Runawayの話といま思うこと
きっと、眠れないまま、いろんなことをぐるぐるぐるぐる考えたまま、朝を迎えたことがあるひとなんだと思う。それも、一回ではなく何度も。
作品として書かれた詞に個人のバックグラウンドを考えてしまうのはあまり良くないかなあと思いつつ、その詞が生まれたのはそのひとの今までがあってこそだという気持ちもあるので、これは誰のためでもない、わたしによるわたしのための感情の記録として書いている。
好きなひとが作詞に参加した曲がアルバムに入ると知ってから、音源解禁の日までなかなか落ち着けなかった。歌詞って文学だから、人によって好みも分かれると思うけど、わたしはたじまくんの書く詞が自分の好みどんぴしゃりだった。
How are youの詞だけを見てどこが好きですか?と問われたら、迷わずたじまくんの詞を選べる自信がある。考えるよりも前に自分の心がぐっと引っぱられてしまう、そんな感じ。
たじまくんは、インプットをたくさんするひとだと思う。本をたくさん読んで、映画もドラマも数多く観て、音楽も幅広く聴いて。たくさんのことを吸収していると思うんだけど、そこで感じた気持ちを自分の言葉にして人に伝えることはあまり得意ではないのかな、と感じることがある。
たぶん、心と身体いっぱいいっぱいにインプットしたものをステージというフィルターに通して(ろ過みたいなイメージ)パフォーマンスだったりリリックに昇華する、みたいな感じなのかな。そんなことを考えていたら直近の雑誌で本人がインプットの話をしていてちょっと驚いた。
話を戻して、Runawayのこと。
どこからどこまでの詞を書きました、とはまだハッキリ明かされていないけど、「夢」だったり「波」だったり「旅路」だったり、なんだかたじまくんらしいなあと感じる言葉がキーになっているから、この曲そのものがたじまくんみたいだなと思ってしまう。少しスローでやわらかいけど、推進力はあってちょっとお洒落さも感じる音。
自分のパート〜理人のパートは作詞箇所かなと。正直、"いつものように悩む 寝れない夜が心蝕む"なんて詞を歌われたときは心がキュッと苦しくなってちょっと涙が出た。とある雑誌の内容と、前夜祭での話的にもそのあとに来る "叫びたいけれどどこに行っても結局叫べなかった"もおそらくたじまくんの詞で。結構前のフロイニで、家に帰ったあとひとりで叫んでる日がある〜みたいな話をしていた記憶がある。叫ぶとスッキリする!と笑って話していたけど、今でもやってるんだろうか。今のたじまくんは、きっとどこかでちゃんと叫べているんじゃないかな。そんな気がする。
眠れない夜があったり、何かを叫びたくても叫べなかったり、うまく前に進めなくてもどかしさを感じるときもあるけれど、そのもどかしさも抱きしめて自分の一部にしながら一緒に前へ進んでいくような、そんな曲。
"暗闇の中を突き進んでいこうか" "夢の中でもう少しだけ彷徨いたい" この辺りのフレーズを聴いたときに、ふと思ったことがある。iniを たじまくんを好きになってからのわたしは、ずっとずっと夢の中に居るみたいで。だけどそれってきっと向こうも、というかわたしよりもっとずっと向こうの方が、夢の中に居るみたいなんじゃないだろうか。
Runawayを聴いたとき、一年くらい前に たじまくんがメンバーを"同じ夢を持ったCrew"と話していたことを思い出した。
この先、進む道がわからなくなったとき、暗闇で前が見えなくなったとき、そんなときが来てもこの11人ならきっと前に進むことができるんだと思う。でも、できることなら。大好きなアイドルたちの旅路は、暗闇よりもきらきらした光に照らされていてほしい。
かなしいことよりも多くうれしいことが、傷つくことよりももっとずっと多く幸せなことが、彼らの進んだ道の先にありますよう。
(誰かにとっての支えだったり寄り添いだったりやさしいひかりになったりするような音楽に、自分の好きなひとが関わってるということがたまらなくうれしく幸せで誇らしいです、素敵なリリックをありがとう)