Stock im Eisen-Platz(鉄中棒の広場)
シュテファン寺院の近くにStock im Eisen-Platz(鉄中棒の広場)があり、その広場とケルントナー通りのかどの建物にこの鉄中棒(鉄中棒というのは、一本の木の幹に何本もの鉄の釘が打ち込まれているのでこう呼ばれています。)が現在でも見えます。それに関してMartin Mux(マルティン・ムクス)という名前の若者を主人公に、昔のウィーンを場面とする伝説が残っています。
昔々、マルティン・ムクスは錠前職人の見習いをやっていました。親方が厳格で、いつも文句をいう人なので、仕事があまり好きではないいたずらっ子マルティンの生活はあまり楽しくありませんでした。今しがたもまた仕事場で失敗したので、親方に怒られ、面倒くさい仕事を押しつけられて、街壁の外へ行かされました。当時、街の回りはぐるりと壁にとり囲まれていて、街の入り口には門がありました。夜になると門番が門を閉じてしまい、特別な許可や開門料を払わねば街の中に入ることはできませんでした。マルティンの親方は、閉門の時間に間に合うように帰らないと、もう帰ってこなくても良いと親方に言われました。つまり、親方は、体よく厄介払いをしようとしたのです。
が、実はマルティンは帰る気がなく、壁の外で、太陽に暖かく照らされた草地の上で横になり、のんびり昼寝などしていました。
太陽も沈み、人々が皆町の方へ戻ろうとしたとき、彼はすこし不安になりましたが、わざとのらくらして遅れました。暗くなるにつれ、怖気づいて自分のことを本気に考え始めました。お腹が空いても晩ご飯を食べさせてもらえないし、お金もなく、夜に寝る場所さえも見つかるはずもなく、暗く成ればなるほどますます暗い気持ちになって、結局、帰ろうと決心しました。
しかし、やっと市門にたどり着いても運悪く門は閉鎖されたばかりでした。門番は泣き落としはきかず「開門料がなければ、開けられない」と無情に言っていました。「いったいどうやって都合したらいいだろう」
...マルティンは向きを変えて、今来た道を、嘆き悲しみながら歩いていました。
そこへ突然...変な恰好をした人が彼について歩きはじめました。
そして「なんで泣いているのだね?」とマルティンに尋ねました。
「お金がないから市門を開けてもらえず家へ帰られないんだ!」とマルティンはその人に心の中をぶちまけました。
「それだけならば、大したもんじゃないだろう」と言いながら、その人はマルティンに金貨を一つ与えました。
「いったい、あなたはどなたでしょうか」
「シー、静かに。名前で呼ばなくてもかまわないよ」
「お名前を知らないとどうやって返済そればよいのか」
「返さなくてもいいよ」
「それはいけません」
「じゃ、商談を結ぼう」
「商談とは」
「僕の弟子になったら、きみ以外誰ひとりとしてできない錠前や鍛造術を教えてあげよう」
「どうやって弟子になればいいのです?」
「今までしていた生活をそのまま続ければいいよ。でも、一度でも日曜日の礼拝を休むと、その瞬間、きみの魂は私のものになる。」
「あなたは、いやおまえは悪魔なのか」
「名前は呼ばなくてもいいって言ったのに」
「いや、はは、それなら...正直、私は今まで礼拝は一度たりともを休んだことなんてないんだ!」
「いや、はは、それならば私にとって割りにあわない取引になるのかもしれない。」
「きっとそうなるぞ!」
「じゃそういうことで、...いいね?」
「ああ」
そういう簡単な打合せで契約が結ばれ、マルティンは血を三滴与えて約束を固めた後、悪魔から金貨をプレゼントとしてもらうことになりました。
マルティンが市門の方へ戻り金貨を見せると、門番はびっくりしましたが、何も言わずに門を開き、彼を入らせました。夜遅く、親方に言われた仕事もせずに家へ帰ったマルティンでしたが、親方は、不思議に文句一つも言いませんでした。
そして翌日、マルティンは自分の仕事をいつもよりやすやすとやってのけました。悪魔との契約の効果てきめんです。
