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MyGO!!!!!に心を焼かれた一年の回顧録

こんにちは。

デブにちか

お久しぶりです。
たかちほれいです。タドーリスでもあるかも。ドカちほとかっても呼ばれてたりしてます。最近は「あ!ドカ!」って呼ばれました。せめてれいさんがいいな…
全部MyGO!!!!!に出会ってから生まれた名前です。

MyGO!!!!!と出会ってから、もうすでに二年くらいが経ちました。
そもそも5人がどんな性格なのか、何歳なのかもわからない時期からです。声優も分かっていませんでした。

今から考えると、本当に何も知らずに追っかけていた一年があったんだなと浸っちゃいますね。

さて、何もかもが不明瞭なあの時期から、どうして追って来れたのか。
どうしてこんなにも心を打ちつけられてきたのか。
それを考えるためにも、今回はMyGO!!!!!との出会いから運命の分岐点たる4thライブ「前へ進む音の中で」までの軌跡を、完全に私の目線で語っていきたいと思います。

これから語るものは完全に主観によるものです。
人に語るものではなく、あくまで自身の感情、感覚を明瞭にするための文章です。
あくまで一人の経験談として、見ていただけると幸いです。

では。


1: 出会い、Henceforth

MyGO!!!!!が我々の前にその姿を現したのは2022年4月29日。
コロナ禍を迎え、乗りに乗っていたバンドリの栄光が失われつつある、それでも少しづつ前へ進もうとしていた時だった。

かつて行われていた有人かつ発声可能なライブの復興を目指し、地道に明るい方向に進みつつある中、それとは逆の路線として配信文化だったりVtuberだったりが台東してきているそんな時期だった。
現実」と「仮想」が同期するバンド。そんなコンセプトのバンドが、バンドリから生まれた。

「あれ、これってバンドリなの?」「でも公式は何も言及してないよな」「ガルパのイラストじゃないんだ」「オッドアイ白髪ウルフカット!?!?!?」
発表当初思っていたことは精々この程度であった。
本当に急に現れて、ただただライブの発表だけが行われた。

確かに、一年かけて紡がれた歴史があったRASはまだしも、モルフォニカの発表時は随分と荒れた記憶がある。長い間受け入れられずにいた人たちもいた。かくゆう私も、モルフォニカやるじゃねえかって言い出したのはライブの後だったのを覚えている。

MyGO!!!!!は、それらに比べて静かに発表された。
本当に静かに。

バンドリから生まれたはずなのに、バンドリであることが感じられない。
簡単に確保できるだろうバンドリの固定層をあえて無視するような振る舞いには少し違和感を感じた。
これがバンドの方針を考えた末の決定だったのか、それとも一種の販売戦略だったのかは、ただの一学生である私にはわからないことだ。

はてさて、こんな偉そうにMyGO!!!!!を語る私だが、最初は目もくれずに過ごしていたことを忘れずに書いておきたい。
当時、知り合いの中で一番バンドリ好きなのは自分だったし、バンドリに生かされてるレベルだった。入試の現代文はガルパのストーリーの読解で鍛えた話は今でもする。
そんな私が、普通に無視してのうのうと暮らしていた。

どうせ後から見れば追いつける。俺でも追ってないんだ、誰も追っちゃいないさ。
そんな臆病な心が、私の足を止めた。
私は怖かったのだろう。自分が見たことのない場所に向かうことが。
それはきっと誰でもあることで、むしろそんな臆病な人間だからこそMyGO!!!!!の軌跡を追えるのだと今なら言えるが、当時は足がすくんで動けなかった。

しかし、ここで一つ、考えたいことがある。



もしも、舞台少女だったら?


舞台少女だったら、どうなるのか。




皆さんはもちろん少女⭐︎歌劇レヴュースタァライトを見ているのでわかりますね。

舞台少女だったら、どうするべきなのか。

列車は必ず次の駅へ。

では舞台は?
あなたたちは?


😁




愛城華恋は次の舞台へ!!!!!!!!!!!!!!!!!

というわけでたまたまYouTubeにおすすめされたHenceforthの動画を視聴してみた。
震えた。
当初はオリジナル版のHenceforthも知らなかった私だが、その曲にどうしようもなく虜にされたことは良く覚えている。

こちらに強く訴えかけるようで、それでいてどこか別の誰かに訴えかけるような音楽を、それを紡ぐ燈という少女に魅了されてしまったのだ。

運命なんて言葉をMyGO!!!!!には使いたくない。
運命なんて強い力で燈を見つけたなんて、そんなことは思いたくない。
たまたま、運よく出会っただけだ。

それでも燈の歌声は心臓を強く掴んで離さなかった。


2: そのままを抱きしめて

早速1stLiveに応募してみた。

落ちた。

普通にチケット外れた。
運命に賭けたい論理だったのに普通に運命なんて存在しなかった。(ここ書いた当時アニメ化発表前です。ミーハーじゃないので)
セットリストを見て後悔した。
あまりにもバンドリすぎる、ほぼポピパやん。
猛独が襲う…???(視聴ポチー)
うた?うたすぎる。うたじゃん。

