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地上と窖は紙一重

奇子、東京初日観劇しました。


自担ではないのに東京初日に入る気合いの入りっぷりからわかるように、発表された時からものすごく楽しみにしていました。そもそも五関くんのお芝居が大好きなのと、記念すべき単独初主演、そして『奇子』という演目。これは行くしかないでしょ。


7月19日の新宿は小雨で蒸し暑かった。新宿の雑踏、まとわりつくような不快な空気、本屋さんの奥に佇むどこか暗さを感じる会場。全てが奇子のためのような環境でした。五関くんは新宿が似合う。

原作は読んでから行きました。読了後の後味の悪さはコイベビに通じるものを感じた。この濃すぎる内容をどう演劇にするの? しかも上演時間1時間45分?嘘でしょ? と、想像がつかなかった。

だからこそ、冒頭のシーンには驚いた。ラストシーンから始まるとは思ってもいなかったから。仁朗がメインとなり、過去を回想するように話が進んでいく。その話の切り取り方の無駄の無さ。中屋敷さん、すごい。脱帽です。

そして舞台セット。転換なしの八百屋舞台。シンプルなんだけど意味がたくさん込められているんだろうなあと。多分だけど中央にあるのは女性器? 中は胎内なのかな。性とか生まれることの象徴を持ってきたと解釈しました。それが閉鎖的な窖とか土蔵に見えて恐ろしい。

あと傾斜。インタビューで駒井蓮ちゃんも言っていたけど、傾斜があるだけで見え方が変わってくる。その時々のパワーバランスだとか、感情の浮き沈みだとか。奇子がセンターの一番高いところにいる時の威圧感に圧倒された。演者さん体力的に大変だよね... すごい。

内容的にしょうがないんだけど、近親相姦とか性を取り扱ってるからどうしても性行為は描かれていて。どう表現するのかなあと思ってたら、コンテンポラリーダンスで色気はあるんだけど、上品に扱っていたのが良かった。露骨にされてもちょっとそれは切り取る主題が違うんじゃない?と思ってしまったと思うから。原作もわりと綺麗に描かれてる場合が多いしね。こういうところの中屋敷さんの感性が信用できるなあと思いました。

(1点申し上げるとすればあっちょんぶりけはいらないと思う... びっくりしちゃった...)

全体を通して中屋敷さんの奇子に対する理解の深さと愛の深さがバシバシ伝わってきました。圧巻の一言。大満足。


五関くんについて。

単独初主演おめでとうございます。知ってたけど五関くんは舞台映えする人ですね。舞台の真ん中に立つ五関くんの精悍な顔つきが本当にかっこよかったです。

中屋敷さんが五関くんありきだ、という話をしていましたが、本当にその通りというか。五関くんの持つミステリアスさと軽いところとそれでいて人間くさいところがピッタリでした。任されるべくして任された役だと思います。

ほぼほぼ出ずっぱりで、セリフも多い。演者とのやり取りもあるけど、説明するところも多いから、これ一個セリフ飛んだらやばいだろうなあと勝手に心配してしまいました。完璧でしたね。

五関くんの声が好き。めちゃめちゃ通る。怒鳴るところなんて震えた。

セリフがいちいち癖をついてくる。五関担でもないのに致命傷を食らう。特に好きなのは「俺のことが好きなんだろ?」そりゃ好きに決まってるでしょ!!!

このセリフ2回出てくるんだよね、たしか。お涼へ向けてと奇子に向けて。お涼へは余裕たっぷりに、奇子へは余裕なく必死に。そのギャップが良い。普段五関くんが必死になってるところを見たことがないから、見ていいものかとドキドキしてしまいました。「口を慎め!」「殺してやる」あたりも好きです。

あと身のこなしの美しさ。中盤トレンチコートとハットで現れた時は、言葉を失うほどのかっこよさでした。トレンチコートを翻しながらアクロバットする(中屋敷さんありがとう)のが本当に綺麗。五関くんクラスになるとトレンチコートの裾も操れるのかな?


原作を読んだ時から気になっていたことがあって。それは仁朗が奇子に抱く感情はなんなのか、ということ。五関くんもパンフレットのインタビューで答えていたけど、愛なのか守りたいなのか。伺朗や下田とは違って、仁朗は奇子を女性としては見ていなかったのかなとは思っていて。奇子に迫られても抱くことを拒んでいるし。だからと言って同情からの守りたいなのか?とも考えたけど、仁朗は1回奇子殺そうとしてるしなあ...。でも奇子に対して「愛してる」と原作では言ってるし... この「愛してる」ってなに?とモヤモヤしてました。

観劇して感じたのは五関仁朗は奇子に対して「奇子に真っ当な人生を歩ませてあげたい」という一種の親心を持っていたのではないか、ということ。仁朗がなくなる直前に「奇子と2人で海外に行きたかった。女の幸せはそこにある」みたいなことを言っていたのが印象深くて。罪滅ぼしをしようとしていたのかなあと思うと納得できた。

下田は仁朗に対して「奇子を幸せにしてあげたい」と言うけれど、何が奇子にとっての幸せなんだろうね。ていうかこの時代の女に幸せって何? 

奇子と仁朗が向き合って、その直後に仁朗が倒れる。そのラストの美しさと恐ろしさに息を呑んだ。

窖が発見され、光がさしたとき下田は「窖と外の世界は紙一重だったんだ」と言う。これはフィクション。だけどこういうことはいつでも起こりうるよ、ということを手塚治虫先生は伝えたかったんですかね。

あれ?と思ったのは仁朗が妹のことを「なっちゃん」と呼んだり「志子」と呼んだりしていたこと。(たぶんそう) この違いってなんだろうな~と。 次注意してみよう。


全然まとまってないんだけど... とにかく良かったです。観劇後の心地よい疲労感。この作品に出会わせてくれた五関くんに感謝。もう1回観劇するので、どんな気付きがあるのか楽しみ。










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