見出し画像

(株)NISHINO ラブレター①周ちゃんへ

人生は一刹那。どんな風に生きたって一刹那。

生きているということは変化するということ。永久に楽なのが極楽。永久に苦なのが地獄。瞬間を止めるために写真がある。写真のあなたは一生微笑んでいる。だから幸せな記憶が何度も蘇る。

深夜の記事にも書いたけれど、なにも東日本大震災を写真のように止めなくてもいいと思う。記憶とは書き換えられていくものだから、微笑んでいる写真だけ残せばいいと思う。たしかに悲しい記憶に意味はあるかもしれないけど。限りある脳のキャパで忘れたものを外部メディアで毎年、毎年フラッシュバックさせなくてもいいじゃない。

昨日の企画人の一人周ちゃんはそんな写真や映像が得意。得意なことが世の中にどんな影響を及ぼせるか、考えたり学んでみたら自ずと扉は開くと思う。キネマ倶楽部をあんなに素敵にライブ配信してくださったのは、周ちゃんの先輩ですよ。私には出来ないけど、周ちゃんにはそれができる。勉強も同じだけど、ずっとやってると楽しさを忘れて苦痛になってくる。私には周ちゃんをそんなに理解できないけれど、周ちゃんもそうだったんじゃないかな?

表現方法は魂の媒体だから、映像で表現しやすかったら映像でしたらいいと思う。noteはある程度文章得意じゃないと伝わりにくいから。まーちゃんは東大の院生で書くことが仕事だし、瀬戸ちゃんの学科の入学試験って実は小論文いるんた。そんな2人と比べても仕方ないよ。私は読めてないけど、葛藤もあったみたいで、それって比べることからくるんであって、周ちゃんは周ちゃんの良さをいまは見失ってるんだよ。当たり前だよね。エンタメの最前線に突如叩きこまれたんだから。

私も学問の最前線に叩きこまれたとき、毎日泣いていた。私のこの世界での役割はお嫁さんしかないとすら考えた。すごすぎる才能はときに誰かを押し潰すよね。だけど私はいつか私もそこにいくって、誓って生きていたよ。これからの周ちゃんもそうなのかな?

私が文章を紡ぐようになったのはね、10代の時なにも出来ない時が続いて、あるとき髪を全部剃ったの。自分を世界に捧げて生きることを授かった。それから文章が止まらなくなった。周ちゃんには伝えたいことはありますか?カメラや映像は伝えたいことを伝える技術で、伝えたいことが本当に大事なんだと私は思うよ。それは人を愛しく思ったりするときに込み上げるものだったり、ひとりでいるときに感じる気持ちだったり。写真は瞬間を閉じ込める。愛しい人の愛しい表情。大切な人の遺影。人間への愛がないと写らない真実があるとおもうよ。

だから私が周ちゃんにおせっかいなアドバイスをするならば人を全力で愛してみて。傷ついても、傷ついても。そして一人で孤独になる時間を作ってみて。西野さんの作品にある孤独と愛の理解。まぁお姉さんは周ちゃんが大好きですよ。

本人に届くかわからないけど。これに瀬戸ちゃんVer.を書くと二股感満載だから、周ちゃんだけにして、のちほど瀬戸ちゃんVer.書こうかな。

まーちゃんにインスパイアされて。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?