シリアル入りのポスターも本当に羨ましかった。
絶対に次は行くと決めた。

バンドリに限った話ではないが、コンテンツライブというものは最後に必ず、次のライブの発表をする。
1stも例外ではなかった。
MyGO!!!!!の記念すべき2nd Live「そのままを抱きしめて」の開催が2022/09/10に決まった。

爆速でカレンダーを確認。空いている。
丁度次の日に虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のライブに行くことが決まっていたこともあり、絶対に行くと決めた。

チケットが外れた。
まーじで終わった。

チケット譲ってもらえた。
まーじで神。

来るはMyGO!!!!!2nd Live。
飛行船シアター童貞はこの日に捨てた。
譲ってもらったとはいえ、箱が小さいおかげで想定の10倍近い。
今までにないほどの緊張が私を襲った。
顔すら知らないガールズバンドを初めて見る日。初めてのライブのBanG Dream! 7th Live Day1 Roselia「Hitze」に並ぶほどの心臓の鼓動。
楽しみすぎる。

ライブ中はアドレナリンドバドバなので特に言えることはない。覚えていないので。
ただただ最高のライブだということは分かっている。

それでも名無声の話だけはしておきたい。
見栄を張らないと息が詰まってしまうような誰かを描いた曲。
外面ばっか気にして生きてきた少女の弱く脆い部分を晒すような歌。

今までの感情が冗談と思えるくらい心に刺さった。網膜に焼きついた。
これ以上はないと感じられるほどに強い歌だった。

あと、らーなちゃんがめっちゃ顔良かったなって。
そんな話を某芸能事務所社長、上田さんと一緒に話した。

3: 大阪で、待ってる。

さてさて、ライブの最後には次のライブの発表がある。

当時の私はどうせ次も東京だ、全然行ってやるぜと思いながらもふざけた顔をしながら連番者のラブライバーに「次、大阪っす笑」なんて馬鹿な言葉を言った。

大阪だった。

めっっっっっっっっっっっっちゃでかい声が出た。
マジでやばかった。
2nd Liveが最高な理由の1割はこれ。
絶対次も行くぞと決めた。

3rd Liveは想像していたよりも近い時期の開催だった。
11/26、COOL JAPAN PARK OSAKA WWホール。
大阪城公園周辺に存在する、どちらかというと漫才とか舞台に使われる会場だ。
その日、初めてクソ余裕な顔をして時間ギリギリに会場に着いた。思えば大阪でライブに行ったのはこの時が初めてではないだろうか。
いや普通に虹ヶ咲4th行ったな。よく考えるとこの前にRASやモニカ、アコステのzeppも行ってる。なんなんだ俺は。

このとき、ついにライブに有志ファンからフラスタが送られるようになってきた。さらに痛バ組んでる化け物も二人以上はいたらしい。声優もわかっていないのに正気か?って思っていた。や、今でも普通にバカだと思ってる。聞こえていますか、一月生まれの兄さん姉さん。

高校の同期や大学のサークル仲間を連れてゾロゾロと会場入りした私だったが、結構ステージが近くて嬉しかった。

三日前くらいに出た影色舞、そして初披露の潜在表明。
初めて聞いたポエトリー・リーディングをすぐには受け入れられなかった。
多分、ここからが本番なんだと震えさせられた。
この日から本当の意味でMyGO!!!!!のファンになったのだと思う。

3.5: 承認欲求Everyday 止まらない。

3rd Liveの中で発表された情報は二つ。
4th Liveの開催と迷子集会の開始である。

今まで我々と彼女たちを繋ぐ手段はライブしかなかったが、そこにもう一つラジオという形が加わった。
これは大きな変化で、彼女たちの人となりをより深く知ることになった。

また、その後からMyGO!!!!!はスニーカーエイジのゲストアクトや11th LiveのOPアクトなど前面に出ることが多くなったと思う。迷星叫のAメロクラップはやめてほしい。個人的にやめてほしい。

私自身、不思議と彼女たちのことばかり考えるようになった。特に名無声と愛音のリンクがとても好きだった。
とても共感できてしまったから。

それはそうとして。
3rd以降、実は大きな転機が私に訪れていた。
当時のMyGO!!!!!は迷星叫、影色舞、潜在表明の三つのジャケットをステッカーとしてそれぞれ10人に渡るようなRTキャンペーンをやっていた。


影色舞が当たった。
めっちゃ嬉しかった。
今までこういうの当たったことなかったから。
席運もチケ運も悪い俺だけど、こういうところは外さないのがやっぱり俺だね。

後輩に自慢しようとして連絡したら、同じものを当てていた。

ん?


