【システマ】忘れられないミカエルの思いで
息子のダニールはミカエル没後のウェビナーで「ミカエルとのことを一杯いろんなところで書いてほしい」と言っていた。同時に「言葉だけではどうしようもないけれど」とも言っていた。
ダニールにそういわれたけど、一年以上なかなかなんか書く気がおきなかった。書いていいんだーって思ってただけ。そうなんだー的な。
私はミカエルに生前合計四日ほどしか実際に触れるという意味で会えてないし、ウェビナーはたまに出てたけど、それでも彼がなくなる年は出ることがあまりできなかった。まあ、どうひいき目に見てもあんまり熱心ではない生徒である(イェーイ)
モスクワに行ってもない。彼との思い出はほとんどない。だから逆に数少ない彼とのかかわりの中で私のした質問はすべて覚えている。そして練習の中で名前を呼んでくれたことが合計三回あった。
その中の一回が結構忘れられない体験だったので、もうXとかに複数回すでに書いた話で手垢が付いて申し訳ないのだけど自分の記録のためにまとめてここに書いておく。
ドキッ!名指し
システマ大阪様の15周年記念ウェビナーだったと思う。アーカイブは持ってないが、2020年7月。その時は自分は出張でホテルに泊まっていて、ノートパソコンからウェビナーに参加していた。
ウェビナーではみんなで「倒れ込め」というミカエルの指示で一生懸命倒れ込んでいた。世界各国から沢山の参加者が来ていて、みんな一斉に床に倒れ込むさまは壮観だった(笑)倒れ込む目的もあんまり説明されず、私たちは床に倒れ込み続けた。システマはこういう一見何のためにやるかよくわからないトレーニングが山ほどある。後は体を平手で100回ずつ叩いたりとか……まあ、ともかくその日は「倒れ込め」というトレーニングだった。
その時参加者の画面を見ていたミカエルが唐突に「ペリメニサンの動きを見なさい」と(通訳さん越しに)全員に言った。
全身から一気にブワッと汗が噴き出したのを覚えている。
(え?俺?俺の動きが咎められるのではなく、俺の動きを見ろって言った?)
言われたから私も動きを止めるわけにはいかない。全身から異常発汗しながらも私は倒れ続けた。
その頃はシステマはじめて高々3年とかの頃である。私の動きがいい訳がないのだ。その場には日本中はもとい世界中からめちゃくちゃうまいシステマの人たちがいたのだから、自分の動きが上手いからミカエルから名指しで言われたわけではないのは高慢な私にも当然すぐわかった。
だが、その場でなぜミカエルが私を選んだのか、それにはある種の確信があった。間違いなく、私はあの場で「最も恐怖心なく」「最も思いっきり」倒れる動きができていたのだ。それには自信があった。
ミカエルの意図?
すさまじく未熟だった私だが、その場で私は最も、私よりキャリアが上のシステマの人より「恐怖心なく」「思いっきり」倒れられ込みができていたのには理由があった。なんちゃない、私だけ「ベッドに」倒れ込んでいたからだ(笑)
ホテルに備え付けのベッドに私は倒れ込み続けていたのである。当然ベッドに倒れ込むのだから恐怖心なんかあるわけない。手足を投げ出し、身体を投げ出し、水に全身飛び込むかのように安心して思いっきり倒れ込んだ。
シモンズ社製の、スプリングがよく効いた大型のセミダブルベッドなのだ、倒れ込むときに怖がる方が難しい(笑)
再度書くが勿論その場にはいくらでもシステマの上手い方々がいた、倒れ込み方も魔法のように静かで、音もなく猫のように固い床に床に倒れ込んでらっしゃった。画面越しに見る彼らの動きはほれぼれするものだった。システマではまま、倒れ込むトレーニングをするので、普段からよく練習してらっしゃるのだろうという事がよく分かって練習生として感心していた。
そのとき、私はミカエルを本当に怖い人だなと思った。心底彼の意図に驚かされたと思った。
彼は「ただ」「倒れ込め」と言ったのである。マットの上にとか、硬い床の上にとかそういっていない。倒れ込めと言われたら倒れ込むのである。勿論ベッドの上でも水の中へでもいい。倒れ込めという指示に対して最も倒れ込んでいる人を名指ししたにすぎない。
私がシステマ下手なのはミカエルには当然分かったはずだ。そしてお手本となるべき上手い人がほかに山ほどいたのも当然分かっている。彼との間には私は個人的な関係も思い出もない、私の名前も知らなかったと思うし、それ以前に会ってはいるが、印象もほぼ0だったことだろう。
それでも「倒れ込めと言われて、最も倒れ込んでいるから」その倒れ込む先がスプリング効き過ぎなふわふわベッドであろうとも私を選んだ。その囚われのなさ、その先見のなさ、こっわ……って思った。ミカエルの視点の深さに思い至った時、驚愕した。
ミカエルは何を見ていたのか、という事である。いわばあり方を見ていたのだ。動きの形や習熟度ですらなく、そこに働く恐怖心、あり方だけを見ていたのだ。
ミカエルの訳の分からないエピソードはいくらでもあるが、自分にとっては、自分がかかわったことに関していえば、これは忘れられない話になった。
システマは究極的には言葉を超えたあり方に至る、己を知っていく、そういう”武術”である。
「ある」という事に集約していく。ギリギリ言葉で言えばそういう事である。それは証明や、証拠がどうこう言う世界ではない。
ミカエルはそれを体現してる。自らが体現しているだけでなく、人に指導することができる。比肩する人が私の人生ではほかに見当たらない。
ミカエルの指示はいつもよくわからない。壁をなで繰り回したり、床をこね回したり、倒れたり、転がったり、頭を自分で叩いたり。でもすべてはその時の「ベストなワーク」なのだと思う。何に対してベストか?彼の目指していたものは何なのか?
私がそんなもの、少したりとも分かるわけないじゃないですか(笑)
それはもっとミカエルの事を理解した、ベテランの、あるいは才能のあるインストラクターやダニールなどマスターたちから学ぶしかない。あるいは自分自身で学ぶしかないことだと思う。
彼との思い出を大切に、彼の言葉と、彼と過ごしたワークを大切に、そしてこれからの人生でミカエルを理解しようと、ミカエルの理解しようとしたものを理解しようとして、大切に進んでいきたい。
お話は以上です。読んでくださってありがとうございました。