
竜とそばかすの姫
<イントロダクション>
青春、家族の絆、親子愛、種族を超えた友情、命の連鎖…。
様々な作品テーマで日本のみならず世界中の観客を魅了し続けるアニメーション映画監督・細田守。
最新作『竜とそばかすの姫』では、かつて『サマーウォーズ』で描いたインターネット世界を舞台に、『時をかける少女』以来となる10代の女子高校生をヒロインに迎えた。
そこで紡ぎ出すのは、母親の死により心に大きな傷を抱えた主人公が、もうひとつの現実と呼ばれる50億人が集うインターネット上の仮想世界<U(ユー)>で大切な存在を見つけ、悩み葛藤しながらも懸命に未来へ歩いていこうとする勇気と希望の物語だ。
現実世界と仮想世界。2つの世界、2つのアニメーション。
細田作品ならではのリアル×ファンタジーの絶妙なマリアージュと、かつてない圧倒的スケールの物語を実現させるため、役者、音楽、デザイン、アニメーション、CGなど各ジャンルに多様性溢れる才能が奇跡の集結。
圧倒的な速度であらゆるものが変化し続ける時代、それでもずっと変わることのない大切なものとは―。
スタジオ地図が10周年を迎える2021年夏。
想像を超えたアニメーション映画“未開の境地”へ、細田守最新作『竜とそばかすの姫』が、ついに辿り着く。
※設定などのネタバレあり
『バケモノの子』と『未来のミライ』に続き、細田さんの単独脚本として3作目の今作。
率直な感想として、やっぱり、、。という印象。
明らかに脚本に問題を感じる。
細田監督はこれまでの作品で、親子関係を重点的に描こうとしてきた。
私は細田監督は紛れもない一流のアニメ演出家として見ているが、同時に、極めて毒親的な親子関係を作り出す作家だと思っている。
子の行動規範や思想の中心に自分(親)がいて欲しいという、親の独りよがりやエゴに満ちており、もっとひねた言葉で言えば、童貞の男の子みたいだなとずっと思ってきた。
今作は予告編からは、親子関係の話だとは受け取れなかったが、やっぱり親子の話だった。
またか!しかも、もっと悪くなってる!!
(強いネタバレ)
細田監督は毒親作家だという意見は、私以外に多くの人が以前から指摘していることなので、多少それを気にしていたのか、今回は明らかな悪役として「悪い親」が登場し、虐待と被虐待児が描かれている。
しかし今まで毒親を描く上では、無自覚かどうかはさておき、奇妙なリアルさに満ちていたが、今作の親子関係はことリアルさを欠いており、その顛末は特にひどいものだ。
この親子は映画の終盤、親子の別離や被虐待児の保護といった具体的な実行がなされることなく、主人公の憐憫的なヒロインイズムと独善的なヒロイズムな行動によって、突如「解決」とされるのだ。
これはご都合主義でもドラマのパワーでもない。
ただひたすらにエゴだ。
前作までに描かれていた主人公周りの歪な親子関係を、アウトプットまではしたが、行動規範は独善と憐憫に偏っており、それで納得するように観客に求めている。
それで他者を救ったと説明される様は、虐待という非常に重たいテーマを扱っていながら、このテーマに対しての軽薄さを強く感じる。
もしや虐待を親子関係のパターンの1つ程度に捉えていて、非常に困難なテーマだとは考えていないのかもしれない。
とても残念だ。
繰り返しになるが、アニメ演出家としての細田監督は、紛れもない一流作家だ。
彼の名前だけで多くの人が劇場に足を運んでくれる、こんなアニメ作家は日本では片手で数える程しかいない。
だからこそ、こんな脚本で細田さんに映画を作らせるのはもう辞めた方がいい。
( N.T )