見出し画像

山に登った人にしかわからないこと

ごきげんよう、美禰子です。受験ブログにすると、ブログに熱中して勉強しなくなるから受験を大々的に宣伝してませんでした。もうお気づきかとおもいますが、美禰子は受験生です。

でも遡ること4月。なんで京大クラスに入れたのかわからないほど不出来でございまして、毎日ずっと辛かった。私は夢を尊重されたようで嬉しかったが、見込みがない人を入れたら本人が辛いだけだ。逃げないでいたら精神がおかしくなっていたと思う。誰も私に期待してなかった。

5月、西野亮廣さんの満願寺展に早くも逃げる。幻想的で夢みたいだった。授業が終わるとすぐ満願寺に向かった。でも現実にも私は京大という夢を見ていた。


そもそも、定時制高校からきた10代じゃない受験生は変わり種でしかなく、優秀な人に押しつぶされる日々だった。それでもなぞの京大クラスコンプレックスを持つ人をTテキスト持ってるだけで威圧したみたいで、心ない言葉を投げつけられたりした。実力なくて名前だけなのに怖がるなよって思ってた。たぶん、私あなたよりできないと思ってた。だから悲しかった。

体調も優れない日が多くなり、授業も休むようになった。だから人生楽しもうに変えたけど、よかったのか悪かったのか。決定的だったのが9/20のようだ。他人のブログで知る自分の転機。この日から何かがこわれた。ついにはインターン生を追っかけて東京や広島に行く日々。年末には天才万博にフル参加笑

でもたしかに私の一年は無駄な一年ではなく、様々な尊い人に出会えた一年だった。出会って下さったみなさま、感謝。

正直学歴を今更手にしたところで何も変わらないと知っていた。でも、学歴を持ってしたいことがあった。

京大は遠すぎた。果てしなく遠すぎた。

今も仰角90度近く。

大阪府立大の障害者特別入試を見つけたとき、肩の荷が下りた。私は障害をもっていて、一般人と戦えるほどすごくないんだから、差別是正を利用できるならしたらいい。頭がちゃんとしている身体障害者ならまだしも、頭がおかしくなる精神障害者なのだから。


でも志望校は絶対下げなかった。
例えば◯◯大やら◯大にしてレベルを下げたら受かる可能性は上がったけど、京大以外行く意味が見当たらないなら、受ける意味も見当たらないのだ。

大学を一回辞めた時思っていたとおり、私は京大レベルになれないなら大学には行かなくていいと自分に再確認した。意味がないから。自分がその程度なら大学なんか行く意味ない。

その大学でお会いした教授が京大文学部出身で、椅子が壊れるほど机に座って勉強したそうだ。憧れた。

楽しい大学生活なんか欲しいわけじゃない。私は私の夢があり叶えたいからその過程に大学がある。

今日、京大プレ返却答案をみて、それでも頑張る気になれなかった。途方もなかった。採点基準がきっと本番は違うはずだと信じた。

早稲田大学受験から帰ってきて、京大の問題をひらくと、もう無理じゃんと終了のファンファーレがなりそうだった。

そうだこの大学はそういう人をはじくんだ。難関に初めから挑まない人、適当に思考を止める人をはじきたいから難問をだすんだ。そうおもったら、最後まで頑張るしかないと思えてきた。

誰が無理といっても、自分が無理だと自分を諦めても、信じてくれた人はいた。
1人じゃなかった。最後の1秒、鉛筆を置く瞬間まで私は京大を諦めない。でもダメだったらもう今年で終わる。

チューターさんにも気にかけていただいている。そりゃ、受験校が実質京大と早稲田大学しかないなら心配しない方がおかしい。A判定でもまさかがある大学たちだもの。

そんな時死ぬこと以外かすり傷を読んだ。
私は京大に熱狂したかな?どこか斜に構えてなかったかな?死ぬこと以外かすり傷なんだから京大にたった1人の熱狂する。燃え尽きてくる。

読んでくださってありがとうございます😊

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?