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Die Penzinger Lichtsäule (ペンツィングの光柱)

かなりウィーン川の近く、現在の14区ですが、当時にウィーン中心より西の方にもっと遠い郊外にペンツィングという村がありました。昔から今日までペンツィング教会の前の広場に素朴な石柱が立っており、小さな屋根の下に死者の記念に火のついているろうそくの置き場なので、その石柱は光柱と呼ばれています。
1683年にオスマン帝国がキリスト教諸国に二度目の攻撃をし、トルコ軍がウィーンを攻囲しました。その時、ウィーンの周辺にあった村々がほとんど全て破壊され、村人はトルコ兵の手に落ちないようにウィーン市内あるいは山や森の中へ避難したそうです。
ある少年が燃えつきた生家の瓦礫の中でまだ使えるものを探している間、トルコ軍の兵隊が近づいてくるのに気づきました。彼は見られないうちに教会の方へ逃げ、隠れようとしますが、不幸なことに逃げ場が見つからなかったのです。教会さえも瓦礫の山になってしまい、廃墟の中で隠れることができませんでした。
騎手に追われて、後ろにひづめの音がどんどん近づき、もうすぐ襟首をつかまれて縛られるのかもしれません。そういう気持ちで胸が恐怖のあまり張り裂けそうで、必死に生きるために駆けている少年は最後の瞬間にあの光柱を見つけました。
中がうつろな柱の中央に狭い穴があり、少年が最後の力を振り絞ってそこに入り込もうとしました。それでぎりぎりの瞬間に困窮から救われたのは、教会の廃墟にたどり着いた騎手が少年を見失ったからです。馬を止めて、周辺を捜し回っても少年を見つけることができませんでした。騎手は光柱の小さな穴を見ても、子供などが入れると思わなくて、確かめないで向きを変えて立ち去ったそうです。
前述したようにその光柱はそのまま残っており、現在でも見物できます。上の写真を見たらそこの小さな穴には、どんなに痩せた小人でも本当に入れるかとうかといると、ちょっと信じがたい。しかし、それは伝説の真実を疑うという意味ではなく、むしろその本当らしさの証明を表しているでしょう。

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