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MyGO!!!!! ライブ演出のまとめ:ZEPP TOUR 2024「彷徨する渇望」


MyGO!!!!! ZEPP TOUR 2024「彷徨する渇望」が、2/12(月)よりついに開幕した。同時に、ツアータイトルに込められた言葉の意味も明らかになる。

「彷徨する渇望」は昨年11月、東京ガーデンシアターにて開催された「小さな一瞬」以来の単独ライブとなる。この「小さな一瞬」においては、原作アニメ『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』のシーンの再現演出が注目されたことは記憶に新しい。たとえばアニメ第10話において「詩超絆」を披露したシーンはファンの間で屈指の名場面とされており、生ライブで同楽曲とともにその「再現」が行われた瞬間には観客の息を呑む音が聴こえるほどだった。

もっとも、そういった演出が可能だったのはアニメ完結直後という時期によるもので、じっさいにキャスト本人たちも「あれをもう一回はできない」と語っている。つまり「彷徨する渇望」は、原作アニメへの熱量がやや落ち着いたなかで、純粋なライブパフォーマンスのクオリティが問われる舞台となった。そうして迎えたツアー初日の東京公演、いったい何が起きたのか。

「演出家」としての要楽奈

開演直後、「碧天伴走」「影色舞」の2曲が立て続けに演奏される。MyGO!!!!!楽曲の中でもとくにテンポの速い「碧天伴走」、縦ノリが強調されフェスにおいても人気曲である「影色舞」は、開幕を飾るのに相応しい。

とくに筆者が目を奪われたのは青木陽菜(Lead Gt.)のパフォーマンスである。彼女がリフやソロフレーズを弾く際にはステージ上段に立ち、観客を無表情のままじっと見つめるしぐさが目立った。ステージ1階、上手側の観客たちはそのパフォーマンスに歓声と拳で応えていた。

こうしたパフォーマンスは、彼女が原作アニメにおいて演じるキャラクター・要楽奈の「演出家」としての側面を思い出させる。というのも、楽奈がライブMCの間に即興でアルペジオを弾くシーンが原作アニメにおいては度々登場する。それは彼女の音感と技量の高さを描写したものだが、同時に演出家的視点も持ち合わせる楽奈のパーソナリティも見出せる。楽奈は作中では「野良猫」と呼ばれ集合時刻なども基本守らないような気まぐれな性格の持ち主だが、時折こうした意外な二面性を覗かせていた。そうした楽奈の「演技」としての、青木陽菜のあの堂々とした無表情は、ライブ序盤の「煽り」演出としての役割を、十分すぎるほどに果たしていたように思われる。

「咆哮」する羊宮妃那

その後MCを挟んで披露されたのは「迷星叫」「名無声」「壱雫空」の3曲だ。1stシングルに収録された「迷星叫」「名無声」、そしてアニメOP「壱雫空」が続けて演奏されたことは、まさにこれからMyGO!!!!!のライブが始まるのだという宣言だったかのようだ。ただしそれは単なる始まりではない。「迷星叫」のイントロでは、羊宮妃那(Vo.)がサビのメロディをアカペラのスローテンポで歌い上げるアレンジがなされた。少し意表を突かれるとともに、羊宮妃那の歌唱力に改めて気付かされる演出である。多量の吐息にもかかわらず高音のロングトーンも難なく歌いこなせる彼女の伸びのある歌声は、こうしたスローテンポのメロディにおいてより際立つ。

しかし、羊宮妃那のテクニックが存分に発揮された場面は、なによりもその後の「潜在表明」においてであろう。カバー曲を挟みながら披露されたこの楽曲は、彼女らの楽曲の中でもとりわけポエトリーリーディングのパートが頻出するもので、羊宮が演じる原作アニメにおける主人公・高松燈の心情をダイレクトに表している。

僕であろうとするために この痛みがあるのなら
見失わないように 抱きしめている
誰かが望む理想(いろ)には 僕は変われない だから
何度だって 這い出した 声抱えて生きる

潜在表明/MyGO!!!!!