ん?

奈良県に2/10?
もしかしてMyGO!!!!!関係者に奈良県に関係深い人間がいたりするのか????
俺の生き別れのお姉ちゃんでもいるのか?????


…なんだか優越感が急激に萎えてきていた。
まあ、当時のRT数なんて全然だったし仕方がない。
切り替えよう。

実物に関しては、誕生日から1週間後に送られてきたのでこれまた嬉しかった。
多分俺が1月生まれなの察してくれた1月生まれのかわいらしい声優さんがMyGO!!!!!メンバーにいたのだと思うピヨね。
ありがとうぴよ。

そうこうしている間に2月になっていた。
2月は前述の通りMyGO!!!!!がOPアクトを務めた11th Liveがあった。
コロナ後初の声出し現場、私のボルテージもMAXだった。
周りはそうでもなかったが。

さて、2月はもう一つ特別な出来事があった。
2/22、楽奈の誕生日である。
要楽奈ではない。正確にもう一度言っておきたい。楽奈である。
#楽奈生誕祭2023である。

当時の公式MyGO!!!!!Twitterはファンアートをいいねしてくれていた。
今では見れなくなってしまって残念だが、確かにいいねをしてくれていた。
それが羨ましくって仕方がなかった私は、絵を描くことにした。

下心しかない私の絵描き。いいね欲しさ。特別になりたさ。ついでに「お、こいつ古参絵描きやん。チケット譲ったろ笑」おじさんとの邂逅を目指し、絵を描いた。
初めてにしてはいい出来だったと思う。
何よりこの経験を通して楽奈ひいてはMyGO!!!!!への愛が強まった。
いい経験だった。

#奈良県 ……?


冬が明けた。
考察派オタク🦀と会った。
4年になった。

それから、4月になった。

4: 上田二連番 〜めばち展を添えて〜

4月9日、私は東京にきた。負けてないから、間違ってないから。負けたのは私、私だけよ。

本当に、夜行バスは座席指定がなければ乗るべきではない。
一人で乗るな。
さもなければ5人席に座らされる。

人生最悪の瞬間だった。
少なくともこの年でこれを超える悪夢はなかった。

友人二人と来たはずなのにパチンコに行きよってまさかの一人ぼっちになった。おかしいだろ。
駅前ファストフード、揚げたてのポテトはラッキーってか????

…一応私も予定があった。
別々に来ていた連番者と合流し、中野に向かい、中野サンプラザ前に至った。
連番者曰く、どうにも約束の地みたいな雰囲気だった。一ヶ月前に何かあったのだろうか。

その後、我らが王、めばち様の画展へと伺った。
ポヤポヤと見ていると画廊にめばち様ご本人がいらしてガチでびっくりした。
実在するんや…


そうこうしながらも遂に約束の地「立川」へと向かった。
後輩付近の人間が度々「立川で、待ってる」などと言っていたが、私個人としてはとあるシリーズの聖地ということで行きたかった場所だった。
実際、風紀委員のグッズを持っていくほどワクワクしていた。

アニメで見たような街並みを見ながらも、会場方面へと向かった。
徐々に濃くなる気配。
会場前はわかりやすかった。ポピパの法被が見えたから。

蹴ってません
蹴ってるような角度で撮ってもらっただけです

この日は本当にいい日だった。
ヤシの実サイダーも買えたし、二人ほど今でも仲のいいオタクと会うことができた。
会うだけで全く喋らなかったし、片方は怖い人だったから俺も喋りたくなかった。でも二人とも愛があったのはわかったから、いい人たちだった。


後輩が有志を募って出したフラスタが会場内には飾られていた。めっちゃ身内ノリで「…上田 上田…」の連盟を作ったフラスタだ。これには僕の高校同期の上田くんもニッコリ。ここからもう一人上田が見つかるのはもうちょい先の話。

いい出来だと思ったが、隣に個人名義のバカデカフラスタがあってちょっとビビった怖い人が作ったやつだった。やっぱり怖い人の認識で正解だったみたいで、なぜか安心した。


…ここまで長々と語ってはきたが、本番はまだ始まっていない。
ヘラヘラしてカスみたいな人間性を出し続けるのもここで一旦おしまい。
今までよりも意味のあるライブであることは、事前の情報からわかっていた。
そして、ここが一つの区切りになることも、なんとなくわかっていた。
だからこそ、ここからが本番だ。

