演劇の”魔法”を届けたい『χορός/コロス』インタビュー
ハボ まずは自己紹介をお願いします。
ウォーリー ストレンジシード静岡のフェスティバルディレクターをやっています、ウォーリー木下です。今回はそれと同時に『χορός/コロス』(以下『コロス』)という野外作品の作・演出をやらせていただくことになりました、よろしくお願いします。
いいむろ いいむろなおきです。普段はマイムとかパントマイムという身体表現を中心としたものをやっていまして、ストレンジシードには過去2度ほど関わらせていただいております。今回はウォーリー木下さん演出の作品で何をやるのかわからないんですけども(笑)色々とやらされるというそんなポジションで無茶ぶりに耐えていく心づもりです、よろしくお願いします。
ハボ 70名もの方々が参加される今回の『コロス』にはクリエイションメンバーが4名ほどいらっしゃったかと思います。その方々もご紹介いただけますでしょうか。
ウォーリー 金井ケイスケさんというサーカスアーティストの方、黒木夏海さんは東京2020パラリンピック開会式にも出ていらっしゃったりとかする僕としてはとても頼りがいのあるクリエイターでアーティストです。
冨田昌則さんはアクションの指導と振付で参加してくれます。冨田さんも普段はパフォーマーとして舞台に立ってる方なので出演もしていただきます。
吉田能さんはピアニストでもあると 同時に作曲家でアレンジャーでいろんな楽器も演奏できる人なので、今回は生演奏でピアノを弾きながらドラムを叩いたりとかいろんなことをする予定です。
昔から憧れていた”合戦”を、いざ
ハボ 今回タイトルが『コロス』ということで、このタイトルに込められた意味を伺えますでしょうか。
ウォーリー とにかくたくさん人が出る舞台を作りたい!という10年以上前からの夢があって、出来ればそれを野外で上演したいなあという気持ちを温めていました。
普段僕は、主人公がいて、脇役がいて、その他大勢がいる……という形式の物語や舞台を作っています。けれどそれを長い間作ってるとどこか感覚がおかしくなるというか、実際の人生とまるっきり違うじゃないですか。
この世界を見る限り絶対的な主人公なんていなくて、全員が主人公であり、全員が脇役のはずなのに、演劇やドラマになると急に〈主人公〉が現れて物事を進めて見せていくっていうことに違和感をずっと感じていて。
集団自体が主人公になるような作品を作ることで新しい物語を語ることができないかなってずっと思ってまして、それはギリシャ演劇における『コロス』※1という役割のものだと思ったので今回はタイトルに『コロス』を入れました。
今回のお話の中で人が生きたり死んだり生かしたり殺したり……というような怖い話もちょっと出てくるので、その「殺す」も入ってるんですけども、基本的には〈たくさんの市民たちのお話〉ということになります。
ハボ 主役・脇役と言えば、いいむろさんが動きを表現なさる際に「主役の動き」「脇役の動き」にはどんな違いがありますか?
いいむろ 主役と脇役ってあんまり考えたことがないのかもしれないなぁ。自分が作る作品でも主役のようなポジションでもあるけど主役じゃなかったり、どんどん人物がスイッチしていったり、一周回って繋がってる感覚が好きなのもあって、あんまり意識したことないですね。
ハボ 劇場で70名集めるのと、屋外で70名集めるのとだとどこがどう違いそうですか?
