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JeGTヒストリー① 〜何もかもど素人の男がeモータースポーツの大会を作ったお話〜

こんにちは。北浦です。
今回は、僕が取り組んでいるeスポーツ事業の中でも最も注力している「AUTOBACS JeGT GRAND PRIX」に関するお話です。

立ち上げ時の裏側や苦労話、今開催している公式シリーズ、そして今後の展望など、いくつかに分けますが、出来るだけたくさんの方にJeGTの魅力、eモータースポーツの魅力を知ってもらいたいと思いますので、過去の2作よりも長いですが、ぜひお付き合いください。

JeGTとは

JeGTは、一言で言うと
「(サードパーティによる)日本最大規模のeモータースポーツ大会」
です。
※ここで言うサードパーティとは、競技に使用しているゲームタイトルとは直接的に関与していない主催者のことを指します。

立ち上げたのは2019年9月。
最初の大会として「ZERO ROUND @KOBE」を開催しました。
※今回はこのゼロラウンドの開催に至る話が中心です。

そして2020年4月、株式会社オートバックスセブン様とメインスポンサー契約を結び、公式シリーズ「AUTOBACS JeGT GRAND PRIX 2020 Series」を12月から開幕しました。

シリーズは国内トップクラスのグランツーリスモプレイヤー32名がエントリーした個人戦と、プロレーシングチームや自動車関連企業などによる18チームがエントリーした団体戦の2部門で実施。

そして来る6月13日(日)には、業界史上最高となる賞金総額500万円をかけたラウンドファイナルを開催します。

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予選:10:00~12:00 決勝:14:30~18:00
YouTube他で生配信ですので、ぜひご覧ください!

さて、立ち上げからこれまでの約2年間を振り返ると、それはもういろんな苦難や苦悩があり、もちろん歓喜することもたくさんありました。

全くもって道は平坦ではありませんでしたが、いろんな方の支援や協力を得て、なんとかここまでやって来れました。
本当に感謝してもしきれません。

なんせ僕は、それまでモータースポーツの”モ“の字も知らぬ、グランツーリスモは一度もプレイしたことのない、純度100%のど素人だったので。

eGT構想

さて、時は2018年の12月に遡ります。
前回書いた、ウイイレの国体兵庫県予選に取りかかった頃です。

この件での打ち合わせの際、eスポーツ業界関係者のある方(Aさん)と知り合いました。
※今は残念ながらお付き合いが無くなってしまったので、実名は控えます。

当時はゲームのこともeスポーツのことも全くわからない状態。
Aさんに色々と業界のことを教えてもらいながら、僕もAさんの事業を少しずつ手伝ったりと、相互協力の関係でいろいろなアイデアを話し合っていました。

その時に聞いたアイデアの一つが「eGT構想」。

その骨子は、

●あらゆるeスポーツジャンルの中で、レーシングゲームはリアルの操作性に最も近い

●つまりプロレーサーはゲームでも速い

●それならば、リアルのプロとバーチャルのトップゲーマーのガチンコ対決という今までにない大会が実現可能?

「若者が主体だがまだ認知度が低いeスポーツ
✖️若者離れが進むクルマ業界」
このコラボで、互いを補完しあう新たな競技大会を開催すれば、自動車業界を中心にスポンサーも集まる大規模なイベントになる(はず)

というものでした。

これを聞いて僕は素直に「面白い!」と感心したのをよく覚えています。

ですが、前述の通り当時の僕はそれに関する知識も経験も何もないただの素人。

プロレーサーにもトップゲーマーにも伝手があるはずもなく、強いて言えば幼馴染が国産車メーカーのディーラーで係長をやっている、という程度ですw

しかもまだ構想段階で、自分にとっては遠い世界の話でした。

しかしAさんの話は続き、

「国内のアフターパーツ三大メーカーといわれる“トラスト”さんがこの企画に賛同していて、大会やるなら協力すると言ってくれている」

「どうせやるなら、リアルのモータースポーツが絶対にできないところでやる方が話題になるので、有馬温泉でやりたいと思っている」

「大会を取りまとめてくれるイベンターがいないので、協力してくれないか」

との依頼を受けます。

なんでここで有馬温泉??となりますよね。
実は有馬では

「温泉地にeスポーツを普及させよう!」

ということで、2018年にeスポーツ観戦ができるバーができ、

「トレスコルヴォス有馬」

というゲーミングチームも活動しています。

これらの仕掛け人が、有馬の超老舗旅館「御所坊」の専務で、JeSU兵庫の副会長でもある金井庸泰さん。
「御所坊」の創業はなんと平安時代後期だそうで、30何代目(!)かにあたる金井さんはなんというか、一般人とは違う貴族的な落ち着いた雰囲気が常に醸し出されてます。

