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「お悔やみ申し上げます」とかは言いたくない

僕はあまのじゃくの強がりだから。
「お悔やみ申し上げます」だとか「ご冥福をお祈りします」だとかは言えない。言いたくない。

そもそも死去とか永眠とか葬儀とか、そんな言葉は似つかわしくない。本当に真逆の存在だと思ってた。
だって、おじいちゃんになってもバンドやるって聞いてたし、メンバーの中では1番長生きしそうじゃん。ねえ。って思ってるのは僕だけかな。


だから最初見たときは夢か幻かと思った。
タイミングがよかったのかわからないけど、その日は会社の人とたまたま飲んでて、会社の人と最寄り駅まで一緒だったから、スマホで音楽ナタリーの見出しを見たのが家に帰った夜の11時過ぎ。一瞬で頭の中にはてなマークがいっぱいになった。飲み込めなかった。「10年後もバンドやりたい」って言ってたのを思い出した。酔ってるから朝になったら違ったらいいなと思って寝た。

朝になってもなにも変わってなかった。

しないといけないことがあってよかった。
何もしなければ涙で溢れそうだったから。
ふるさと納税で取り寄せたスープを飲んだ。食器を洗った。
お風呂にも入った。学んだことのアウトプットもした。
それでも涙は止まらなかった。

考えちゃう。なんでって。どういうことって。
先月ライブで見たばかりだよ。アリーナ席で見てたんだよ。ツアーが終わって1週間も経ってないじゃない。
気になるものは気になるし、考えたくなくても考えちゃう。
笑う気分にもなれない。絵文字も使えない。
同じ心境の方のついーとをひたすらいいねしていた。
1人ではどうにかなりそうだった。
発売されたMV集を街に探しに行った。
「追悼」の文字を見ると愛されてるなって思ったけど、なぜその言葉が使われるようになったのかは理解が追いつかなかった。
MV集は見つからなくて結局ネット注文にした。

帰ってきて、スープにご飯を放り込んで雑炊にして食べて、お風呂に入った。
肩甲骨らへんが強張ってて寒気がした。
早めに寝ようと思って寝た。あまり眠れなかった。

目覚めた。38.5℃あった。ロキソニンを飲んだ。
右目も痛い。泣いて腫れたんだと思った。
やっぱりやること手につかない。
まだまだ何かしていないと涙がこぼれそうで、掃除や洗濯が捗った。
おひさまに当たれば少しはマシになるかなと思った。
いなくなった人を取り残して時が進んでいく世界が意味わからなくて、旅立った人がいるのになんで世界はこんなに明るいのだろうと思うと苦しくて、逆効果だった。
おひさまが辛いって初めてだった。
お昼には微熱程度に下がった。

怖くて、認めるのが嫌で、曲を聞けなかった。
でも、誰かと一緒なら、FM802のDJたちと、リスナーたちと一緒なら、この悲しみを分かち合えるかなと思って、勇気を出してradikoで聞いてみた。

どのDJさんも信じられない、受け止めきれてない、とおっしゃってた。リスナーからの投稿を読んでいるその声は少し震えて、涙をこらえているようにも感じた。みんな大好きなんだなって思った。投稿を聞いて泣いて、DJさんの話を聞いて泣いて、かけてくれた曲を聞いて泣いて、たくさん泣いた。
ちょっとだけ楽になった。
ちゃんと水分とエネルギーを摂るようにして、疲れ果てて8時半には寝た。

次の日は朝からお客さん先に訪問だった。
いつもより少し早めに出た。
うまく笑えるか不安だった。人とちゃんと話せるか心配だった。
一瞬だけ迷子になった。「ここはどこ〜」っておちゃらける自分がいて、なんだかほっとした。
なんてことはなかった。どっちもうまくいけた。
かっこいいギターソロなら聞けると思った。
目元は荒れていった。

