装置の成果は使った側の声から見てくる|8/21〜8/27
2024年8月21日(水) 谷保→市ヶ谷
仕事で取り組む「領域」が、行政の所掌業務のなかに居場所がない。そのことばかり考えてしまう。というか、考えざるをえないやりとりが多い。
2024年8月22日(木)市ヶ谷→桜木町
ACYフォーラム vol.4「続・子どもの居場所・学び場と文化芸術のまちでの交点」へ。文化施設を、物理的な場所としての「施設(facility)」とするか、「機関(institution)」と考えるか。後者の場合は、その担い手の専門性や自主的な企画をどう打つか、といった意味で大事になる。加えて、「装置」という視点があるのだろうと、水戸芸術館の「高校生ウィーク」の話を聞いて思いつく。その装置の成果は使った側の声から見てくるものなのかもしれない。使う人たちが、その成果を語り出すまでには時間がかかるだろう(対象が若年層ならば、なおのこと)。美術館が高校生の居場所となる。水戸芸術館の数十年にわたる取り組みからは、その成果がよくわかった。
プログラムの参加者として登壇していた大木さんは東京の大学へ進学した。東京ではたくさんの展覧会が開かれている。でも、学芸員と知り合うことは簡単なことではないと気がついたのだという。水戸の地域としての適度な閉じ方がいいのではないかとも語っていた。仕掛ける側も目指していたものが、理念ではなく実感として語られること。90年代以降に国内で整備されてきた「現代」の取り組みの成果は、このレベルで語られるものとして現場は醸成されているのではないかとも思う。
帰ってから、装置は英語でなんと言えばいいのかを調べる。 device、apparatus、equipment、installation……ひと通り眺めて、例文にあった「舞台装置 a (stage) setting」のsettingがしっくりきた。どう使う側が、自分のものとしていくための環境(企画)を「set」できるか。大きな発見をした気分になる。
2024年8月23日(金) 新宿→渋谷
ひょんなことから、新宿の平和祈念展示資料館に行くことができた。(新宿らしい?)きれいな高層ビルの33階。入口の正面には「帰還者たちの記憶ミュージアム」の文字が大きくレイアウトされている。鮮やかな青色に整った文字。こんな場所だったかと、事前にあったイメージがずれる(どうやら愛称やロゴは最近変えたらしい)。
平和祈念展示資料館は「兵士、戦後強制抑留者、海外からの引揚者の三つの労苦を扱う施設」なのだという。展示は、その区分について説明からはじまる。父方の祖父はシベリアにいたけれど、祖母は満州で生まれたと聞いたことを思い出した。詳しく話は聞いたことがない。ふたりも、舞鶴から帰ってきたのだろうか?
夏休みだからか、親子連れも多い。混んでいた。配布されていたマンガをはじめ、いろいろと資料をもらってくる。
2024年8月24日(土) 港南台→自宅
『サザエさんたちの呼びかけ : 阪神大震災・瓦版なまず集成1998-2008』を読み進める。読むほどに、当時の議論は、いまに通底しているのだと思う。読み返す場をつくれるといい。
2024年8月25日(日) 自宅
随分と前から送らないといけないメールを送る。
2024年8月26日(月) 市ヶ谷
また台風が近づいてきているのだという。速度は遅い。週末に列島を横断するらしい。どのあたりから影響が出てくるのだろうか。繰り返し、週間予報を確認する。手を動かす時間が足りない。
2024年8月27日(火) 市ヶ谷
宮本匠さんの単著(『みんなって誰? 災間と過疎をのびのび生きる』)の情報を出版社のサイトで見つける。発売日は10月23日。2004年の中越地震から20年の節目に合わせてある。いまから読むのが楽しみ。
中村大地さんのSNSでノトゲキのCAMPFIREを見かける。『能登版・銀河鉄道の夜』上演のためのクラウドファンディング。サポートに参加する。みんな、それぞれの持ち場でやっている。
寝る前にテレビノークを見る(聴く)。珠洲の社会福祉士、山形優子さんのインタビュー。震災後の「細かいことは覚えていない」「自分が置かれた状況がわからなかった」という話がリアルだなと思う。「当事者」になると、状況は俯瞰的に見ることが出来なくなる。ライフラインが途切れて、メディアにアクセスできないため、わからない。忙しすぎて、直後のことは覚えていない。東北の震災の後にもよく聞いた。
書くこと、読むことを続けること。できるから続けるのではなく、できるようになるために続けるのだとわかってはいるけれど、身体が追いつかない。記録する身体づくりを。
(つづく)
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