ぼっち大学生は、バケットリストを書くことにした。その五十八(あと285日)
こんばんは。ヨタロです。
今日は日中、ちょっとした用事で都内に行ってきました。今日を通じて、なんとなく頭で考えたことをここで共有したいので、バケットリスト消化報告の後、少しお付き合いいただければと思います。話題はずばり「理想の死」です。
「英語の勉強をし直す」
Distinctionチャレンジ52日目。早くも三分冊目の単語が身についてきた感覚があります。この調子で継続、継続。
「朝方人間になる」
昨夜は瞑想効果もあったのか0時には就寝。今朝は6時過ぎに目が覚めました。厳密には我が家で飼ってる猫に起こされたんですけどね。
でもいい感じ。
ちょっとお付き合いください
「理想の死」だなんて、どうしたんや、ヘラっとるんか、と言われるかもですが、何となく今日はそんなことを考える機会があったんです。
どうか、気楽に聞いてください(読んでください)。
皆さんには自分の死に方について考えたことはありますか。なかなか考えないですよね。
考えたとしても、ちょっとすれば、自分が何を考えていたのかなんて、忘れてしまうんじゃないでしょうか。
それぐらい何か「自分ってひょっとしたら死なないんじゃね?」
という謎の自分だけ唯一不死身説を唱えだしちゃったり(笑)
どうしても死は縁遠いですよね。
とはいっても、やっぱり死は訪れるんでしょう。どうしたって。
だったらちょっと考えた方がいいか、理想の死に方。なんて、長期休暇の旅行プランでも考えるかのような感覚で考えてみるわけです。
よく理想的な死に方として、家族や友達に見送られながら眠るように死ぬ、なんて例が挙がりますよね。確かにすごく幸せそうに聞こえます。
でもなんか、その死に方が、理想の死に方としてテンプレート化され過ぎていて気持ちが悪いですよね。
気持ちが悪いというのは、そういうテンプレな死に方をしない人は気の毒、みたいな風潮があるんじゃないか、ということです。ひょっとしたらなにかもだけれど。
でもこの記事を見たほとんどは、理想の死に方、ってキーワードを聞いたら、家族や友人に見送られながら…ってのたまうわけです。
何でしょうね。この、模範解答を言わないとのけ者になる感。
僕の完全な妄想ですけど、今後はもっといろんな人生の締めくくり方、というのが肯定されていく方向に行ったらいいな、なんて思います。
ひょっとしたら現実の世界以外でで死を迎える、なんてこともあるかもしれないし、死期を決める自由、なんてのが権利として当たり前になるかもしれない。逆に何らかの方法で肉体は死滅しても意識を維持しつづけることで、生きてるのか死んでるのかグレーな人だって現れるかもしれない。
妄想ですよ。完全に。
僕の理想の死に方ですか。この先いくらでも変わる可能性はありますけど、今の段階で考えている理想をお示しして、今日は終わりましょうか。
もともと僕は美しい死に方、みたいなのに憧れるタイプで(現実主義的に見えて案外ロマンチストです笑)、周りに忘れられてから、誰も悲しませず、一人ひっそり死ぬ、かもしれません。
これは僕の価値観ですけど、家族や友人を側に置きたくはないですね。僕なら他人の死に際に立ち会うのはできるだけ避けたいですもの。なるべく人の感情を揺さぶらないかたちで、本当に静かに、最期を迎えたいなあ、なんて考えちゃったりします。
だから、小説かなんかで主人公が最後死んだのかどうなのかはっきりしない、ともすれば煮え切らないと思われるようなエンドが結構好みだったりします。「生きてるのかもしれないし、まあひょっとしたら死んでるのかもなあ。」読み終えた瞬間はどっちか気になるけど、しばらくすると「まあどっちでもいいな。」そんな風に思いますよね。
こんな感じ。こんな感じの死に方ですよ。理想は。
とここまで考えて、そんなの現実には難しいし、ちょっとカッコつけすぎかな、とも思いますけどね。
ごめんなさい。なんだかまとまりに欠けますがこの辺で。
皆さんも、あまり深刻にはならずに、それこそ休日の予定を考えるくらいのテンションで、自分の人生の締めくくりについて考えてみるのもいいんじゃないでしょうか。
ではでは。また明日。ヨタロでした
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