例えば京より旅僧が訪ねてくると即座に姿を消した。彼の態度には一種の冷たさがあり、周囲との距離を感じさせた。年を重ねるにつれ、静かに内に秘めた不満が増幅され、近頃は大人たちの期待に応えることそのものを拒むようになっていた。
ある日、太郎は庭で一心不乱に矢を作っていた。父である全成が声をかけた。が、太郎は一瞥もせずに作業を続ける。全成はため息をつき、太郎の肩に手を置いた。その瞬間、太郎の目が鋭く光り、全成を見た。
「九郎…!」
かつて仏門に入ることを拒絶し阿野荘に来た同母弟の遮那王、九郎義経と同じ目だった。彼が奥州で亡くなったのは、31歳のとき、3年前のことだ。
「話があるんだ。少し手を止めてくれないか?」
全成は可能な限り優しく言ったが、太郎は矢に目を戻し、返事はなかった。
ある晩、全成はふとした音に目を覚ました。薄暗い廊下を歩き、庭へと続く扉を開けた時、全成の目に飛び込んできたのは信じがたい光景だった。太郎が血まみれになって太刀を洗っていたのだ。ときおりにやりと笑う月明かりに照らされたその姿は、まるで幽鬼のように見えた。
そうだ、あの男。侍所所司の。
混乱しながらふと脳裏に浮かんだのは兄頼朝の親友かつ重要な側近である梶原平三景時のこと、景時は、かつて御家人の上総広常を彼の屋敷で誅殺した。その太刀に付いた血糊を洗った泉が鎌倉にある。その仄聞が太郎と重なり、全成は景時に相談しようと決心した。

全成は鎌倉へ上ると阿波局と共に景時の元を訪れた。愛馬の手入れをしていた景時は全成の顔を見て、何か重大な話があることを察知した。が、いたずらを思いついた子のようにくすりと笑った。
「なんだあ、『悪禅師』殿か、富士の『いい女』期待したのに、残念!」
景時が全成をいじるのはいつものことだ。母常盤の美貌をもつ全成を女神コノハナサクヤビメに例えてのことだ。
「相変わらずお口の悪い方…」
阿波局がむっとした表情で応じる。
「平三殿、実は息子の太郎が…」
全成が重々しい口調で切り出す。
「それは重大な事態…まずは真実を確かめなければ。」
一瞬、顎が外れんばかりに驚き固まった景時は、すぐに真剣な表情に戻った。
「最悪の場合、息子を…」
景時は瞬間目を丸くしたが、眉をひそめ、すぐに全成の続く言葉を制止した。
「そのようなことにならないように、まずは真実を明らかにしましょう。」
景時はまっすぐ全成と阿波局を見る。
「禅師公殿、私、平三にまかせてくだされ。おそらくなにも心配ござらぬ。」
景時は眉間のしわをゆるめ、期待に満ちた子供のような目で話を切り出した。
「『悪禅師』殿、わしが阿野荘に行って調査を行うには、少しばかりのものいりですなぁ。」
困惑の色を浮かべる全成を景時はちゃめっ気たっぷりにさらにいじる。
「場合によっては…馬300に金子追加?いやぁ、少々高いかもしれませんが。いや、むしろお得かも。ははは。」
全成は苦笑いを浮かべながら応じたが、内心ではそんな景時の頼もしさと心づかいに少し安堵していた。

景時は阿野荘に到着すると、すぐに手下たちを使って太郎の行動を監視するよう指示を出した。彼らは密かに太郎のあとをつけ、日々の生活を観察する。数日後、景時は阿野館の全成を訪ねた。手下たちの報告は次のような話だった。
「殿、阿野太郎殿は干し肉を作っています。それも兵糧として保存するためのようです。」
景時は興味深げに頷いた。
「ほう、で?」
「太郎殿は、武芸の訓練を兼ねてイノシシやシカを狩っています。その肉を干し肉にして保存しているのです。」
「謀反の支度か?いや…違うなあ。」
視線の先の沼川に浮かぶ島には、鬼のごとき武者たちに囲まれた少女のような少年がいる。太刀の代わりに棒を振るい、汗とともに絹のような黒髪が舞い踊る。阿野次郎こと藤(とう)雲(うん)である。
「あれは和田殿のところの横山党のもの。もともと木曾殿の部隊の…」
景時はうすら笑いを浮かべる。
「なるほど、なるほど。後継者は次郎殿でほぼ確定か。しかも一歳違いか。」
その夜、東海道に設けた自身の仮屋で景時は密かに手に入れた太郎の干し肉を一片手に取り、口に運んでみた。
「これは…うま!」
景時は思わず感嘆の声をあげ、にやりと笑った。

