「エモい」を「エモい」で終わらせないために
伊藤万理華の展覧会「MARIKA ITO LIKE A EHIBITION LIKEA」に行った
渋谷パルコで開催された伊藤万理華の2022年の現在点を現した展示会である
乃木坂46時代からクリエイティビティの高さから評判だった伊藤万理華
展覧会の世界観を一冊に詰め込んだのが「LIKEA」だ
私が展示会を見て思ったのは「エモい」という感情を「エモい」で終わらせたくない、ということだった
「LIKEA」の表紙には伊藤万理華の言葉がある
あの時、私の中で何かが起きた。
言葉にはできない何かだ。
思えば2022年は公私共に刺激的な出来事があった
刺激を受ける出来事に遭遇しても自分の中に湧き出る感情を言語化出来ず「エモい」「ヤバい」とばかり叫んでいた
だけど本当にそれでいいのだろうか
「エモい」を「エモい」という言葉以外できちんと表せるようにしたいと思った
「言葉に出来ない何か」を最近は「エモい」という言葉で終わらせてしますことがよくある
感情とは不思議なものである
質量も形状も持たず可視化不可能である
肉体は数値化も可視化可能であるが、その肉体を支配し左右する感情は形にすることができない
感情を辞書で引くとこうなる
物事に感じて起こる気持ち。外界の刺激の感覚や観念によって引き起こされる、ある対象に対する態度や価値づけ。快・不快、好き・嫌い、恐怖、怒りなど。「―をむきだしにする」「―に訴える」「―を抑える」「国民―を刺激する」
感情とは対象物があり刺激を受け外部に放出されることだそうだ
伊藤万理華は10組のクリエイターと展示会を通して感情を創作物で表現した
「LIKEA」は一言で現せないものばかりだ
会場の中には音声ドラマ、映像、コラージュ、ステートメントなどが展示されていた
「LIKEA」を見て、私が感じたのは「伊藤万理華は感情を創作物に落とし込めてよかったな」ということである
先程引用した感情の定義にもあるように、人間の感情は単純ではない
感情を「喜怒哀楽」と諺で表現するが、喜怒哀楽の四象限に収まらない感情が大半ではないだろうか
嬉しいことがあるけど明日の仕事を考えて憂鬱、とか絶望を感じて悲しいけどたまたま見たTVが面白い、とか曖昧でグラデーションのある感情が大半ではないか
感情は曖昧である分、言葉で現すのが難しい
自分の頭で考えるから、これまで経験したり見聞きしたものでしか形にできない
2018年発表の伊藤万理華の名作に「はじまりか、」がある
乃木坂46における6年の活動をポエトリーリーディング形式で収めた映像だ
あなたはこの映像を見て何と思うだろうか
私は最初に見た時に号泣してしまった
アイドルとしての「これまで」の挫折と成功と「これから」ファンと歩んでいきたい希望を現しているからだ
「はじまりか、」歌詞の中にこんな一節がある
もっと話したい まだまだ足りない
離れるのは寂しいけど 違う私も見てほしい
良かったらもし良かったら 一緒に来ませんか?
あなたの未来と 私の未来
どこかでまた交わることができたらいいな
私は15年以上いろんなアイドルのヲタクをしてきた
その間に何人ものアイドルが消えていった
ブレイク寸前で消えていったアイドル、鳴かず飛ばずで燻るアイドル
アイドルそれぞれ思い描いていた未来があったはずだけど、アイドルの未来とファンの未来が重なることは極僅かだ
「未来の姿」をファンに想起させることすら出来ず「現在の姿」も満足に見せられず消えていった
その時の悔しさでも悲しみでもない曖昧な感情を言語化することが出来ずにいた
「はじまりか、」を見た時に感じたことは、この正に曖昧な感情を映像と現しすものに出会えたからだ
展示会の中に「MEMORY」という作品があった
ブラウン管に幼少期の伊藤万理華のホームビデオと、2022年の伊藤万理華のドキュメントが映し出されている
音声は無く映像が流れる作品だ
過去の伊藤万理華と現在の伊藤万理華がブラウン管を通し2022年の自分の中に入ってくる
恐らくこの作品に対する感情に正解は無い
私はこの作品を「懐かしい」という感情が浮かんだ
伊藤万理華の幼少期と自分の幼少期は全く重なることは無かったけど、自分の過去をも想起させるような懐かしさがあった
伊藤万理華が展示会という形式で2022年の現在点を現してくれた
これからは自分が言葉にして見てない人にも伝えていく番だろう