ウォーリー 昔からやりたかったことのひとつが、大河ドラマとか時代劇とか海外の戦争ものとかでよくあるような、すっごい大量の兵士たちが「ウワーーーーッ!!」って襲いかかってきたりするシーンがあるじゃないですか。
あれって、たとえば映像の撮影にお邪魔すれば見れるのかもしれないけど、僕はまだ一度も見たことがないから1回見てみたいなと。
そしてそれを映像じゃなくて生の舞台でやったら面白いなと思ったんですよ、合戦のシーンってやっぱり野外でやる面白さってありますよね。
今回そういうシーンをどうやって作り上げるのかまだこれからですが、野外の良さっていうのはそういう部分があるのかなと思います。
ハボ いいむろさんは、そこにどの様に絡んでいかれるのでしょうか。野外パフォーマンスのご経験も沢山お有りだと思うんですが、今回のこの作品で特に気にかけてらっしゃるところがあればお伺いしたいです。
いいむろ ウォーリーさんが言ってる通り、普段は公園だったり普通に暮らしているような場所にたくさんの人が集まってひとつの想いで動いているっていうことがどんな風になるのかという想像でわくわくしています、すごい面白いだろうな。
街中の風景を見るのが好きなんだけど、作られたものとして集団での動きっていうものが街中の普段ないところに現れるっていうのが一体どんな風に見えるのかな?という期待と不安がありますね。
この場所でしか出来ない”祝祭”を
天野 今回「フェスティバルgarden」で上演することが決まって、元々の「大人数で合戦をやりたい!」という構想に対して、「ここはこうしよう」と変えた演出だったり、逆に「ここは変えないでおこう!」と思った演出はありますか?
ウォーリー フェスティバルgardenには大きい木が1本生えているんですが、見れば見るほどすごく魅力的な木に見えてきました。それこそあんな大きな木を劇場に作ろうと思ったら何百万ってかかるのが今回はタダで使えるわけで(笑)。
あの木が持ってるエネルギーとか物語とか想像力みたいなものにすごく引き寄せられたので、お話の中でも木の存在は大事になってます。それはあの場所だからこそそうなりました。
もうひとつ、フェスティバルgardenは今年のストレンジシードの中心的な存在になっています。お客さんが最初にここに来て地図をもらって色んな場所に遊びに行って、そして疲れたら帰ってきてちょっと休憩してお茶飲んで……みたいな、情報発信の場所でもあり憩いの場所でもありという、フェスティバル自体のエネルギーが一番感じられる場所で上演することになったので、作品としてそういう祝祭感みたいなものは必要だなとは思いました。
ここで上演することでとても楽しいものになりそうな気がしてます。
ハボ ちなみに、今回作品の中で「静岡だからこそやりたいこと」はありますか?
いいむろ 静岡には「大道芸ワールドカップ」※2があるので、市民の皆さんが野外でのパフォーマンスを観ることに慣れていたり、SPAC※3があるので演劇に対しても身近さを感じていらっしゃる。その点が都会の中心部とも、もっと地方のほうの感覚ともまた違い、不思議なところだなと思っています。
ストレンジシードで上演する作品に対しても前向きだったり優しいお客さんが多いという印象が僕はあるので、その環境の中だからこそやれることを何か!と今は漠然と考えています。
天野 今回たくさんの数のベッドを美術で使うとお聞きしたのですが。
ウォーリー これも「ベッドっていいな、ベッドだけの芝居が作りたいな」と前からずっと思ってたんですけど、時が来たと思って。
僕が人生で初めて作ったストリートシアターが韓国のチュンチョンに呼ばれて1ヶ月滞在した時なんですけど、その時にショッピングモールみたいなところに枕と布団を持って行って役者さんに道端で寝てもらうシーンから始めたんです。
なぜかわかんないけど道端で寝るっていう行為がストリートシアターだと感じたのもあって、今回の『コロス』にもハマると思ったんだよね。非現実的な風景というかなんというか。
ハボ (上演場所のフェスティバルgardenが)スタート地点でもありまた帰ってくるところでもあり……と考えると、寝床ってそういう場所かもしれないですね。
演劇の”魔法”を届けたい
ハボ 毎日朝一番のプログラムとして『コロス』が上演されますが、観劇したお客さんたちがこんな気持ちになってその後の1日をすごしてほしい!といったイメージはありますか?
ウォーリー 生身の人間が創るフィクションの強度というか、簡単に言うと「演劇ってすごい魔法だな」みたいなことを感じてもらえたら、僕らはこのフェスティバルに対して貢献できたんじゃないかと思います。
「いや結局作り物じゃん」とか「ちょっとした面白いパレードだったね」みたいな感想で終わっちゃうと、その後のフェスティバルを見るときの目線があんまり……いや僕ら以外のアーティストに頑張ってもらえばいいんですけど(笑)。
でもフェスの始まりを告げるこの作品が「なんだったんだろうあれは!!!」って感覚をお客さんに与えることで、この後に見に行くいろんな作品や、普通の景色がいつもと違って見えるんじゃないかと思っているので、そういうものを頑張って作ります!!!