「太郎殿の行動には、深い理由があるようです。彼は狩りを通じて武芸を磨き、干し肉を作って兵糧として備えています。これはただの反抗ではなく、彼なりの覚悟なのです。」
「覚悟…とは?」
「禅師公殿、親心として、太郎を仏門にいれるつもりだったのでしょう。しかし、太郎は既に一人前の鎌倉武士ですな。彼の気持ちをもとに、将来を考えるべきでは。」
全成は眉をひそめながら、景時の言葉を噛みしめた。
「しかし、彼が安全で平穏な人生を送ることが私の望みなのです。」
景時は深く頷く。
「親の本心はそうでしょう。しかし、その親心ゆえに時には真実から目をそらす。太郎殿がすでに自らの道を選び、その道で生きる覚悟を持って動いていることをまず受け止めることですな。」
全成はしばらく黙り込んだ後、ふっと笑い、ゆっくりと口を開いた。
「私らしくない考えにとらわれていたようだ。彼の意思を尊重し、できるだけ武士としての道を考えてみよう。」
景時は全成の肩に手を置き、励ますように言った。
「禅師公殿、それがまさに親というもの。子供の将来を案じるあまり、時には迷う。しかし、子が自ら選んだ道であれば、その道を共に支えることもまた親の役目。」
全成は景時の言葉に心を揺さぶられながらも、息子の成長と決意を尊重することを決めた。
「ありがとう、平三殿。」