「潜在表明」において羊宮は、ヒーカップ唱法を多用していた。意図的に声の裏返りをフレーズの随所に取り入れるこの発声は、声色のエモーショナルさを増幅させるテクニックとしてロック系のジャンルにおいて使われることが多い。近年ではAdoの楽曲において頻出するほか、同じく女性声優であれば内田真礼の「創傷イノセンス」などがわかりやすい例だろう。しゃべり声の時点で極めてファルセット(裏声)に近い音色を出す洋宮もこのテクニックを多用しており、それがパンクロックの楽器隊に負けない力強さを保っている。この力強さと、先述したようなスローテンポのメロディに相応しい柔らかい歌声を両立していることは、彼女独特の魅力であろう。同時にそれは、高松燈の「口下手さ」と「頑固さ」の、一見相反した性格の表現にも結びつけられよう。「潜在表明」における燈のダイレクトな心情描写は、こうした歌唱テクニックや、ポエトリーリーデイングが頻出するなかでのリズムキープといった技術によって、たしかに「リアル」なものとしてステージ上に現れていた。

“現実(リアル)”と“仮想(キャラクター)”の同期と反転

こうして昂った感情は、一転して「解放」のベクトルへと向かう。続けて単独ライブにおいて初披露となった「歌いましょう鳴らしましょう」が演奏されたのは、ここしかないというタイミングであった。これまでに高められた熱量は歓声やヘドバンといった形で顕現し、入場直後にはやや冷え込んでいた会場だったが、この頃にはすでに上着を脱いでいる観客も現れていた。

続いて演奏された「音一会」「迷路日々」においてライブはクライマックスを迎えるが、ここでは楽曲の歌詞に注目したい。

俯いて頼りないこの僕も くすぶっていた僕さえも間違いじゃなかったと思えた
そう君がいたから 「ありがとう」

音一会/MyGO!!!!!

ぎこくなくて 消えそうになる足音でも
隣で一緒に 奏でたいよ
迷っても 一生離れない

迷路日々/MyGO!!!!!

作詞担当という設定の燈が、バンドメンバーやリスナーに向けたメッセージをそのまま歌詞にしたような内容だが、このツアーでこれらが現実に歌われたことについて、次のような意味付けをしてみたい。というのは、MyGO!!!!!の公式キャッチコピーは「“現実(リアル)”と“仮想(キャラクター)”が同期するバンド」である。演者である声優たちが、キャラクター名義で生演奏する演出を指すこの言葉の意味からは、今では多少の変化が見出せよう。

冒頭で述べた通り、「アニメキャラの演技」よりも「実在のバンドマンとしてのパフォーマンス」の比重が相対的に増している今、「高松燈の言葉」としての歌詞は「洋宮妃那の本音」に同期しつつある。上記の歌詞は、プロジェクト発足当初は燈の「演技」として(“キャラクター”の仮構として)歌われていたであろうが、今となっては洋宮の「本音」として(“リアル”に伝えられる言葉として)受け取っても不自然ではない。声優の演技によって(=「仮想」に近づくことで)実現していた「同期」はここにおいて反転し、むしろ「仮想」上の言葉が「現実」に近づいているかのようだ。

言うなればそれは、実在するバンド・MyGO!!!!!としてのキャリアが蓄積されてきたこと、初の全国ツアー開始直後という状況だからこそ投げかけられる、洋宮からの「現実」の言葉である。

そしてアンコール直前、最後に披露されたのが新曲「砂寸奏」だ。これは観客にとって大きなサプライズとなった。ギターリフによるイントロは「碧天伴走」を彷彿とさせるが、よりシリアスな雰囲気を感じられる。歌詞にある(そしてツアータイトルである)「彷徨する渇望」というワードが象徴するように、まだまだ活動規模を広げていく貪欲さと攻撃性を感じられるような楽曲だ。その後のMCにおいて、同楽曲は同日にMVが公開されることが発表された。

アンコール後に披露されたのは「無路矢」と「焚音打」である。どちらもライブではお馴染み、とくに「焚音打」は締めの楽曲としておそらく今後も定番化するのであろう。幕間からアンコール直後の熱量を、あの掲げられた拳の風景について何か言うことがあるとすれば、こういうことになる。

このパンクロックの中で同じ熱になれるいまがすべて

焚音打/MyGO!!!!!

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