「景色もハプニングも歴史も味方に、その空間にカラダを置く」鈴木ユキオプロジェクト インタビュー
コロナ禍にできなかった「一緒にやってみよう」
ゆか まず自己紹介をお願いいたします。
鈴木ユキオ 鈴木ユキオと言います。僕は静岡県の磐田市の出身で、東京を拠点にダンスの活動をしております。
ゆか ありがとうございます。今回の作品の内容について簡単に説明をお願いします。
鈴木 2020年、コロナが全国的に広まった頃に、世田谷美術館「作品のない展示室」でクロージングイベントとして、『明日の美術館をひらくために』っていうタイトルのパフォーマンスをさせていただいたのが種になっています。
準備段階ではお客さんを入れてやろうということだったんですけど、やっぱり当時のコロナの状況ではお客さんを入れるべきじゃないということになって、作品に関係した方達だけを美術館に招待してパフォーマンスをしました。
本来は一般の方も参加してもらいながら、美術館のいろんな展示室を歩いていくっていうパフォーマンスをしたかったのが叶わなかったので、今回静岡で、一般のお客さんの前で試してみたいなと思って、応募させていただきました。
世田谷美術館「作品のない展示室」クロージング・プロジェクト パフォーマンス「明日の美術館をひらくために」記録映像※5:40からご覧ください
ゆか 参加したいなと思ったら、一般のお客さんも一緒に踊れるっていう感じなんですか?
鈴木 そうですね。すごくシンプルな動きで、空間の中に体を佇ませるというか。シンプルに手を上げたりとか、リーダーについていけばどなたでもできるパフォーマンスです。その場に居合わせて面白そうだったら、見ててもいいし、参加してもいいっていう感じにできたらいいなと思ってます!
ゆか お客さんにもなれるし、踊りたくなったら踊れる。楽しいですね。
鈴木 そうそう、そんな感じでね。緊張して入りづらい時もあったりするけど、出演者の中にはお子さんも参加してくれる予定なので、雰囲気としては入りやすくなるようにできるだけ僕らも工夫して、皆さんと楽しんで「一緒にやってみよう」とか思ってもらえたらいいな、と思ってます。
その場その場の偶然性を味方に
ゆか 振り付けを考える時って、その人の個性みたいなものを活かしたりするんですか?
鈴木 そうですね。僕は夏休みの(ワークショップで)子どもに振り付けをしたりとか、市民参加の方に振り付けをしたりしているのですが、その場の人たちと作ると面白いものが生まれます。あとは今日はお客さんが多いな、少ないなとか。
ゆか そういうことも考慮してパフォーマンスを変えることもあるんですか?
鈴木 どうですかね?「お客さんはどんな感じ」とかを考えても、それはもう僕のマターじゃないので。どうしても「(大雨などで)この天気だと危ないな」」とかだったらやめたほうがいいかなと思いますけど、基本的にはパフォーマンスは変えず、その場の状況が違うのを楽しむ。
観客のちっちゃい子が(パフォーマンスに)入ってきてくれることもあるんです。イベントって思わぬことが起きたりするので、「偶然性をこっちがどう(コントロール)するか」と思わずに、自分たちがやることに集中していると、偶然性がいい方に味方してくれるのかな?と思ってます。
大雨は降ってほしくないですけど、小雨や雪が降ったりとか。「(お客さんが)誰もいないじゃん!」みたいなことがあるかもしれないし。でも、それもみんなでやってると結構楽しいというか。
思いもよらぬ良さがあるので、今回ストレンジシードでも3日間とも違うことが起きると思うんですけど、それを見る側も、やる側も楽しみに集まってくれたらいいなと思ってます。
酔っ払いのお客さんがずっと喋っている
ゆか 舞台美術があるような舞台の上とは違って、野外だと常に同じことができないのがいいなって思うので、楽しみです。野外でのパフォーマンスの機会は多いんですか?