ハボ 今おっしゃった”魔法”をもう少し掘り下げていただけますか?どんな魔法でしょうか?
ウォーリー ひとつは観客の人たちが今この瞬間に立ち会ってること、今ここに私がいることの奇跡。
たとえば雨が降ってきてダンサーがびしょ濡れで踊ってる姿を見た時に「今ここに私がいたことでこれに立ち会えた!」と思うじゃないですか、自分の存在がとても明確になるというか。劇場だと意図的に作られたものなんだけど、ストリートシアターはもっと偶発的なことばっかりが起こるから、お客さんの中で一期一会感が強くてそれは魔法だなと思う。
もうひとつ、これ劇場の演劇でもそうだけど、目の前で起こっていることはひとつしかないのに、お客さんが100人いたらそれぞれのお客さんの中で100個の作品が出来上がる。
雨や風、空がきれいで、踊っている人じゃないほうをぼんやり眺めてしまった、みたいなノイズが劇場よりもストリートシアターのほうが多いぶん、可能性が広がっていきますよね。
それこそその時の空に映る姿で作品の良さが決まったりするじゃないですか。空なんて別に僕らなにも演出してないんだけど、勝手にお客さんはそう思ってくれる。
そういうそれぞれの観客の中で別々のものが生まれるっていうのは素晴らしい魔法ですよね。
いいむろ ストリートシアターには、僕らの手では何ともできないことがあるんですよね。車が通る音とか遠くで子供が泣いてる声とか僕らよりも強いものがたくさんある中で、まわりの環境と喧嘩せずに融合していくことで、さらに不思議に見えたり、物語が広がったりしていくっていうのは確かに魔法のような感覚ですよね。
劇場でもそうだけど、二度と同じ回はないっていう面白さみたいなものとかレア感っていうのでお客さんも楽しいんじゃないでしょうか。
ハボ お客さんの意気込み具合もストリートのほうが幅が広いというか「よし見るぞ!!!」と思って来てくださってるお客さんもいれば、「なんかやってる、なんだあれ」ぐらいでチラッと見たお客さんもいらっしゃるからこそなんでしょうね。
そんな人たちが同じ時に同じ場所にいる奇跡みたいなものがストリートの醍醐味なのではとお話を聞きながら思いました。
これぞストリートシアター!……ってなんだ?
天野 最後に、ストレンジシードを見に来てくださる方やインタビューを読んでいる方に向けて意気込みやメッセージをお願いします。
いいむろ 僕にとってもストレンジシードって挑戦だなといつも思っているんですよね。さっきウォーリーさんが〈一期一会〉と言った通り、再演不可能で公演をやった回数だけ違うものになっていくんじゃないか?という生ものの面白さとか、この場で生まれる面白さみたいなものに皆さんに触れてもらいたいです。
お客さんと同じようなワクワク感を、出演者もスタッフも思っているんじゃないかなと。
演劇って非常に効率の悪いものじゃないですか、残せるものじゃないからこそ〈その一瞬を見れる幸せ〉みたいなものを皆さんで共有できたら面白いんじゃないかな。
何がどうなるのかまったくわからないけれど、楽しみにしていてください!
ウォーリー 今年は「ストリートシアターってなんだ?」というテーマで、ほとんどのアーティストにオリジナル作品を作ってもらうことになりましたが、僕は7年間ストリートシアターをプロデュースしてきて、自分がこの問いに答えなかったらやばいやろっていうすごいプレッシャーが今あります。だから正直言うと本当にあんまりやりたくない気持ちが強いんですけど(笑)。
7年間静岡でいろんな作品を見てきて、思考を重ねて、自分の中では「こういうの良かったな!」とか「もっとこうしたらいいのになぁ」とか演出家としてのいろんな気持ちがありました。
ついにそれを爆発してぶつけて「これぞストリートシアター!!」というものを上演するのでぜひ楽しみにしてください!!