ぜひ有馬に行った時は金井さんに会ってみてくださいw

金井さんと僕はもともとの仕事で関係がありまして、例のウイイレ兵庫県予選を一緒にやることとなり、金井さんからAさんを紹介してもらった、という流れなのです。

そんなこんなでAさんや金井さんと一緒に、有馬でのeGT開催に向けた打ち合わせが始まりました。

温泉地でモータースポーツとは、確かに聞いたことがないですよね。

しかも有馬という全国区の温泉地ですから、話題にもなるし、出場選手もレース後は温泉と美味しい食事を堪能、みたいな魅力的な感じになるなぁ、なんて思ってました。


ですが、割と早くにその有馬会場案は諦めることとなります。

その理由は

「車両の展示スペースが取れないこと」
「屋内で相応の広さの会場がないこと」

でした。

リアルとバーチャルの融合を売りにするので、実車(レーシングカー)の展示が必須ということだったのですが、有馬温泉の地形は入り組んでいて、道幅も広くないので車両展示はかなり厳しく、また屋内の会場もなかなか条件に合うところがなかったため、やむなく違う会場を探すことになったのです。

しかし、当時はオフラインありきでしたが、今となってはオンラインが主流ですから、ひょっとすると今後有馬や全国の温泉地を繋いで「温泉地対抗24時間耐久レース」みたいなこともできるかもしれませんね。

交代したドライバーは温泉で疲れを取れる、という夢の24耐になるかもしれませんw

さて、そんなこんなで次の会場候補として白羽の矢が立ったのが僕の地元、六甲アイランドでした。

有馬ほどの話題性は作れませんが、会場となった「神戸ファッションマート」にはアトリウム広場があって車両展示も可能と、要件を十分に満たしていて、僕の地元なので色々と融通が効くということもありました。

ちなみに、これが確か2019年の5月後半ごろ。
ちょうど今(執筆当時)から2年前ぐらいですね。

うーむ、あれから色々ありすぎてもはや10年前ぐらいにも感じますw

そしてこのころ、大会名についてもちょっとした問題が生じます。

「eGT」という言葉が、どうやらヨーロッパのとある化粧品会社によって商標登録されているらしいのです。

まだ一回目すら行っていないものの、企画の将来性などを考えた時に、大会名でリスクは抱えない方がいいということで改称することとなり、頭にJAPANのJをつけて、ここで晴れて

「JeGT GRAND PRIX」

がこの世に誕生しました。

出会い

会場も決まり、日程は2019年9月29日(日)となりました。

ちょうどこの日は主だったモータースポーツの大会がない隙間の日で、多数のチームが参戦してくれるだろうという見込みでした。

6月下旬、Aさんと東京に向かいます。
目的は先述の“トラスト”さんにご挨拶すること。

モータースポーツに何の知見も人脈もない自分がJeGTの初回を成功させるには、この企画に賛同してくれているというトラストさんとの関係性を築くことが最優先事項でした。

無事にトラストさんへの挨拶を終えて、本格的な準備に入ります。

その約1ヶ月後、今度はトラストさんのご紹介で横浜の日産自動車さんに行くことに。

ここで出迎えてくださったのが、GT-R/フェアレディZの開発責任者である田村宏志さん。

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かねてより田村さんもJeGTの骨子に興味を示してくれていたそうで、ご挨拶をかねて僕の口から企画内容を説明し、大会への協力を依頼しました。

田村さんは非常にフランクな方で、
「こういうのは祭りなんだから、どうせなら派手に面白くやろうぜ」
と、トラストさんからの紹介とはいえ、何の実績もない、どこの馬の骨ともわからない僕に対して、その場で協力を快諾していただきました。

ちなみにこの時、僕はこの会議の中で飛び交う「R35」という言葉の意味をわかっておらず、かと言って知りませんと言える度胸もなく、冷や汗をかきながら約1時間を過ごしたことは多分一生忘れられませんw

