ツァールハイムと不気味なカラスの家
1786年、フランツ・フォン・ツァールハイムという男が殺人罪で有罪判決を受け、ウィーンで処刑されました。その男は貧しい貴族の出身で、公務員として働いていました。実は彼の先祖はウィーンの市長でしたが、フランツはギャンブルで道を踏み誤り給料はいつも足りませんでした。
彼はお金持ちの結婚相手を探し、すでに彼より数歳年上の未亡人に出会うことが出来ました。彼女は資産を持っていると彼に信じ込ませ結婚の誓いに誘い込みました。しかし、彼が彼女にお金を頼んだとき、お金を貸してもらいませんでした。彼女は結婚後まで待って欲しいといつも言い訳をしていました。
その行動にせっかちでイライラした彼は、彼女からお金を奪って、そしてアパートの屋根裏部屋に誘い込み、そこで彼女を刺し殺しました。しかし、彼女の財産を探していたとき、彼はだまされていたことが明らかになりました。
ツァールハイムは、彼女の遺体を後でこっそり屋根裏部屋の櫃に置きました。彼は遺体をドナウ川に投げ込むか、または発見されない場所に隠すことを計画しました。しかし、彼女の失踪はばれていたので、彼はその機会がありませんでした。
結局、死体の匂いが目立つまで遺体が櫃の中に残っていました。腐敗の匂いに惹かれ、百羽以上のカラスが遺体が置かれている屋根裏の窓の周りに集まり、他の住民と最終的に警察がそれに気づき捜査を開始しました。
同時代人にとって、その出来事は神様のヒントとして認識されました。ツァールハイムは自分の状況の絶望を感じ、彼の行為が発見される前に楽しみの熱狂に突入していました。カーニバルの時期だったので、毎晩舞踏会に訪れました。
未亡人の遺体が発見された後、ツァールハイムの逮捕、有罪判決、処刑は1ヶ月以内に行われました。皇帝ヨーゼフ2世は、実際に死刑を執行猶予し、すべての死刑判決を懲役刑に減刑しましたがこの場合には皇帝は例外を作り死刑判決が決まりました。ツァールハイムは貴族の出身だったのでそれも死刑判決になった理由の一つです。
ヨーゼフ2世は、貴族が社会のロールモデルでなければならないという意見だったので、模範を示したいと考えていました。公開処刑は1786年3月10日に行われました。