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トルコで捕まりそう

ディヤルバクル

おそらくこの街を知っている人はあまり多くはないと思う。なぜならば、メディアで紹介されることもほとんどなく、観光客が訪れることもほとんどないから。

場所で言うと、トルコの南東部。南を見るとすぐに、シリアとイラクが見えてくる。

バス乗り場で、受付のトルコ人に、「この街へ行くバスのチケットをくれ」と伝えると、「なんでそんなとこに行くんだ?」と聞かれるくらいに、国外からの観光客は来ない。

なぜ、そんな街へ行ったのか。きっかけは、イスタンブールで出会った日本人の男性との会話だった。

その方は、仕事を転職する前のちょっとした休暇で旅をしている、という人で、歳も確か20代と近く、様々なことを教えてくれた。

「クルド人という民族を知ってる?」

「名前だけは。」

「トルコにディヤルバクルっていう街があってね、そこは住んでいる人たちはほとんどクルド人なんだよね。他の地域のクルド人には会ったことがあって、すごく良い人たちで、その街に行こうと思ってるんだよね。」

クルド人は、約3000万人の民族グループで、トルコやシリア、イラク、イランなどにまたがって暮らしているため、「国を持たない最大の民族」と言われている。言語もクルド語、習慣も民族衣装もトルコ人とは当然異なっている。ちなみに日本にも、2000人程暮らしているらしい。

なるほど、クルド人か。面白そうじゃないの。もともと次にどこに行くかなんて、まったく決まっていない僕は、クルド人に会いに行くことにした。

ディヤルバクルという街は、外務省が発表している危険レベルで言うと、レベル3(シリア、イラクがレベル4でMAX)。
つまり、外務省からは「渡航はやめてください」という、いわゆる渡航中止勧告が出ている街だ。理由としては、話すと、長くなる上、だんだん説明することが増えていくため、簡潔に話すと、トルコ政府とクルド人は歴史的な理由で、とても仲が悪い。その上にこの街にはISの拠点があった。

空爆された場所。トルコ政府による空爆を受けた。

自国の領土を空爆する。日本ではありえないことに衝撃を受けた。ひとつの民族が国民のほぼすべてを占める国である日本しか見てこなかった私は、初めて、民族の違い、宗教の違いを肌で感じた。

僕はこの街でたくさんのクルド人に出会う。観光客が来ないため、ホテルのスタッフもほとんど英語が話せない。

オーナーのような人が少し話せたくらいで、他のスタッフは少しも話せない。ただ、やはりアジア人は珍しいのか、とても親しげに話しかけてきた。

ホテルから出ると、ここでもまた、じろじろと見られる。あまりにも見られるので、なにか顔についてるんじゃないかと何度も確認した。

何度確認しても、何もひっついてなんかいない。ディヤルバクルの人々からすると、そもそも、ぺちゃんこの鼻がついた、彫りの浅い変わった顔が人間の体についてること自体が笑いものだったのかもしれない。

注目されるということは悪いことだけではない。商店街なんかに入ると、すぐに「チャイ、チャイ!」と言って、紅茶を差し出される。

ちなみに、この辺りの紅茶はトルコの紅茶とは少し違って、色も味も濃い特徴的な紅茶を飲んでいる。

止められに止められ、いよいよ、お茶葉屋にも止められた時には、「おっ、ここの紅茶はやはり一味違うんじゃないか」などと期待したが、よそで淹れてあるチャイをコップに並々に注がれ、満面の笑みで渡された時には、もうチャイはこりごりだと心底思った。

僕はこの街で数日過ごした後、滞在しているホテルに荷物を置いたまま、他の街に観光に行くことにした。しかし、ディヤルバクルからバスで片道3時間、シリアとの国境近くのシャンウルファという街に向かう途中ある事件が起きる。

ディヤルバクルのバスターミナルを数十分遅れで出発した。かと思うと、その直後にバスが止まり、フル武装した軍人が入って来て、車内を銃を向けながら隅々まで調べた。何事かと思った。バスに乗っていた現地の人まで、ざわざわとしていたため、それが一層僕を怖がらせた。結局何事もなく出発した。よかった、と思いながら、のんきにバスに揺られているのも束の間、検問があった。またバスは止まり、軍人が入って来て、IDチェックとして身分証の提示を求められた。これが、外務省レベル3か、と思いながらパスポートを取り出す。

、、、あれっ、ない! そうだ、ホテルでパスポートの確認を求められ、そのまま返してもらっていない。持っていた所持品の中で、身分を証明できるものを探したが、クレジットカードしかない。恐る恐るカードを提出したが、それじゃだめだと言われてしまう。



当然だが、カードは身分証明にはならない。名前も自筆の、それに漢字での名前しか載っていない。必死に、「ホテルに置いてきた」ということを英語で伝えようとしたが、英語が少しも通じない。挙句、「とりあえず、バスから降りろ」とジェスチャーで言われた。

「捕まるのかな、それとも...。遺書でも書いてくればよかった。」と本気で思った。

しかし、ここで救世主が現れる。隣に座っていた、若い男、ハマルさん。彼は学生で、英語が少しわかる。「あいつら何者だ?なんだ、あの日本人」という視線を痛い程受けながら、ハマルを連れ、バスから降りた。そして、通訳をしてもらいながら、日本人であること、パスポートをホテルに置いてきてしまったことを必死に説明した。そして、僕の持っていたカメラの写真を漁ったあと、なんとか許してもらえた。

助かった、ありがとうハマル。これで捕まる可能性があったかどうか、などわかりはしないが、少なくともあの時は、「捕まる、、」と本気で思った。あの時の僕の心臓の鼓動の早さは今でも忘れない。

その後ハマルには、僕のノートに、日本人であること、パスポートがないことをトルコ語(クルド語?)で書いてもらった。これで、ハマルがいなくても、生きていける。

帰りのバスでひとりきりの僕は、極度の緊張感をもって臨んだが、一度も検問がなく無事ディヤルバクルに帰り着いた。

安心すると、お腹が減る。すぐに通っていた食堂に腹ごしらえに行った。この店の”ピデ”が最高に旨い。海外で食べた料理の中で群を抜いて金メダル。ちなみにピデはピザの原型と呼ばれる料理。世界三大料理であるトルコ料理は東に行けば行く程、おいしくなってゆくと聞いたことがある。

なにかあっても責任は一切取れないが、ぜひ食べに行ってはいかがか。その時はきちんとパスポートを携帯することをおすすめする。

文・写真:かわづりん
絵:NINA

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