アイデンティティが、なーい
サカナクション 「アイデンティティ」
中学生の僕は、この曲に出会い、サカナクションというバンドにドはまりした。
数えきれない程聴き、カラオケでも、サビを叫び、その度に声を嗄らした。
「アイデンティティ」に出会い、何百回目のイントロが僕の耳を流れた時だったろう。初めて歌詞に意識を向けて、この曲を聴いた数日前。
アイデンティティに悩む少年の嘆きが聞こえ、初めて「アイデンティティ」という曲を聴いた気がした。
一度そうなると、歌詞やMV、そしてCDのジャケットのデザインが、途端に意味を持ち始め、音楽が立体的に組みあがっていく。
簡潔に言うと、「自分らしさ」という意味を持つ(と思われる)、「アイデンティティ」という単語。この”自分らしさ”は、どうにも説明が難しい。好きな服や本、食べ物は、なにかのきっかけで変わる可能性だって、十二分にある。そもそも、そんな表面的な側面で、そんな物差しで、自分を測られたくもない。
僕は、本や音楽や映画など、実に多くのものから影響を受けてきた。それは、言い換えると、”純粋な自分”を失ってきた、とも言える。なにかを知り、なにかに出会うことで、僕の人間としての本質、”ピュアな僕”を失い、次第に僕は、良くも悪くも変わっていった。
深く、深くまで辿っていくと、一秒ごとに、いや”今”この瞬間も、常に世の中は変化し、僕に影響を与え続ける。
すると、"僕"という人間の個性が失われていくようにも感じる。
どれが、本当の自分なんだろう。
だんだんと、哲学的になってきたので、深堀はやめておく。このあたりは、ハイデガー『存在と時間』やベルクソンの『時間と自由』あたりで解決してもらうことにしよう。時を戻そう。
サカナクションの「アイデンティティ」では、”純粋な自分らしさ”を”昔の自分”(10代の頃の自分)としている。大人になっていくにつれて、社会にもまれるにつれて、より”自分らしさ”を失っていく。
みんなは、どんな感情で、この曲を聴いているのだろうか。
海外にいると、「自分が日本人である」ということが、真っ先に”アイデンティティ”として、自分の装備品となり、強味にも弱みにもなりえる。つまり、自分が他者と、周りとはっきりと違う点を、明白な”アイデンティティ”として感じることになる。
これを示すのが、パスポート。逆に言うと、パスポートがなければ、自分が何者であるか、証明できない。
パスポートは決して、空港やホテルのフロントだけで使うものではない。自分が何者であるかを、自らの”アイデンティティ”を、証明するためのもの。
ご承知の通り、本来パスポートは携帯すべきもの、となっている。
ある時、ある街で、僕はパスポートを持ち歩いていなかったことが災いし、海外の警察に半ば事情聴取のようなものを受けることになる。
人生で、忘れもしないトルコでのお話を、後編で話したい。