【時事通信社 Janet 掲載】【コラム】「語学屋の暦」(40)わが古巣・朝日新聞と米誌タイム──苦言呈する気概はあるか 元朝日新聞記者 飯竹恒一(2023/05/16)
【写真】朝日新聞紙面(撮影・飯竹恒一)/米誌タイム表紙=同誌サイトより
この記事は下記の時事通信社Janet(一般非公開のニュースサイト)に2023年5月16日に掲載された記事を転載するものです。
情報が氾濫するネット時代、報道機関はその存在感の後退が指摘されて久しい。しかし、逆にだからこそ、重要テーマについて最後のよりどころであってほしいとも思う。
その点で最近、がくぜんとさせられる出来事があった。わが古巣の朝日新聞が「禍根残さぬ街づくりを」との社説で警鐘を鳴らしたはずの東京・明治神宮外苑の再開発計画をめぐり、三井不動産など事業者側が大々的にPRする全面広告を掲載したのだ。
世界的な音楽家の坂本龍一さんが亡くなる直前、樹木の大量伐採は「すべきでない」という内容の手紙を東京都の小池百合子知事らに送ったことで反対世論が勢いを増した事業。その異議申し立てを美辞麗句でねじ伏せるかのごとく、「神宮外苑を、未来につないでいく」と題したカラー刷りの広告が紙面に踊ったのは、事業の行方のカギを握る東京都環境影響評価審議会が開催された翌日の4月28日の朝刊だった。
何というタイミングだろう。審議会の翌朝に、世論をカネで買ってやると言わんばかりの事業者側の姿勢がそもそも驚きだが、それに応じた朝日新聞は、広告収入欲しさに加担していると言われても仕方ないだろう。これでは、肝心の記事そのものも、事業者側に遠慮しているという疑いを持たれかねない。
手元にあるこの時の東京本社版では、都内版に「『誤り多数』指摘 事業者側が反論」という2段見出しの地味な記事が出た。世界遺産登録の事前審査を担う「日本イコモス国内委員会」の指摘に対し、三井不動産の担当者が「誤りはない」と反論したという内容だ。
前提知識がないまま、大きな広告を横目に記事を読むと、日本イコモスが言いがかりをつけ、事業者側がそれを論破したかのように受け取られる可能性もありそうだ。私自身も審議会はオンラインで傍聴したが、実際のやりとりはむしろ逆で、事業者側による環境影響評価書について「レベルが低い」と断ずる意見もあった。しかし、記事はこの点に触れていない。
ちなみに、この問題で一貫して批判的な報道を展開している東京新聞は「審議会の委員からも『レベルが低い』などと苦言が相次いだ」と伝えていた。あの審議会を取材したのならば、この点がいわばハイライトだととらえるのが、記者の常識的な感性だと思う。
***
問題の全面広告は読売新聞と日経新聞にも掲載されたようだが、政府寄りの印象が強い両紙とは一線を画しているはずの朝日新聞だけに、その衝撃は大きかった。
悲しいのは、この問題で朝日新聞のかつての同僚らに私の問題意識をぶつけてみても、多くの場合、まともな反応がないことだ。
確かに、オンラインメディアを独自に展開している複数の朝日OBはそれぞれ、この問題で古巣を批判した。朝日新聞の看板コラム「天声人語」を担当したOBも自身のツイッターで「ご承知の通り広告は『別腹』…で通るかどうか。私も反対です」との立場を表明していた。
しかし、これはむしろ例外で、専門記者として一線で筆を振るう社員の一人は「広告掲載の真意は分からない」と、事情に通じていない様子だった。逆に、別のかつての仲間は、外苑再開発に深く関わったとされる森喜朗元首相は五輪情報も含めた重要な取材源で、「社内に深く食い込んでいる記者がいる」との背景を説明してくれた。再開発反対で論陣を張りにくい事情の一つだと私は受け止めた。
東京五輪に深く関わった森氏と言えば、朝日新聞は五輪の大会組織委員会とオフィシャルパートナー契約を結んだ。「オフィシャルパートナーとしての活動と言論機関としての報道は一線を画します」と宣言していたが、新型コロナウイルスの感染拡大の中で強行されようとしていた東京五輪のあり方に苦言を呈するのに、自己矛盾を起こしたことは否めないだろう。
思い出すのは2014年の一連の出来事だ。慰安婦強制連行に関する記事を虚偽だったと認めたのに加え、福島第1原発の社員が現地所長の待機命令に違反して撤退したとする記事の取り消しもあった。当時、私は英字版のデスクとして、社がそうした経緯を説明する一連の文書を英訳する仕事を職場の仲間と担った。特に慰安婦問題は国際的な反響も考えながら、一字一句厳密に検討したのをよく記憶している。
さらに、ジャーナリストの池上彰さんの慰安婦問題に関するコラム掲載をめぐる騒動もあった。当時の社長ら社幹部が関与していたとされ、社員集会ではそうした幹部の面前で、一般社員が批判する光景もあった。
社の一連の収拾策をめぐる賛否は今もあるだろうが、少なくとも当時は、ジャーナリズムを担う責任感を貫こうという気概が社内にあったように思う。何か手を打つべきだという「熱さ」を社員が共有していたのは間違いない。
あの時の使命感をもってすれば、今回の広告の件も、社内で目に見えた議論が起きただろう。現実は、あの頃に「おわび」を繰り返した後遺症からか、世間を騒がせるくらいなら、ほどほどのところで済ませておこうという自己規制のスイッチが入ったまま、今に至っているように映る。
記者の端くれでしかなかった私だが、悔しい思いを共有する朝日OBは多いと思う。
