懺悔
いつも誰かに申し訳ないと思い生きてきました。誰に対してなのか、何に対してなのか、皆目検討もつきませんがとにかく申し訳ないのです。加害妄想と罪悪感と希死念慮に苛まれているのです。
私は、インターネットによくいる有象かつ無象の1人、発達障害者です。そして重症ではないものの、2次障害としてうつ病も患っています。そのためであると認めたくはないですが、感情のコントロールと表出が人並みに出来ていない自覚があります。加えて、発達性協調運動障害や聴覚処理障害の問題があり、努力してもどうにもならないことが多いのです。
私が発達障害であると分かったのは20歳になる2週間ほど前でした。それまでは自分の不器用さや注意力の無さなどは、全て自分の努力不足が原因であると思っていました。自分で言うことでもないですが、血のにじむような努力を重ねてきました。それでもあまりにもできないことが多すぎる。周りに多大な迷惑をかけてきました。いくら勉強しても、数学が得意な恋人が親身になって教えてくれても、私は数学Ⅲで何度も0点ないし10点以下を取りました。いくら気をつけていても、物を忘れたり失くしたり、やるべきことを忘れてしまったりしました。動きもぎこちない私が所属する組やチームは運動会などでは必ず負けると言いがかりをつけられ、いじめられてきました。
そういった人生を20年積み重ねてきました。この20年間に、転居、いじめ、身内の死、ペットロス、恋人との別れなど、喪失を多く体験してきました。そして、努力不足の自分を責め続けてきました。自己肯定感は摩耗しほぼ0です。
恐らく、私が根底に抱える申し訳なさはこの自分を責め続けた20年間に由来するものであると考えられます。冒頭に記述した「感情のコントロールと表出」に関しては、この周りへの申し訳なさ故に、すぐ涙が出てしまうことを指しています。
感情それぞれにコップがあるとします。例えば喜怒哀楽、そして私の場合は「申し訳なさ」。私の申し訳なさのコップは常に半分ほど水が入っているのです。そのため、取るに足りない事柄でも、私の申し訳なさの水はすぐに溢れ、涙として出てきてしまうのだと自分では分析しています。そして泣くことでより周りに気を使わせ、時間を取らせ、さらに「申し訳なく」なりコップの水は注ぎ続けられる、悪循環です。しかし、自分勝手な「申し訳なさ」は傲慢で、ある意味では暴力と表裏一体であるとも思えます。「申し訳ありませんでした」と頭を下げれば自分は「悔い改める罪人」になり、許すか許さないかという決断は相手に押し付けることになるのですから。私は許してもらいたくて涙を流している訳では無いですが、外から見れば私は傲慢な罪人の立場と何ら変わりはないのです。
このように書き連ねましたが、私は自分が不幸であるとは思っていません。心の許せる友達が数人、少し過保護な母、話の合う弟、もう亡くなってしまったけれど優しく厳しかった父、今でも連絡をくれる高校時代の養護教諭、そしてフォロワーも気にかけてくれているのを分かっています。自分の不出来に関しては「ADHD」と名前が着いたことで、ある程度諦めがつき、後ろ向きな前向きさを手に入れられました。もう、どちらを向いているかなど関係ないのです。どうせこのまま罪悪感と希死念慮を抱えながら生きていくしかないのですから。そして、4年以上付き合った恋人に振られたので、私はいま自由であるとも言えます。メイ・ ウエストの言葉を借りるならば、いい子は天国に行ける。でも悪女はどこへでも行ける。少し意味は違いますが、どこまでも自分のことを悪いと思っているのならば、いっそ悪女として自由になりたいのです。どこへでも行ってみたいのです。
発達障害は言い訳でも免罪符でもありません。理由と免罪符は別物です。自分を許せるようになるかもしれないきっかけの1つに過ぎません。人並みにできないのだから、人並み以上に努力を重ねるか、環境を変えるかしか生きていく術は無いのです。そうして、できることが増え、自分を許せることが増えれば、この「申し訳なさ」のコップの水も減るのではないかと思います。生きていくのが下手な私は、心の身長みたいなものが皆よりも低いのかもしれません。私は今年で21歳になりますが、「21歳の景色」の中、髪や爪を綺麗に染め、メイクも服も大人びて、心も人間として完成されていく友達が横を駆ける中、私はいつまでも、あの頃の膝丈スカートのままで立ち尽くしているのではないか。そんな気すらしています。変わらなければいけない。モラトリアムという名の制服は、もういい加減に脱がなければいけないのです。
この自粛期間は自分に向き合える良い期間かもしれません。20年間を1ヶ月で変えられるとは思えませんが、すべてを変えるのは想像力です。自分を許したい。そして自分が死んだら、18歳で死別した父に喜んでもらえるような、そんな人生を報告したい。そう思っています。