All one One is all|ひとつはすべて。すべてはひとつ。「全ては私」
おはようございます。
私は小さいころから
「変わった子」と言われていたらしいです。
周りを見ずに行動したり、
大人たちが「びっくり」するようなことを
平気で「やりだしたり」
・・・昔実母が「あんたはちいさか頃から変わっとたけん」
とつぶやいていたのを想い出だします。(苦笑)
All one
One is all
ひとつはすべて
すべてはひとつ
「まるでアニメ
#ヒロアカ(僕のヒーローアカデミア)に出てきそうな
セリフ」・・・。
何故この言葉を今私は思い出したのでしょうか?
表現者としての葛藤
私はたぶん「創り手」なのです。
なにかひとつのことを
「創り出す」と私の感受性は
留まることを許してはくれない
先に「やらなくてはいけいない」デザインや依頼
など「デザイナー」としてSOHO(クラウドサービスやランサーズ)の活動も過去経験しましたが
そういう時、決まって
・いきなり歌を自作して歌ったり
・全然関係ないのにいきなり「アクリル絵」で絵を描きだしたり
・動画を作ったり
・音源を「Sound Engine」でミックスしてみたり
他の分野や創作のカタチを作りこんでしまう。
そういう奴なのですCHOPは
立ち回りが下手なのです。
自分の感受性のモチベーションを上げるとか
そんなことは全然考えなくて
ただ「ひたすら熱くなってしまう」
作りたくて、その先を感じたくなる
見たくなってしまうその欠片を。
それが「求められていないカタチ」だとあとで気付く
「言われて知る」
その熱さが「喜ばれていないこと」を知る。
そして「突き落とされたように何も信じられなくなって
うずくまる迷子のように凹むのです。」
光と影
なんでも「出来そう」って
ある人に言われたことがあります。
Canvaや動画作成+画像作成、Photoshopでのデジタルアート(CG)
何でも作れちゃうね・・・。
違うそうじゃないんです。
自分が作りたいものが「作れない」自分が怖い
この「胸の中にある意味影となって覆いつくす」
感性を「カタチにできない」
その現実が苦しくて
必死になって「表現のスキル」を学ぶのです。
時には寝食や家族のことも顧みずに
自分が作りたいものが「作れた」とき
影が光となって「作品」になったとき
私は過去失ったものも多いのです(苦笑)
ひとつはすべて。すべてはひとつ。「全ては私」
ひとつはすべてなんです。
私が創り出さなければ
ならないものが「ひとつ」でも
その過程で「溢れ出した私の感受性の作品や出来事」たちは
すべて。自分の感受性と感性の分身
すべてはひとつ
不器用である意味
「空気を読めない」そのひとつは「全て私」
私の感性「それは唯一無二の私」
私の大切な一つであり、すべてなのです。