新幹線グリーン車で颯爽と帰京するの巻【24冬日本半周#最終回】
この連載もついにおしまい、今度こそこれで終わりです。まあまた番外編とかを投稿するかもしれませんが。
旅の終わりはグリーン車
“ラスボス”只見線の5時間に及ぶ乗車も終わりの時を迎えました。終点・小出駅に到着です。長かったぁ。普通に疲れました。死闘と言っても過言ではありませんよ。
東京までの列車は残りあと2つ。小出からは上越線に乗り、数駅先の浦佐駅で降ります。そして浦佐から新幹線に乗り、風のように東京に帰ります。一見あっけない〆方ですが、それがまた良いのだとRさんは説きます。夏の旅行も最後はサンライズで一気に東京に帰っていました。
名誉ある(?)旅の大トリを務めるのは新幹線とき342号。長い旅路を突き進んでくたびれた我々を癒すのは、E7系の素晴らしいグリーン車です。旅の終わりにグリーン車、なんて贅沢な奴らでしょう!!
東京駅までは1時間とちょっとしかありません。この時間、僕の頭の中にはこれまでの2週間の旅の思い出が走馬灯のようにグルグルと浮かんできました。長いようで短い旅でした。この感動の冒険を生涯忘れることはないでしょう。
Rさんとはまた夏に北海道を再訪することを計画しています。その頃には2人とも酒を“合法的に”飲めるので、ニッカのウイスキーをたっぷり堪能しましょう。その際の旅行記もぜひご覧くださいませ!!
故郷・東京に帰る
車窓から尋常じゃない量のビル群が見えてきました。ついに東京に帰って来たのです!!
この旅行中、何人かの知り合いや友達のホームタウンに足を踏み入れました。「こんなところで生まれて18年も住んでいたんだなぁ」とその度に思っていましたが、僕らにも「東京」という故郷があることをすっかり忘れていました。
そんな故郷にようやく帰ることができた。「エモい」という語を簡単に使いたくありませんが、僕の心になにかグッとくるものがあったのは確かです。列車は終点・東京駅に到着しました。
東京生まれの人は恵まれています。自分の住んでいる範囲内で最低以上のものは手に入り、どんなに便利なものでも当たり前のように感じるような環境で暮らせています。
しかしそれに慣れていると、いきなり不便さに直面するときに大変な思いをすることになるでしょう。あえて不便な外に飛び出すことで、人間として生きる知恵がつくのだと思います。
おっと、これ以上話すとまた長くなってしまうので、今度のコラムのネタとしてとっておくことにしましょう。ともかく、僕はこの旅で「自分の力で生きていくこと」を少なからず学んだような気がします。
故・谷村新司の「北陸ロマン」にもこんな一節があります。
まさに今回の旅は僕にとって「初めての旅」でした。旅に困難はつきものですが、この旅行を経験した僕たちならどんなものでも乗り越えられるでしょう。多分ね(笑)。
終わりに~終わりなき旅路~
さて、終着の東京駅に着いてそれからどうしたかと言いますと、僕はそのままお家に帰ったのですが、Rさんはなんとその日のサンライズエクスプレスに乗って(しかもA寝台)高松へと旅立っていきました。なにをしとるんじゃ。
こうして僕らの旅が終わりました。
数日後、RさんとこんなLINEのやりとりをしました。その内容は、、、
テラヲ「4月どこ行こうか迷ってる」
Rさん「それな(笑)」
テラヲ「いや~、どうしようかな~?」
2週間近くも旅をしていたのにも関わらず、それから1ヶ月もしないうちにま~たどこかへ出かけようとたくらんでいるのですねぇ。このように旅人という人間はある種の“病気”を持っていまして、定期的に旅をしないとどうにも落ち着かないのでございます。それが長期旅行だろうが日帰りだろうが変わりません。僕たちの旅路はまだまだ終わりませんよ!!!
それでは最後に、この大旅行の企画・計画の大部分をやってくれたRさん、そしてこれまでの連載を読んでくださった読者の皆さんにお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました、そしてこれからもどうぞよろしくお願い致します!!!!!
ストリングスの旅は始まったばかりです!!!
〈おしまい…かも?〉
※ これは連載記事「鉄路で日本"半周" in 2024 Winter」の一環です。