昼ころ余所者がふいに仕事場に現れ、親方に話しがあると言いました。その余所者はマルティンが昨日会った男と同じ姿で、黒のズボン、赤の上着、そして緑色の帽子に雄鶏の尾羽が三本付いている格好でした。が、それは悪魔なのだとはマルティンしか知りませんでした。
その余所者の依頼は、樹幹を家屋の外壁に固定できる鉄の輪と錠前でした。しかし、鉄の輪と錠前だけなら、錠前職人なら誰でも作れるものですが、その錠前は合う鍵を持っている者にしか開けられないという特別なものでした。
「それは難しいな」と親方は額にしわを寄せて、「ちょっと考えさせてください」と答えました。
「できなければ、他の職人に頼むしかない」とその客は言いました。
「数日後にもう一度いらしゃってください」と功名心をあおられた親方は逃げ口上で、その場をしのぎました。
客が仕事場を出ていった後、親方はすぐ部下の職人たちを集め、相談しましたが、そういう難しい依頼を実現できる職人はいませんでした。
それを聞いたマルティンは勇気を出して、「私に任せてください」と威勢よく言いました。
「なんだよ。ただの見習いのくせに、俺たち職人より自信がありそうだな」と皆は嘲笑いました。が、親方は他の誰もできる者がいないし、仕方なくマルティンにその仕事を任せてみることにしました。そして、「これができれば、すぐに職人免許を与える」という約束をしました。
マルティンはすぐさまそれにとりかかり、鍵治場に火を燃え上がらせて、夜遅くまで一生懸命に鉄床を打ちました。翌日も一日中休みなく働き、なんと二日間で、その鉄の輪と錠前を仕上げてしまいました。
マルティンの仕事の早さにあっけにとられた職人たちが自分で作った合鍵などで開けようと試みましたが、結局無理でした。
そうした所へ、その奇妙な依頼をした客がいつのまんか入ってきていて、しこたま金を支払ってからさも満足げに仕事場を去って行きました。その後、その男はグラーベンとケルントナー通りのかどにあった樹幹を、その鉄の輪で家屋壁に固定し、鍵をした後、姿を消しました。
思ったより早く見習期間を終え、試験に合格できたマルティンは親方に別れを告げ、ウィーンを去って旅立つことにしました。昔の慣例通りマルティンも、見習期間を終えた職人が数年間町から町へ遍歴して、あちこちの仕事場に飛び込み、いろいろな親方の元、さまざまな腕を身につけるという修業の旅に出ることにしたのでした。
しかし、マルティンの仕事はすでにあまりにもすばらしかったので、困った雇い主が彼をすぐさま首にしたこともあります。例えば、ニュレンベルクの或る親方は、腕を自慢したマルティンに「それなら、金敷から窓格子を作ってみな」と冗談で言ったところ、マルティンは意に介さず金敷を火の中に置いたと思うと、あっという間に立派な鉄の格子を作ってしまいました。
「こいつは怪しい、ただごとじゃないぞ」と恐怖に襲われた親方は、「おまえは悪魔と契約しているだろう」と十字を切って叫び、マルティンを追い出してしまいました。「まあ、いいか」とマルティンはぶやき、「そろそろウィーンに帰ろうかな」と独り言を言いながらその場を立ち去りました。
やっと懐かしいウィーンに着いたと思ったら、泊っている宿屋で奇妙な話を聞きました。それは、数年前のこと、誰も知らない余所者が、どういうわけか樹幹を錠前が付いている鉄の輪で家屋壁に固定してしまったのです、その錠前はどんな鍵でもあけられない、という話でした。ウィーンのお上それを不愉快に思い、その錠前が開けられる者をたちまちに錠前職人の親方にすると約束をしたというのです。
それはマルティンにとってよい知らせでした。彼が自分自信で作った錠前と鍵なので、合鍵も作れるはずです。そのために役所に協力を申し出た後、前に働いていた親方の仕事場で合鍵を作ろうとしました。が、これを阻もうと悪魔はこっそり邪魔をして、鍛冶場の火の中に座り、マルティンが鍵を入れる度にいつも鍵の歯を逆にしてしまいました。しかし、マルティンもさるもの、鍵の歯をそのまた逆にして鍛冶場の火に入れ、それに気が付かない悪魔がまた逆にしたので、合鍵は見事に出来上がりました。