横浜での会議の一週間前には、大会の競技タイトル、グランツーリスモSPORTのIPホルダーであるSIEさんとも初めての打ち合わせを行いました。

この時Aさんと一緒に臨んだのですが、彼は僕のことを「JeGTの大会委員長の北浦さんです」と紹介します。

実はこの時まで、JeGTの代表を誰がやるか、はっきりとは決まっていなかったんです。

ただし少なくとも、ど素人の自分がそれになるとは全く思っておらず、あくまで大会の裏方に徹するつもりでした。

それがいきなり委員長と紹介され、否定してSIEさんに不信感を持たれるわけにもいかないので、以降はそのままなし崩し的に自分が代表として動くことになったのです。

僕が今JeGTの代表としてやっているのは、そんな成り行きからなんですw

さあ、いよいよSIEさんや日産自動車さんのお墨付きもいただき、あとは当日に向かって準備にひた走るだけ!

となれば良かったのですが、本当の苦労はここからです。
うん、マジで大変やった…。

不安だらけの日々からの奇跡降臨

大会を開催する上で何が一番大切か。

そう、出場者ですね。

これは前回の記事で書いたウイイレの国体兵庫県予選で嫌というほど思い知ったことです(当たり前の話ですが…)。

当初の目標としては、

「プロレーシングチームや自動車関連企業、ゲーミングチームから10チームぐらい集められれば」

という目標でした。

トラストさんからアフターパーツメーカー最大手の”HKS”さんや、媒体企業等にお声がけいただき、Aさんが関係するゲーミングチームも含め、5~6チームの参加がある程度決まっていたのですが、この時すでに8月上旬。

大規模な大会と銘打って開催するには物足りない数です。
しかしそれ以上はなかなか参加を表明してくれるチームが現れず、徐々にウイイレの時の悪夢が自分の頭をよぎるようになります。

これはなんとかしなければヤバいと思いながらも、自分にこれ以上どうやってチームを集めるか、正直言って具体的な手立てはありませんでした。

そこで、ダメもとでHPに問い合わせ用のメールアドレスを公開しているレーシングチームや自動車関連企業など、20~30社ほどにDMを送ります。

「9月29日にレース業界とeスポーツ業界がコラボした大規模な大会を神戸でやるので、よかったら出ませんか」

まあどこか1社でも反応してくれれば良し、というぐらいの気持ちでいると、数日後に動きが。

なんと、SUPER GTなどの有名レースに参戦する名門「D'station Racing」さんと、スーパー耐久に参戦する「RFCレーシング」さんから、前向きに検討したいとの返信があったのです。

すぐさま「ぜひお願いします!!!」と反応したのは言うまでもありませんが、その数日後のある夜、僕の携帯に登録外の番号から電話が。

「はい、北浦です」

「あ~どうも、D'station Racingの藤井と申します」

D'station Racingのドライバー兼マネージングディレクターを務める藤井誠暢さんからの直電話でした。
すでにメールでのやり取りはさせてもらっていたのですが、この電話でさらに驚きの事実を聞くことに。

「JeGTの件ですが、ぜひ参加させてもらおうと思っています。で、あいにく僕自身は当日別のイベントが入っているので、うちの”ジェイピー”に相談したんですよ。そしたら”出てもいいよ”と言ってくれましたんで、今回うちからは”オリベイラ”を出します。もう一人のドライバーもこの後選出しますんで、よろしくお願いしますね。」

とのこと。

そう、長らくプロレーサーとして様々な世界で活躍する「ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ」さんがJeGTに出場してくれるというお電話でした。

例によって勉強不足だった僕はオリベイラさんのことを存じ上げていなかったのですが、藤井さんに「どなたでしょうか…?」などという失礼なことはもちろん聞くことなく(わからないけど、とにかく大物なんだなということは察知できる勘を持ち合わせていた自分をほめたい)、とにかく「はい!ありがとうございます!」を相槌のように繰り返しました。

そしてその後、改めてネットでオリベイラさんや藤井さんのことを検索し「ああ、これはとんでもない奇跡だな」と自覚するに至ったのです。

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↑オリベイラ選手と、今もD'station RacingのドライバーとしてJeGTで活躍する野島俊哉選手

奇跡はまだまだ続きます。

トラストさんの紹介で、今度は東大阪に本社を置く大手ホイールメーカーの”RAYS”さんにご挨拶に伺いました。

トラストさんからの事前情報では、大会会場でのブース出展を検討してくれているとのこと。
対応してくださったご担当の方からはなんと「面白そうなんで、うちも選手を呼んで出場しようかと思ってます」と、まさかの超ありがたいお言葉…。

