信じて待つ!!
ヘルプとアシストの明確な区別化を知っていますか?
辞書で調べると以下のように書かれていますが…
ヘルプ:手を貸す、積極的に助ける
アシスト:補助的に手伝う
例えば、靴ひもが結べないとグズってしゃがみ込んでいる子どもがいる場合、ヘルプ的な関わりと、アシスト的な関わりはどうなるでしょう?
ヘルプ:親が子供の靴紐を結んであげる。子供は自分では結ばない 。 アシスト:親は隣に一緒にしゃがみ、結び方を見せて教える。実際に結ぶのは子供。
行動するのは誰か?というのが大きなポイントで、アシストにおいて主体的な行動は、親ではなく子ども!また子育てにおいては特に、実際に見せて具体的に教えることがとても重要になります。
ヘルプとアシストの基本的な違いは理解できましたか?
もちろん緊急時などヘルプする以外の選択肢がない場合もあると思いますが(例えば子どもが車道に飛び出したときや海で溺れそうになっているときなど…)、そうでないときは、いまヘルプ的な関わりをするとしたらどうするだろう?いまアシスト的な関わりをするとしたらどうするだろう?とぜひ動くまえに考えてみてください!
では、ヘルプを続けた場合とアシストを続けた場合、子どもにはどんな違いがありそうですか?
ヘルプ:実際に靴紐を結んでいるのは親なので、子どもはいつまで経っても自分で結べるようにならない。
アシスト:子どもが自分で結んでいるので、時間はかかっても自分でできるようになっていく。
つまり『子供の自立』を考えたら、必要なのは圧倒的にアシストということになります。
特に子どもたちが小さい頃は、私たちは日常的に無意識にヘルプをしていることがたくさんあると思います。
例えば… ・朝起こす ・服を着替えさせる&靴を履かせる ・食べさせる ・こぼさないようにグラスの位置をずらす ・幼稚園や習い事の持ちものを用意する ・勉強を教える
挙げたらキリがありませんが、子どもたちに自分でやらせようと思っていても、ついつい手を出してしまうとしたら、それってどんなときが多いですか?
その場面を思いかえしてみれば分かると思いますが、たいていはこんなときです。
「時間がないから早くしてほしい」
「よごされると後が面倒」
「そうしないとあとの対応が大変」
このようにヘルプするときは、矢印が自分に向いている、つまり自分のことを優先してしまっているケースが多いといわれています。
子どもはすこしでもできるようになると喜んで、そこからどんどん自分でやるようになりますよね。そのやる気を育てていくためにも、親はグッとこらえてヘルプではなくアシストに徹する!
私は子どもたちが小さいころ無意識に手をだしてヘルプしてしまわないように、よく自分の手を押さえていました。
忍耐が問われるところではありますが、矢印を子どもの成長に向けて、「大丈夫」「あなたならできるよ」「信じてるよ」という思いを込めながら待ちましょう。
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」なんて笑
グッとこらえて信じて待つのも愛ですね!