MyGO!!!!! 4th Live 「前へ進む音の中で」

MyGOの「これまで」と「これから」を綴るためのライブ。
それこそが4th Live。

内容は語ることもないだろう。みんな知ってるだろうし、見た方がわかるものもある。
個人的なことだけを言うと、無路矢で考察脳が遂に活性化した。音の美しさに気づくよりも先に歌詞の羅列に興味を唆られてしまった。一方、音一会はただただ感動した。紗幕という演出があるおかげで歌詞が目と耳、二つの情報として私の中に入り込んできた。最初にMyGO!!!!!を聴いた時のように、言葉が突き刺さった。B5は最初大学の棟の名前だと思った。

そして重大な情報解禁。
アニメ化と5th Liveの開催。

それらの情報よりも遥かに大きな衝撃を与えた「声優および名字の解禁」。

「失敗」

千早愛音
CV.立石凛

さすがに全部の言葉が綺麗すぎてびっくりした。

清い川の源流に立っているのかと錯覚した。
朝の澄んだ空気が流れ込んできたのかと錯覚した。
風鈴が鳴ったのかと錯覚した。
午前5時の自然光がわずかに射す、薄暗い部屋の中で読書をしている時と同じ気分だった。
秋の早朝、まだ日が射さない中、風を浴びながら坂を駆け降りていく時のような気分だった。
冬の日の神社の中と同じ空気が私を襲った。

千早愛音。さすがに綺麗すぎる。
立石凛。名前でわかる。美しく、芯の通った子だ。名前でわかる。

「劣等感」

椎名立希
CV.林鼓子

うお、劣等感…納得

椎名ちょっと気持ち良すぎるかも…
林、鼓子…めっちゃいい…

千早…愛音…

「居場所」

要楽奈
CV.青木陽菜

要!?!?!?予想してないのきちゃった!!!!!!いや、文字としての完成度が高すぎるだろ。いいねいいね。
青木氏も最高。名前は当然やけど、顔がいいわ。2ndの暗がりで思ったワイの感想も間違えてないみたいやなガハハ。

…千早愛音?

「後悔」

長崎そよ
CV.小日向美香

うお、急に割と親しみのある名字。いや、あんまり聞かない名字だけどね。
…小日向美香、美しい文字列。

千早愛音。

「何回転んでも、迷っても」

高松燈
CV.羊宮妃那

「迷子でもいい、迷子でも進め」

絶叫。

いや、

絶唱。

落ちる紗幕。

ガチで涙と絶叫でやばかった。
アニメひさしぶりだったし。
自分のバンドリが好きという感情、ここまでの思い、演出と全てが噛み合っていた。

今まで追ってきていたガールズバンドが遂にバンドリの輪の中に入った瞬間だったように感じる。
とにかく、この日は私の人生の中でもトップクラスに楽しく、美しい日だったと思う。

私は、この一年間を無知のまま過ごすことができてよかった。
私は、このわずかな期間を自分一人の意思で追うことができてよかった。
私は、この日を当事者として迎えることができて本当によかった。
心からそう思うし、これから先もずっとそう思って生きたい。

終演後、件の怖い人と後輩と三人で影色舞ステッカー3連番の写真を撮った。まさかの3/10ここで揃うとは…

余談ではあるが、11th Live当時ブシロカード先行物販会場に並んでいたら立希痛バ~影色舞ステッカーを添えて~を携えた方を見かけていた。立希意識で黒いミニスカに黄色いベルトだったのですごい愛のある人だなーと思っていたらまさかの再開をここで果たしちゃった。当時はビビリすぎてすんません。いつもありがとうございます。


夕飯前にふらついていたらHMVにてとあるコラボの自販機があったので、そこで後輩のチェイサーを撮ってきた。実際には蹴っていない。

5-…:  「これから」

4thにて発表された5thLive、アニメ化、そして音一会リリースイベント。
ここから本格的にMyGO!!!!!ファン達と出会い、時には深夜に考察をべらべらとスペースで喋り、時にはリリイベ現場で会った人が同大学であることを知り、時には神が開いた絵チャにふざけた絵を描き、時には夏フェスで一緒に床へ転がり、時には大阪→仙台のムーブを共に取る羽目になり、時には一緒にNote書いてた人が最優秀賞取ったり、そのおこぼれに預かったりとする一年が続いていくわけですが、これはまた追々…

最初の一年は一人でライブを見ているような気分でしたが、次の一年からは自分の周りにもどんどん人が増えていき、また別の楽しさを知ることができました。どっちも楽しい時間でしたが、どちらも2度と味わうことはできません。

高校生の時、ライブに行くか悩んでいた時、母から「一度しかないものは遠慮せずに行け」と言われたことを今でも覚えています。
本当にその通りだと思います。
若さとはこの社会における最強の免罪符です。ゆえに若いうちにやりたいことは全てやっておくべきだと思います。そうして年をとってから、「あの時は大変だったけど懐かしかった」と語りついで笑っていくような人生を、僕は歩んでみたいです。


ドカ


…そのためにも恋愛も、しないとなあ。
つれー。

終わり。

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