そしてマルティンは市長と一緒にその樹幹に行き、錠前に鍵を入れ、鉄の輪をとうとう開けることができました。喜んだ市長はマルティンに即刻市民権を与え、親方検定藩査合格証を発行しました。その日の記念としてマルティンは大きな釘を樹幹に打ち込みました。
それでマルティンは一夜にして有名になり、しだいに色々な難しい依頼を頼まれて、錠前職人として成功しました。しかし、悪魔はこのことでマルティンを恨み、復讐をしようと企てました。
マルティンは今まで礼拝を一度も休んだことがなく、神意にかなった生活をしており、金持ちになっても思い上がった人間になっていませんでした。むしろ、乞食に施し物をしたり、周辺の貧しい人々を助けたりしたので、悪魔は彼の魂を得るチャンスがなくなると心配しだしました。
それ故、悪魔は作戦を立って、マルティンを今後も成功させながらも、悪い仲間に巻き込まれるようにしてしまいました。彼らは教会に行くより酒場でワインを飲む方がずっと好きでした。マルティンも毎週日曜日には午前の一杯を飲みに行くのですが、悪い仲間が敬虔な彼をひきとめようとしても、シュテファン寺院の鐘が鳴ると何をおいても必ず礼拝に行くのでした。
そんなある日の日曜日の朝、マルティンは楽しい仲間と連れたって飲みながらサイコロ遊びをしていましたが、10時の鐘が鳴ると、教会に行こうと立ち上がりました。が、仲間は彼を引き止めて「まあまあ、そんなにいそがなくても。11時にもまた礼拝があるぞ」と言いながら再び椅子に座らせました。「その通りだ」とマルティンは笑って亭主にもう一杯を頼みました。
しかし、11時になるとまた同じことの繰り返し、「12時に最後の礼拝に行けばいいじゃないか」と、また仲間に引き止められ、サイコロ遊びを続けました。12時の鐘が鳴った時、マルティンは稲妻のような速さで跳ね上がって、外へ飛び出していきました。しかし、シュテファン広場に着くと誰もおらず、唯一人老婆が寺院の方から不自由な足をひきずりながら彼の傍らを通り過ぎようとしました。「おばあさん、ミサはまだ終わってないでしょうね」とマルティンは息を切らして尋ねましたが、「もちろんお仕舞だよ、もうすぐ1時だからねえ」と返事がきました。
頭の中が真っ白になったマルティン。彼には広場のまわりを囲んでいる壁がゆがんで寺院の塔が倒れそうに感じました。マルティンはすぐに気を取り直して、急いで近くのペテロ教会に走り、ミサがまだ終わっていないようにと祈りました。が、そこでも同じような老婆に「もう1時だよ」と言われました。必死にミカエル教会の方へ駆けつけても、また同じことの繰り返しでした。
何が起きたのかわからず、目の前が全て朦朧となりながらも、信じられないと思ったマルティンがもう一度シュテファン寺院の方へ戻ろうとしました。するとさっき会った老婆が足をひきずりながらも、驚くほど速く彼と並んで走っていました。絶望したマルティンは気がついたいませんでしたが、その老婆はどんどん大きくなり、シュテファン寺院にたどり着いた時にはすでに巨人のように背が高くなっていました。
次の瞬間、塔の時計が1時を告げ、盲目であったマルティンにも自分の身にふりかかったことの全てをはっきり見通すことができました。悪魔はマルティンを礼拝に出させないと騙したのでした。今や雲をつく
巨人になった連れ合いは「これで本当にお仕舞だ」と恐ろしい声で叫びながら本性を現し、マルティンを殴り倒し、彼の魂を掴んでいったん空に飛び上がって、そして地獄の方へさらって行ってしまいました。
その日から、ウィーンを訪ねる錠前の職人たちが皆、マルティンの教訓として例の樹幹に釘を打ち込むようになりました。次第にその樹幹が釘で覆われ、まるで鉄の鎧を着ているようになり、文字通り鉄中棒になりました。現在ではそういう習慣はすでになくなっていますが、その鉄中棒は今でもそのまま残され、いつでも誰でも見ることができます。