【コラム/効率化ほど非効率はない】
わたしは、〈自称〉意識高い系の女である。
18歳からダンススクール、ジム、サーキットトレーニング、ヨガに通い
韓国語と英語は現地の語学学校に勉強しに
タイマッサージはタイまで、ヨガはインドまで学びに行った。
つまり、人生の殆どの時間において
人と同じことをしていてはダメだ!と感じていたし
誰よりもトレーニングや勉強に時間を費やして「成長」を求めて生きていた人間なのである。
だから、常に時間が足りなかった。
そんな人生が長かったから自然に「効率化」が身についてしまったのだと思う。
無駄な時間
無駄なお金
無駄に疲れること
この部類のものを
徹底的に自分の生活から省いていた。
一時的に成果はあったし
人より長けて感じることもあった。
だけど
今振り返って
それらの努力が
今も身になっていることは
驚くほど少ないし
(かつて完璧に話せた韓国語は、現在もはや何も覚えてないし、ヨガを求めてインドまで行ったのにヨガのことなんてすっかり忘れて生きているんだから)
無理な努力やトレーニング、
食事制限で体調を何度も崩し
結局何年も病院に通う羽目になった。
(非効率にも程がある。笑)
何よりも
そんな風に生きてた時代のことは
殆ど思い出せない(想い出がない)し
仲間との関わりというものがなかったから
凄く寂しい人生だったと思う。
この数年間で、わたしは
効率化を極めているひとで豊かなひと、幸せそうなひとに出逢ったことがない事実を理解し
無駄な時間をたくさん過ごしている(毎日昼寝2時間するとか、特に目標を持たずに生きているひと)かつ、豊かで楽しそうに生きているひとたちに囲まれて生きることで
自分の中に棲みついていた「効率化」を少しずつ手放し
だいぶ「無駄」を楽しめるようになったと思う。
無駄に疲れたり
無駄にスマホを見たり
無駄にお金を使ってしまうことがあっても
以前のようにイライラしたり、罪悪感を感じることは殆どない。
無駄な時間や無駄な浪費から結果的に学ぶことがたくさんあることも、知った。
先日、仲間10人と日本一危険な国宝に参拝してきたのは
わたしの人生で上位トップ3に入るぐらい無駄な試みだった。
・無駄に疲れる団体行動
・無駄な移動
・生産性ゼロのアクティビティ
案の定、遅刻組が1時間弱遅れてきて
更に無駄の待ち時間が追加され
「わたしの貴重な時間が奪われていく」
(寒いから体力も奪われていく)
が、しかし。
今のわたしは22時間ダラダラして2時間楽しく集中して仕事をすれば上手くいくことを知ってるし
みんなご存知の通り
骨格メソッドのおかげで身体はすこぶる快調なので(約3時間の登山ルート全然疲れなかった)
結果、
わたしは何も失うものはなく
仲間と命懸けで紅葉の絶景を観に行くという、
人生で忘れられないであろう時間になった。
大人数での集まりは疲れるから敬遠していたし、
勉強や仕事以外で移動するのは、生産性がないからお金と時間の無駄と考えていた。
もし、そんなわたしがまだここに存在していたら今回の経験はできなかったのだから
「人生まるっと効率化」とは、なんと罪深い概念なのだろう。
「効率化」とは、本来、非効率な人生を愉しむ余裕が欲しいからこそ、「限定的に」活用するものだったのではないだろうか?
効率化に飲み込まれた人生は、寂しく、味気なく、振り返っても何も思い出せないのだろう。
効率化に支配されて
生きてきたわたしにとって
無駄こそ「豊かの象徴」。
いかに無駄を愉しめるかの人生ゲームは
2024年も続く。
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