見出し画像

クニッテルフェルトでの郵便配達員殺人事件

1975年12月2日の朝に郵便配達員ヨハン・フリッツはシュタイアーマルク州でのクニッテルフェルト市のアパートに郵便物の配達に入って行きましたが、正面玄関のすぐ後ろに殺人犯が潜んでいました。鈍い物体は郵便配達員に背後から激突し12回の強力な打撃で彼の頭を打ちました。
12月の初めだったので配達員は郵便物だけでなく、約90万シリング大金額も運んでいました。当時の慣習として年金受給者に年金を届け現金で支払うことが一般的でした。これを知っていた殺人犯はアパートの中で郵便配達員を待ち伏せしました。暗殺後、血まみれで死にかけている被害者は地下室に引きずり込まれ強盗されその後意識不明の状況で残されてしまいました。しかし、加害者は8万シリングのほんの一部しか奪うことができなかったのでプロの犯罪者のようには見えませんでした。犯行から数分後、階段に女性が現れ致命傷を受けた被害者を発見したので犯人はにとって現行犯での目撃の危機一髪でした。
クニッテルフェルト出身の青年はすぐに疑惑の対象となりました。彼は殺人犯のすぐ近くにある高校に通い郵便配達員ヨハン・フリッツを知っていました。そして、すでに洗濯され庭で干されたジーンズの上には検査後に血の痕跡が証明できました。
その高校生は警察の尋問で犯行を告白しましたがウィーンの有名な弁護士が事件に介入した後、彼は自白を取り消しました。容疑者の家族は裕福ではなくどうやってその弁護士を雇って支払えることを誰も知らなかったです。したがって、そのお金は起訴から保護されるべき共犯者の両親から来たという疑いがありました 。
起訴された高校生は裁判にかけられ法廷で証拠は十分ではなかったということが判明しました。目撃者や明確な状況証拠が不足していました。犯行当時、殺人容疑者が学校にいたかどうかは誰にも確信できませんでした。なぜなら、教師は生徒たちの出席を取っていないし、クラスメートさえも容疑者が授業に参加したかどうかを確実に言うことができませんでした。そして、盗まれたお金も凶器も見つからず凶器が大きな石なのか野球のバットのような棍棒なのかさえ確かではなかったです。
殺人の犠牲者の粉々になった頭は、証拠として法廷で見せるために切り落とされていたが、容疑者のジーンズの血の痕跡が被害者の遺伝子と一致するかどうかは不明で、DNA分析は当時にまだ不可能でした。また、警察が殺人容疑者の告白に頼りすぎて、集中的に捜査せずに業務が不十分でした。警察の捜査に様々な欠陥があることを打ち明けた弁護士は陪審員から驚くべき無罪判決を得ることができました。
その後、クニッテルフェルトで事件の噂が広まり他の同級生も共謀の疑いをかけられましたが結局殺人事件は未解決のままです。殺人の犠牲者の妻と息子はまだ生きており、本当の加害者が現在まで発見されていません。今でも殺人犯はクニッテルフェルトに住んでいるかもしれません。


いいなと思ったら応援しよう!