追悼 松岡正剛
松岡正剛は150年、いや、もしかすると200年も生きる人物なのではないかと、私は思い描いていた
訃報を目にした時、信じることが出来なかった
「そんな馬鹿な。人間の寿命には限界があるのだから、せいぜい100年が上限だろう」と誰かに指摘されれば、確かにその通りだと認めざるを得ない
しかし、松岡正剛には常人を超越した、不思議な魔力のようなものを感じさせる存在感があった それは単なる印象ではなく、言動や著作を通じて、強く思わせるものだった
思わせる、というよりも、むしろ確信させてくれる---この表現の方が、彼の影響力を正確に表しているかもしれない
これは完全に私個人の主観的な思い込みかもしれないが、少なくとも私の中では揺るぎないものとなっていた
松岡正剛は世間一般では書評家、編集者という肩書きで知られている。
しかし、彼の活動や影響力は、そういった既存の職業カテゴリーの枠を遥かに超えていた 単なる知識の伝達者ではなく、知の「編集者」としての側面を持っていたのだ。
私の目には、まるでゲーテの名作に登場する「ファウスト」博士のように、この世に存在するありとあらゆる書物を読破し、その知識を完全に吸収した人物として映っていた
松岡正剛は無数の書物を渉猟し、その過程で人知を超えた叡智を獲得し、ひょっとすると不老不死の秘訣さえ手に入れているのではないかと、私は密かに想像を膨らませていた
「松岡正剛って何者なの?」と聞かれても、一言で答えるのは至難の業だ
松岡正剛の多面性と深遠さゆえに、簡潔な定義を与えることは不可能だ
松岡正剛は生前「この世のすべてをさらいたい」と語っていた
この言葉は、彼の知的探求心の広大さを如実に表している
ありとあらゆる森羅万象、この世のすべてを網羅し、理解しようとする
そんな途方もない野心を持つ摩訶不思議な人物だったのだ
松岡正剛の対談を読むと、その話題の多様性に驚かされる
文学や哲学といった高尚な分野から、日常生活の些細な事柄まで、あらゆる話題を縦横無尽に駆け巡る
例えば、ユニクロの靴下のグラデーションの多様性にまで言及し、聞き手を「こんなことまで知っているのか」と驚嘆させる
この広範な知識と鋭い観察眼は、松岡正剛の特筆すべき才能の一つだった
松岡正剛の多面性と深遠さゆえに、彼の死後も様々な評価が生まれ続けるだろう
おそらく、松岡正剛論の決定打は永遠に出ないかもしれない
「それはあなたが理解できていないだけだ」と言われても反論の余地がない それほどまでに、彼は多面的で複雑な姿を持つ人物だったのだ
松岡正剛の思想や業績を完全に理解し、評価することは、一個人の能力を超えた課題かもしれない
松岡正剛の知識の広さと深さは、一般的な学者や知識人の範疇を遥かに超越しており、人間の知的能力の限界を押し広げているかのようだった
松岡正剛の思考は常に既存の枠組みを打ち破り、異なる分野を自由自在に結びつけ、新たな視点を生み出し続けた
この独創的な思考法こそが、松岡正剛を他の知識人から際立たせる最大の特徴だったと言える
私は生前、松岡正剛氏に一度だけ見るする機会に恵まれた
それは2023年10月のことで、上野の国立科学博物館で開催された講演会の場であった
この講演会は、「われわれはどこから来て、どこへ行くのか」という壮大なテーマを掲げた国際シンポジウムの一環として企画されたものだった
このシンポジウムは、松岡氏のみならず、宇宙物理学や生命史など多岐にわたる分野の専門家が登壇し、それぞれの見識を披露するという試みであった その中で、松岡正剛はトップバッターとして壇上に立ち、「科学をまたぐタイムマシン群」という興味深いテーマで講演を行った
松岡正剛の講演スタイルは、まさに圧巻であった 彼は舞台上を歩き回りながら、まるで歌手のようにダイナミックに語りかけた
驚くべきことに、一切のメモを参照することなく、滔々と言葉を紡ぎ出していったのである
その話題は実に多岐にわたり、「デモンストレーション」「ものすごい」「もの寂しい」「スミソニアン博物館」「ハッブル」など、一見すると関連性のない概念を次々と繰り出していった
正直なところ、私は松岡正剛の発言の全てを完全に理解できたわけではない しかし、その圧倒的な存在感と知的な迫力に魅了されてしまった
目の前で繰り広げられる「松岡正剛ショー」は、まさに知的興奮の連続であった
各トピックがどのように関連し合い、最終的にどのような結論に至るのか、その全容を把握することは出来なかった
松岡正剛の講演は、まさに知的冒険であった
松岡正剛の言葉は、時空を超えて様々な概念を自在に結びつけ、聴衆を未知の知的領域へと誘う力を持っていた
この時の体験は、理解を超えた感動と驚きをもたらした
私の心に今でも刻み込まれた 今でも鮮明に思い出すことができる、生涯忘れ得ない知的体験であった