「偏見とラベリング」8/20の日記

 実習中、プロセスレコードをやった。ある場面を取り上げて、状況と自分の感情、自分が言った/やったことについて、グループメンバーで振り返って自分の感情や考え方の傾向について振り返るものだ。再構成とも呼ばれる。

 そこで、グループメンバーの1人に私はキレてしまった。結構きついことを言ってしまったと思う。でも反省も後悔もしていない。

 そのメンバーは、詳細はぼかすが、全体の振り返りとして「○○さんは××(精神疾患)であるため、ものを投げたり暴れたりすることがある。この情報を知っていたら、もっと焦らせないような声かけができた。」こう言った。 

 許せなかった。自分がコミュニケーションで失敗したことにも気づいていない上に、全てを相手のせいにしている。私はこの場面を見ていたから、相手ではなくてメンバーが悪いことも知っている。疾患の理解も間違っている。患者さんは、メンバーに言われているように暴れてしまうような疾患ではなかった。なにより、相手の疾患ありきで物事を見ていることが許せなかった。

 これは障害は関係ない。そもそも暴れるようなものでもないから、そこの理解も間違っている。なにより、障害を前提として見ることは、その人を障害のカテゴリに放り込んで見ていることになる。障害がその人そのものじゃない。その人の1部として障害があるだけで、障害ありきで人と接するのは違う。相手の診断名を知らないとコミュニケーションも取れないの?これでは再構成をやる意味が無い。

 本当にこう言ったけれど、メンバーの反応を見るに恐らく伝わっていないだろう。何熱くなっちゃってんの?うち間違ってないのに。多分こう思われている。そのメンバー自身、ある障害を持っている。自分自身を障害でラベリングして自分を偏見で見ているから、こういう考え方になるのかもしれない。普段から、上手くいかないことは全てその障害を言い訳にしている子だ。私たち他のメンバーからすると、障害のことなど何も気にしていない。むしろそれを言い訳にして周りの責任にしようとしていることが嫌なのだけれど……。うちの障害を理解して配慮しない周りが悪い。そうやって自分を守ってきたのだろう。

 自分に障害のラベルを貼って、自分の心を守りたいメンバーの気持ちも分かる。その子の障害は少し話すと分かってしまうから、きっと私よりも辛い思いをしてきたんだと思う。彼女だって彼女なりに相当努力して周りに気を使っているのは分かる。空回りしているけれど……。どうしたらいいんだろうか。私にも他人を救えるような余裕は全く無いんだ。

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