次の日は会社に行って、会議に出て、お昼にはもう疲労困憊だった。頭が、体が、限界だった。
半休をもらって、あったかいうどんを食べた。
三日三晩、ずっと頭が冴えっぱなしだったと気付いた。あったかい布団にダイブした。

目が覚めたら、だいぶ春らしさを感じるようになっていた。まるで春を連れてきてくれたみたい。
映像はまだ見れなかったけど、曲だけは聞くことができた。ギターソロがかっこいい曲から聞いていった。
春の歌も口ずさむことができるようになっていた。
お腹は空いた。とても空いた。生きようと、体は回復しようとしてるんだなって思ってた。


訃報を聞いて、体に影響が出るほどショックを受けるとは思わなかった。
他の方のを聞いて悲しさは感じても、それだけだったから。
初めての経験だった。
でも、逆に、僕は隼ちゃんのことがとっても好きだったんだな。って気付いた。

隼ちゃんの作った曲が、
隼ちゃんのクシャッとした笑顔が、
隼ちゃんの少し高めの世界一のギター演奏が、
いつしか僕の日常に溶け込んで、大事なものになっていたんだ。って。
「今の私の半分以上があなたでできていた」んだって。

そう思ったとき、隼ちゃんは簡単には触れられないところまで遠くに行ってしまったけど、1番近くにいる。そんな気がした。
いつでも僕のことを後押ししてくれる。そんな気がした。
不思議なことに、そう思うと曲も聞けるし、映像も見れるし、ライブTシャツも着れる。そんな気がした。
日常を再び歩き出すことができた。


ねえ、隼ちゃん。
僕は気もそぞろになりやすいし、変化による不安もつきないから、ずーっと春のこと苦手だったんだよ。
でも隼ちゃんの作った「春風」が僕の不安を包み込んでくれて、春を受け入れられそうに、好きになれそうになったんだよ。
他にも「ふっかつのじゅもん」のサムネとかさ、いっぱい好きなところがあるんだよ。てんてんの「ソーダ」めちゃくちゃ楽しかったよね。
隼ちゃんの曲はどれもあたたかくて大好きなんだよ。

ねえ、隼ちゃん。
ギターがワイヤレスになったからどこにでも行けるって、ライブで嬉しそうに言っていたよね。
でも急にそんな遠くに行かなくてもいいじゃない。
そっちでもギター弾いてるのかな。はぐれた心を繋ぐように、こっちに音を聴かせてくれてるのかな。

ねえ、隼ちゃん。
おがりんが、バロンさんが、片岡さんがコメントを出してくれたんだよ。
「またsumikaとして歩いていきたい」って。
どれだけ嬉しくて、どれだけ安心できて、どれだけ心強いことか。
4人の演奏がもう聞けなくなるのがとっても寂しくて悲しいけど、sumikaはこれからも4人でsumikaだよね。そんな気がするんだ。
sumikaと一緒に「たくさん泣いて、たくさん笑って」生きていくからね。


隼ちゃん。
おがりんと出逢ってくれてありがとう。
バロンさんと出逢ってくれてありがとう。
片岡さんと出逢ってくれてありがとう。
sumikaとして住人さんと出逢ってくれてありがとう。
僕と出逢ってくれてありがとう。
いっぱい元気と優しさと笑顔を届けてくれてありがとう。
ずっと大好きでした。これからもずっと大好きです。愛してます。
これからもずっと聞いていくからね。


でも、2週間経ってもやっぱり受け入れがたいよ。
春のような隼ちゃんには「お悔やみ」とか「ご冥福」とかは縁遠いよ。

だから。だから。だから。
僕からはこの言葉で、祈らせてください。
sumikaの歌詞の中でも1番、とびっきり大好きなフレーズで。

春の気を纏う貴方の口の
端が上がりますようにと
春風/sumika(作詞:片岡健太 作曲:黒田隼之介)


ねえ、隼ちゃん。春がやってきたよ。


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