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かさぶた
久しぶりに次の日に目が腫れるほど泣いた。
我ながら、私は自分のかさぶたを剝がすのが得意だと思った。
昨日、いろいろあった元彼と同じコミュニティーの集まりに顔を出してきた。
大きな集まりだからとくに話すとか対面するとかのタイミングが多いわけではないし、会いたい後輩もいて、悩んだ結果顔を出すことにした。
そして、トラウマいっぱいの場所に行って今の私が何を思うのかも知りたかった。我ながらドMだと思う。
そんな甘い決断のせいで、思ったよりも自分を消費した。
彼はそのコミュニティーの中ではかなり目立つ方の人なので、行ってしまうと目に入れないようにするのが難しかった。
でもそれ以上になぜか未だに彼を目で追ってしまっている自分もいた。
もう他人になった彼は、わたしといた時と同じかそれよりもずっと楽しく、幸せそうに生きているように見えた。
たくさん傷つけあったわたしとの時間なんてなかったみたいに幸せそうに生きている彼を見て悔しいような、寂しいような、悲しいような気持ちになった。
わたしもわたしでそれなりに幸せにいきていたつもりだったのに
彼の幸せにどうしようもなく嫉妬した。
結局のところ私がすがっていただけなんだなあと改めて気づかされて悔しかった。
会ったらきっと私に話しかけに来るだろうなんて言う
そんな傲慢な思い込みも打ちひしがれた。
自分がもう彼にとって何でもないことだけを苦しいほどに実感した。
別に会いたかったわけでも
話したかったわけでもないのに
もう一生あの頃のように何でもない話をすることはないんだと改めて突きつけられた。
なんで私はこんなにも傲慢なんだろう。
自分がもう無理だと思った彼にいまさらこんな気持ちを抱くことが、ただただ失礼で傲慢で自分勝手だと思った。
まわりのみんながいくらわたしの味方をしてくれても、私は自分の傲慢さにほんとうに嫌になる。
誰のせいでもなく自分のせいで不幸なのに
いつまでも彼のせいにしている自分が情けなくなる。
もう大丈夫だと思ったのに全然大丈夫じゃなかった。
もう治ったと思って、かさぶたを剥がしたら
血が止まらなくなった。
この傷はしばらく治らない。
でも治らないからといっていつまでもかさぶたを剥がし続けるんじゃなくて、
その傷を一旦受け入れて、
少しづつ見ないように、気にしないようにしていくしかない。
もう死んでしまいたいと思った夜がきても
1日たって、働いて、駅の地下街のねぎしでちょっぴり贅沢をしてみれば
多少は気持ちも前向きになれる自分の精神に感謝しながらこの文章を書いている。
そろそろ諦めをつけないとね。
自分でも気づいてなかったけど、どこかで彼はまだ多少は自分のことを好きでいてくれてるんじゃないかといまだに勝手な期待を抱いていた。
でも実際は自分だけがずっと忘れられていないだけだった。
そんなことに気付かされて恥ずかしくなる。
かさぶたを剝がして痛かったけど、
1日経って、なんだかすとんとこころに落ちてきた。
たぶんもう1年以上、あたまで分かっていても
心がついてこなかったことに
やっとこころがついてきてくれたようなそんな感じがする。
ほんとはそれも少し強がりなんだけど、
そろそろ自分のことを幸せにしてあげないとね。
またかさぶたを剝がしてしまわないように、
そっと剥がれない絆創膏をはることにした。