***
ところで、それからしばらくして、先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)に臨む岸田文雄首相の記事を掲載した米誌タイムに対し、日本の外務省が抗議した末、オンライン上の見出しが変更されたという一件が話題になった。
「岸田首相が平和主義だった日本を軍事大国に変えようとしている」(Prime Minister Fumio Kishida Is Turning a Once Pacifist Japan Into a Military Power)というのが元の見出しだ。
これを「岸田首相は平和主義だった日本に、国際舞台でいっそう積極的な役割を担わせようとしている」(Prime Minister Fumio Kishida Is Giving a Once Pacifist Japan a More Assertive Role on the Global Stage)に差し替えたというのが問題の変更だが、修正したのはサイト上の見出しだけで、店頭に出回る雑誌はそのままのようだ。しかも、元の表紙データはサイト上に残っている。
この一件をめぐっては、米メディアとしては異例の対応で、日本政府に屈した弱腰な姿勢だと批判する向きもある。しかし、記事の本文では、戦争放棄の憲法9条を持つ日本が軍備増強すれば地域の安全保障環境がかえって危うくなるといった点にも言及があり、見出しがどう転ぼうとも、筆者のメッセージは十分に打ち出されているというのが、私の感想だ。
さらに言えば、この記事で岸田首相にとって一番痛かったのは、むしろ次の一文だろう。
「さらに根本的には、日本の軍備増強は、『核兵器のない世界』を目指すという岸田氏の長年の誓いと食い違うとの見方もある」(More fundamentally, some believe that Japan’s rearmament chafes with Kishida’s longstanding pledges to work toward a nuclear-free world.)
この点では、岸田首相が「核軍縮」がライフワークだとしながら、唯一の被爆国である日本が核兵器禁止条約に参加していないことの矛盾が以前から指摘されている。米国やロシアをはじめとする核兵器保有国がこの条約に参加せず、現実的な取り組みが困難だというのが岸田首相の説明のようだが、米国の核の傘の下にいる以上、米国の意に沿わない行動は取れないという事情が大きいのではないか。
それでいて、防衛費を2027年度に国内総生産(GDP)比2%に増額し、米国から巡航ミサイル「トマホーク」を400発も取得するというのだから、要は米国の言いなりになっている印象だ。「核なき世界」を目指すという言葉もむなしく響く。
記事はとどめを刺すように、カナダ在住の被爆者で、長年、核兵器の廃絶を訴えてきたサーロー節子さんを登場させる。
「岸田外相の下で、日本はいっそう踏み込んだ軍事態勢を取っていて、サーローさんは『警戒している』と話す。『(岸田首相は)最優先課題として、核兵器のない世界を掲げていた。しかし今は、私たちを欺いていたことが分かる』」(Japan’s more aggressive military posture under Kishida makes Thurlow “alarmed,” she says. “[Kishida] said his top priority was to work toward a world free of nuclear weapons. But right now, I realize he was deceiving us.”)
こうして記事を深読みすると、痛いところを突かれた日本政府としては、苦し紛れに見出しに文句をつけて記事のイメージダウンを図ることで、少しでも岸田首相の顔を立てるよう手を打った、というのが真相だったような気もする。
***
思うに、今回のタイムの記事で注目すべきは、日本の防衛費増額について歓迎一辺倒だった欧米メディアの従来の論調から一歩抜け出した点だ。日本が世界第3位の軍事大国になることの歴史的意味や懸念を、欧米メディアを含めた世界にあえて注意喚起したことに、敬意を表したいと思う。
翻って、わが古巣の現状に目を向けたとき、外苑再開発問題にしても、選挙にしても、世論の先頭に立って何かを突破しようという気概は感じられない。取材現場でリベラル系と思われる市民の方々と接すると、「東京新聞は頑張っている」という声を聞くことはあっても、朝日新聞が話題になることは余りなく、あるとすれば「朝日は期待はずれだ」「だから、購読をやめた」という声だ。
駆け出し記者の頃、ある上司が「新聞の究極的な目的は戦争を二度と起こさないことだ」と熱く語ってくれた。交通事故や火事などの現場取材を駆け回る日々だったが、上司のいわば崇高な教えに、心の底からうなずいた記憶がある。
広島サミットは政治ショーとして終わるとしても、朝日新聞の真価が本当に問われるのは、自民党が狙う憲法改正の議論が本格化した時だろう。社運をかけてでも、平和憲法を守る従来の社論を貫く気概があるのか。OBの端くれとして期待しつつ、不安も募らせている。
飯竹恒一(いいたけ・こういち)
フリーランス通訳者・翻訳者
朝日新聞社でパリ勤務など国際報道に携わり、英字版の取材記者やデスクも務めた。東京に加え、岡山、秋田、長野、滋賀でも勤務。その経験を早期退職後、通訳や翻訳に生かしている。全国通訳案内士(英語・フランス語)。