新たな馬を手に入れた景時と全成は愛鷹山の牧場を駆け回ったあと、根方街道を下っていく。柔らかな日差しが水面に反射し、二人の影を長く引く。
「禅師公殿、いい馬だな。今回はこの馬1頭で十分だ。ときどき寒川の私の館にあの干し肉を。あと今後寄った時に便宜を図ってくれると嬉しい。」
景時は思いついたようにさらりといった。全成は笑顔で応じた。
「それならば問題ない。あの干し肉、それほどに美味であったか?」
そうだ、と景時は答える。
「ああ、実に美味であった。」。
二人はしばらく無言で馬を進めていたが、やがて景時がふと口を開いた。
「『悪禅師』殿、静殿の舞を覚えているか?実はわしも若い頃、神前で舞を踊ったことがある。」
「平三殿が舞を?それは初耳だ。」
景時は遠い目をしながら語り始めた。
「ああ、十のときに相模一宮の舞殿で、な。代理で舞った。舞うはずだった若が急病で、な。若の舞は当時相模随一。たまたまわしは好きでまねて覚えていた。秘密裏に教えも受けていた。コノハナサクヤビメだ、富士の『いい女』だ、いうなよ、笑うなよ、このわしが、だ。今は当地でも誰も知らないことだ。」
全成は静かに耳を傾けた。
「きれいだったなあ…若の舞、ほんとに。一生お供したかった。結局、ダメだった。その病で…。わしは十二で初めて人を斬り、それ以来、武者として血で血を洗う人生を歩んできた。」
景時は少し自虐気味に笑った。
「子供たちのためだ。わしは九男一女の父親で、彼らがわしの全てだ。子供たちに何かあれば、生きる意味などないと思うておる。」
景時はふと忘れ去ったはずの昔を思い出すような目で富士を見つめた。
「御所様にお会いしたとき、若につかえていたころの気持ちを思い出した。御所様を守ることが、子供たちを守り、一族同輩郎党を守り、世の乱れを正し、民の生活を安らげること。そのためにわしは『悪』と呼ばれてもかまわん。」
全成は目で応えた。景時は少し言葉を選びながらも、話を続けた。
「禅師公殿、我らはそれぞれの道を歩んできた、共に力を尽くしてまいろう。」
しばらく景時と全成は馬を進め、川を越え浜に出た。荒海の向こうの伊豆半島を見つめながらしばし休息を取った。すると、景時が楽しげな顔で提案した。
「禅師公殿、この阿野荘で巻き狩りの予行をやらないか。実は、富士を舞台に大規模な巻き狩りの計画があるのだ。」
「巻き狩りと…な?」
景時は目を見開いて説明を続けた。
「巻き狩りとは、遊興と軍事訓練を兼ねたものだ。鹿や猪が生息する狩場を多人数で四方から取り囲み、徐々に囲いを縮めて獲物を追い詰める大規模な狩猟だ。もちろん神事でもあり、御所様の威信を示すことになる。実際、これで獣に悩まされる民を助けることもできる。」
「それは良い計画ですね。楽しみであると同時に、武者としての腕も試される場になるだろうし。」
景時は笑みを浮かべながら続けた。
「そうだ。巻き狩りはただの遊びではない。狩りを通じて武士たちの連携や指揮能力を鍛え、戦場のような緊張感を体験させることができるのだ。」
全成は感心して同意した。
「平三殿の計画、実に素晴らしい。私も手伝わせていただきたい。」
景時は嬉しそうに答えた。
「もちろんだ。禅師公殿の腕前も拝見したい。巻き狩りは大いに楽しみであり、実戦さながらの訓練になるだろう。太郎殿の武芸と料理も披露できる。」
はっとした全成は景時を見つめた。
「太郎の料理…とな?」
景時は微笑みながら続けた。
「そうだ。太郎殿の料理だ」
「士気を高めること間違いなし。彼の手料理を皆で楽しむのも一興だ。」
全成は大きく頷いた。
「それはありがたい提案だ。では、阿野荘で巻き狩りの予行演習を設定し、太郎の腕前を披露しよう。」
無邪気に語る景時が駿河湾の西日に照らされると、全成は彼の背をじっと見た。やせた孤独な狼のような華奢な体躯から伸びる浅黒い腕には無駄のないわずかな筋肉が付き、首元から時折白い肌が覗く。それは景時が52年の人生を歴戦の将として生きてきた証であり、遮那王には訪れなかった未来を彷彿させた。

後日、鎌倉の館に来た全成は、阿波局と炉辺に座り、あの出来事を思い起こしていた。全成が穏やかに口を開く。
「平三殿の話、意外な一面を知った。彼があれほどの子供たちへの深い愛情を持っているとは。あのような人間が、武士としても優れた人物であるとは驚かされるばかりだ。」
阿波局は眉をひそめ、少し考え込んだ後に応じた。
「平三殿が愛情深いとは、私にはとうてい思えません。彼は目的のためには手段を選ばない男。疑い深い義兄上(あにうえ)の敵だった男が今は側近中の側近。一番信頼する男。愛情だけでしょうか。」
全成は微笑みながら、景時が昼間話したことを語る。
「あの有名な二度の駆けの話ですか?」
驚いた表情を浮かべた阿波局に全成は相槌を打ち、続ける。
「そうだ。生田の森での戦いで、平三殿はわずかな兵力で大軍勢に押し寄せ、その中でわが子を助けるため二度も命を懸けて敵陣に駆け入った。その想いの深さには心を打たれた。」
阿波局はしばらく考え込み、警戒心を捨てきれない表情で続けた。
「しかし、義兄上(あにうえ)の側近である以上、油断は禁物です。もしかすると、太郎を通じてわれらを探ろうとしているかもしれません…。」
阿波局が寝所に去ったあと、全成は板の間に寝転がり肘枕で考え込んでいた。
「早丸、坊丸。」
天井に声をかけると返事が聞こえる。
「まあ妻(め)のいうことは至極当然。平三殿と太郎をひきつづき頼む。まあ、平三殿はすでにお見通しだろうな。ふふっ。」