そしてその数日後、RAYSさんのエントリー用紙に書かれていたドライバー名の欄には「ヤン・マーデンボロー」との記載が。

はい、早速ググりました。

するとwikipedia(要約)には「2011年に日産とSCEが開催したグランツーリスモの大会”GTアカデミー”で9万人の参加者の頂点に立ち、プロレーシングドライバーの道を切り開いた」と書いてあるじゃありませんか。

つまり「グランツーリスモの申し子」であり、バーチャルからリアルへの階段を駆け上った第一人者ということですね。

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↑レース前の調整を行うRAYSチーム。シートに座るヤン選手の右にいるのは、現在JeGTの競技長を務める加藤彰彬さん。

こうして参加チームの問題は解決するどころか、予想していなかった大物選手、有名チームの参戦が実現し、自分の中でも確実に追い風が吹いていることを実感します。

そしてそして、JeGT初回大会の話題を作ってくれたチームはあと3つほどありました。

1.URASさん
ドラフト業界で知らない人はいない、白煙番長ことノムケンさんが、ご子息の圭市さんとともに参戦!

URASさんとはもちろんそれまでコネクションがあったわけもなく、後述する鈴木学さんへのご挨拶の際(19年9月1日(日)開催のD1ライツ名阪)にURASさんのピットへ単身突入し、「JeGTっていう大会をやるんで、出てください!」とお願いしたところ、快諾いただきました。

当初から「ゲームはあまり得意ではないですが…」とおっしゃっていた通り、大会の上位には進出できませんでしたが、唯一フルフェイスをかぶって入場(圭市さん)されるなど、大会を大いに盛り上げていただきました。

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2.BLITZさん
HKSさん、TRUSTさんと並び、国内の「アフターパーツ三大メーカー」の一つに数えられる企業さんですね。

HKSさんはトラストさんからのお声がけで早々にエントリーしてくれていたのですが、BLITZさんは社内にゲームができる方がいらっしゃらないとのことで、当初はエントリーされるご予定はありませんでした。

しかし、19年9月14日(土)に開催されたGT-Rのファンイベント「R'S Meeting」に出展されていたブースに、鈴木学さんやトラストさんと突入し、「とにかく出ようよ!」と後押ししていただき、直前でしたが(半ば強引にw)エントリーをしていただきました。

これで晴れて「国内三大メーカーのそろい踏み」が実現しました。

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大会当日もBLITZさんは決勝レースに進出され、7位入賞されました。

3.エヴァンゲリオンレーシングさん
皆さまご存じの世界的アニメコンテンツであるエヴァンゲリオンとのコラボによるレーシングチーム。

ある方を通じてJeGTのお話をしたところ非常に興味を持っていただき、様々な調整を経て大会数日前にエントリーいただくことが決定!

以降、JeGTの全大会に出場いただき、公式シリーズでも見事にファイナル進出。
6月13日(日)のレースではどんな走りを見せてくれるのか、注目です。

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ZERO ROUNDには、リアルでも活躍されるプロレーサー・佐藤公哉さんが出場されました。

そんなこんなで当初の不安は見事に払しょくされ、最終的には全14チームのエントリーが叶いました。

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厳しくも愛に溢れるマナP

時を少し戻して7月下旬、日産自動車さんでの打ち合わせの際のお話。

「で、当日の実況は誰にするの?」という田村さんからの質問に対し、トラストさんから「マナPにお願いしようと思っています」との回答が。

その時の僕は例によって横でただじっと聞いていただけですが、その後トラストさんから連絡先をいただき、マナPこと鈴木学さんに連絡を取りました。

19年9月1日(日)に開催されていた「D1Lights MEIHAN」で実況をされるということで、そこで初めてのご挨拶をさせてもらいました。

ドリフトの大会に行くことも初めてで、今までに感じたことのない雰囲気に圧倒され、緊張しながらお話したことを良く覚えています。

その時学さんから言われたのは

「これからレース業界、クルマ業界にとってもeスポーツは必ず重要なコンテンツになると思う。自分もまだまだよく知らない世界だけれど、やるなら本気でやろう!」

とのお言葉。

その後、いろいろと打ち合わせを経て、大会の前日に神戸入りしていただき、現場スタッフとのリハーサルに臨んだのですが、そこで学さんから

「実況・解説用のモニターが2枚じゃ全然足りない!せめて4枚は欲しい、何とかならないか!?」

とのご指摘が。

その他にも、よりお客様に楽しんでいただくための実況に必要な事柄にご指摘をいただいたのですが、僕をはじめ大会の運営やテクニカルスタッフもゲームやレースに詳しい人間がほとんどいなかったため、あの時は本当に焦りました。

