芸術家と倫理。
インクルージョンやダイバーシティと、ネットによる衆人監視や些事の指摘は、どう両立できるのでしょうか?
多作の芸術家、パブロ・ピカソは、生涯2度の結婚と7人の愛人がいました。
日本でも、竹久夢二は恋多きクリエイターとして有名です。
もちろん時代の差があると思いますが、彼らがもし今の時代に活動していたら、文春砲やSNSで偉大な製作を全うできないだろうと思います。
芸術家が突出した作品を残せるのは、一般人とは異なる感性があるからで、その感性は日々の暮らしの中で研磨されるものと思います。
その行動を、ネットで「非常識だ」「自粛せよ」と潰してしまうと、芸術の可能性を狭めてしまうと懸念します。
常識人の芸術家なんて需要がなく、その破天荒な生き方を作品に重ねて楽しむものだと思います。
ネットで指摘する人は、常識や倫理という大義を利用して、その1点のみで見れば正しい指摘かのように錯覚をさせますが、ではその匿名の指摘者たちの生き方を全て明らかにすれば、ひょっとしたらその芸術家より非常識で、世の中に貢献していないこともあるだろうと思います。全くフェアではなく、出る杭を打つだけの損失行為です。