阿野館の広間では、全成が太郎に意識づけしようと器用に仕込んだ道具を片付けていた。写経用の紙や筆、経典の本が棚に戻され、剣や甲冑が整然と並べられた。広間に顔を出した太郎が弟のものではないその一式を見た。凍りついた目が解け、喜びを隠せない表情に変わる。
「太郎、阿野の地で巻き狩りの予行演習を行うことになった。お前の日ごろの鍛錬の成果をここでお披露目する。」
全成の言葉に真剣に耳を傾け、緊張した表情がほぐれていく太郎を見て、全成は自らの考えに強い反省の念を覚えた。
「太郎、今までお前の気持ちを理解せずに申し訳なかった。いかに困難があろうともまずはお前が本当に望む道を歩むべきだ。」
全成は太郎の肩に手を置き、その温かい眼差しを向けた。太郎は微笑みながら首を縦に振る。全成は、自分の親心が息子の真実の姿を見失わせていたことに気づき、太郎の武士としての道を全力で支える決意を新たにしたのだった。
阿野館の庭で、冬の冷たい風の中、太郎と次郎の元服の儀式が行われようとしていた。景時が太郎の加冠役となり、厳粛な面持ちで彼に冠をかぶらせた。
「太郎殿、今日よりお前は『頼保』として新たな道を歩むのだ。覚悟を持ち、立派な武士として生きてゆけ。」
太郎は景時の言葉を真摯に受け止め、深く頭を下げた。次郎の元服で加冠役を務めた義盛は優しい笑顔で次郎に向かい、彼の手を取りながら語りかけた。
「次郎殿、今日からお前は『頼高』として、武士としての道を歩め。」
儀式が進む中、全成は兄頼朝から一字をいただいた二人の息子たちを見守り、誇りと感慨に胸を打たれた。祝宴が始まり、太郎と次郎の新たな門出を祝う声が響く。全成は景時と義盛にあらためて感謝の意を示し、家族の絆がさらに強まったことを感じた。
阿野荘に冬の冷たい風が吹き、霜が降りる地面に馬の足音が響く。今日は阿野の巻き狩りの日。景時を中心に多くの武士たちが集まり、狩りの説明が行われている。異父兄の源範頼やその配下の家臣も含め、賑やかな雰囲気が漂っていた。
「太郎、お前の腕前を披露する良い機会だ。しっかりと頑張れ」
鹿や猪が駆け回る中、武士たちは弓や槍で狩りの技術を競った。全成も弓を取る。弓の名手であることは一目瞭然だ。兄範頼ら武蔵からはるばる来た武士団もまた優れた狩りの腕前を見せ、次々と獲物を仕留めていく。その姿に皆が感嘆の声を上げた。太郎もまた、体得した技能を駆使し、見事に獲物を数頭仕留めると、すぐに料理の支度を始めた。鍋や焼き物にする肉をさばく手際の良さは、周囲を驚嘆させるほどだった。
夜、阿野荘では豪華な宴が開かれた。太郎の手料理が主に振る舞われ、武士たちは陽気に酒宴を楽しんだ。景時と全成も笑顔で杯を交わしたが、ふとした瞬間、不穏な予感に互いの目が合った。
視線の先には、笑い声が絶えない中ではしゃぎすぎて酔いつぶれた郎党たちと、彼らを慈母のように世話する範頼の姿があった。
「平三殿、今日は楽しい一日でござったな」
「『悪禅師』殿、そうだな。こんな日が永遠に続けば良いのだが」
その言葉の裏に隠された一抹の不安を、二人は言葉にしなかった。夜の帳が降りた「矢通り」の地で、武者たちが眠りについたころ、来るべき未来への暗い予感が、静かに忍び寄る夜の闇からの悪の気配が、春を待つ夜明け前の阿野の静かな夜に漂っていた。

(了 作:伊東 聰)2024年6月23日初版 第三回阿野祭書下ろし


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