それでも何とかスタッフのみんなに頑張って対応してもらい、モニターを4枚に増やし、その他の事柄もできるだけ学さんの考えに沿うように準備をしました。

厳しい方ではありますが、それもすべては大会を一つのエンターテインメントとして成功させるためのものであり、僕たちも本当に勉強させてもらいました。

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右は当時解説を務めていただいた内海彰乃さん。現在はJeGTの副競技長をしていただいています。
左は現在ヴィッセル神戸の専属MCとして活躍されている林哲也さん。

感動と安堵、そして、、、

いやあ、ここまで長かったですね。

さあ、いよいよ大会当日です。

イベンターに一番重要なのは、しっかりと準備を整え、当日をしっかりこなすために前日はゆっくり寝て、体調を整えることです。

ところが僕がそんな理想的なイベンターであるわけはなく、いろいろと直前になって準備不足が露呈してしまい、結局2日前から緊急対応に追われて全く寝れず…。
極限状態で当日に臨みました。

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当日の朝にスタッフ・関係者へ挨拶をしてくださった田村さん。
隣にいるのは、極限状態の僕です。

そしていよいよ本番スタート。
ステージ上には出場選手の方々が並び、開会式が始まりました。

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会場にはエントリー企業さんのブースや自動車関連企業さんのブースもずらっと並び、屋外ではGT-Rやスープラの試乗会、ステージ上では大会の幕間にトークショーも行われました。

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そしてレースは14チームを2グループに分け、各上位3チームとルーザーズ上位2チームの計8チームによる決勝レースという流れ。

本番前の和やかムードは一転し、レース前になると全チームのドライバーは見る見るうちに勝負師の顔に。

予選の第一レースがスタートしたときは、本当に感動しました。
何もわからない状態で始めたものが、ついに形になったことを肌で実感し、涙が出そうになりましたね。

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決勝に進出したのは

NISSAN × TRUST Racing
RAYS e-Racing Team
D'station Racing
HKS(有志チーム)
ODDEYE Gaming
BLITZ Racing Project
RFCレーシング
エヴァンゲリオンレーシング

の8チーム。
そして決勝は50分間の耐久レースで行われ、優勝は現在の世界大会三冠王者・宮園拓真選手要する「ODDEYE Gaming」でした。

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宮園選手も6月13日(日)のJeGT 2020 ラウンドファイナルに個人戦のファイナリストとして出場します。
これからのeモータースポーツ界を背負って立つであろう彼の活躍には目が離せません。

ここまでに書いた様々な苦労を経て、決勝レースが無事にスタートしたのを見届けると、ついに電池が切れたのか、観客席の後方でレースを見ているはずが、立ったまま意識が飛んでいたのですが、そんなところも田村さんにばっちり撮影されていましたw

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表彰式も無事に終了し、大団円でZERO ROUNDは幕を閉じました。

嬉しかったのは、出場いただいたみなさんが「当初思っていたよりずっと面白かったし、本気になれた。ありがとう」と言ってくれたこと。

そして最大の後悔は、あれだけの方々が参加してくれていたのに、誰からもサインをもらっていなかったこと。。。

あの時のスタッフTシャツに選手のサインをもらっていれば結構なプレミアがついたかもしれないのに。。。

また、レースの内容やペナルティについても様々なご意見をいただきました。
もちろん、厳しいものもたくさんありました。
まだまだ未熟であったことを痛感しましたし、これからもっと洗練していこうという決意を新たにすることもできました。

そして次のステージへ…

「生みの苦しみ」とはよく言ったもので、ZERO ROUNDは本当に大変でした。

でも、いろんな意味で今の自分の「原点」でもあります。
あれが無ければ、もちろん今の公式シリーズもありません。

そして大会が終わった翌日、僕の携帯に一本の電話が鳴ります。

「昨日はお疲れ様でした。よかったら、1月のオートサロンでJeGTをやってみませんか?」

このお電話で、JeGTはすぐさま次のステージへと移ります。

ZERO ROUND以上の苦労がそこには待っているのですが、この時のお話はまた次回に。

長かったJeGT誕生のお話も、これでようやく終わりです。
ここまで読んでいただいて本当にありがとうございました。

今後もまた不定期に書いていきますので、どうぞお楽しみに!

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