鈴木 多いですね。最近だと豊岡演劇祭で、キャンプ場で作品をやらせていただいたり、あと海外でもソロで行って、街中でやったこともあります。
鈴木 今回もそうだけど、風景(のなかでやる)っていうのがすごくいい。結果的にいいロケーション、いい景色を作ってくれたり。そこにいる人たちや、通り過ぎる人たちがすごくいい景色を作ってくれる。
リョウゴ 今までライブでやっていて、すごく困ったことはありますか?
鈴木 (本番中に)酔っ払いのお客さんがずっと喋っているっていうシチュエーションがありました。でもそれはね、北九州市の八幡製鉄所っていう、昔空襲があった土地に住んでた方が、それに関連したことをつぶやいてて。私たちの作品も、その街の歴史や過去の生活風景を思い描くようなパフォーマンスだったので、むしろいい効果になったというか。うん、ただの酔っぱらいなんですけど(笑)。パフォーマンスを見ながら延々と思い出とか想いを喋ってる。でも結果的にそれが良い。
鈴木 あとは、困った状況が起きた時に「しょうがないから、もうこうするしかないよね」っていうのが、結果的に自分の想像を超えてくれる。
今までの経験では、ほんとに困ったことはいい方に行く場合が多いですね。まあ、静岡ではあんまり困りたくないですけど。なったらなったでちょっと楽しみですね。
リョウゴ 即興性を楽しむこと、非常に感銘を受けます。しかしそのメンタルまで行くのにはどうすればいいんですか?
鈴木 まあ場数ですかね。多分ね、若い頃から舞踏をやってたので、いろんな地方の街中でワーッと踊って公演の宣伝をしたりとか、やっぱりそういう経験は即興性ですごく鍛えられました。
お客さんから「なんだこの人達」っていう視線を受ける中でやんなきゃいけないとか。あとは先輩たちがどうやって対処していくかっていうのも経験させてもらったので、そういうところで学んできたものもあったりして。やっぱりいろんな経験を積み重ねて、今はちょっと楽しめるというか。だいたいなんとかなるだろうと思えるようになってきたっていうのはありますね。
静岡はいい人が多い?
天野 海外と日本だと、周りのお客さんの雰囲気とか違いますか?
鈴木 あ、そうですね。ただ日本の方はやっぱシャイというか、大人しめなのは確かで。でもそれは楽しんでないわけじゃないんですけどね。海外の方はリアクションをして、自分が楽しんでるって事を見せてくれるっていうんですかね。すごい笑顔で、受け入れていることを見せてくれる人が多くて。
あと公演の翌日に街中を歩いてると、道路や車の窓から声をかけてくれたりしたこともありました。「昨日の公演観たよ!」「よかったよ!」って。後ろすごい渋滞になってるのにずっとしゃべり続ける人とか。そういう海外の自由さみたいなのは嬉しい時もありますね。
天野 静岡のお客さんってどんな人が多い印象ですか?昔住んでらっしゃったこともあるとの事ですが。
鈴木 そうですね。静岡に住んでいると芸術に触れる機会が結構ありますけど、僕が住んでた時代は多分、そういうのを見に行くっていうことはあまり無かった。あったのかもしれないですけど、僕は気づいてなかったというか、あんまりわかんなかったんですよね。(静岡のお客さんは)どういうリアクションしてくれるんですかね…?
静岡出身なので帰る機会も多いですし、静岡と繋がりを持ちたいなっていうのはここ最近何年か思い始めて。これから静岡の感じを分かっていけたらなというか。でもまあ、静岡は基本的に温かいところだから。みんな優しくていい人が多いですよね。
ダンスって「なんだ?」
ゆか ストレンジシード静岡、今年のテーマが「なんだ?なんだ?なんだ?」なのですが、最近「なんだ?」って思ったことありますか?
鈴木 「なんだ?」ね…。僕の場合はダンスやってるので、常に「ダンスって何なんだろう?」っていうのがどうしても知りたい。静岡の田舎から東京に出て、東京はすごい刺激的なところだと思ってやってきたけど、今は山梨で生活していて、山梨から東京まで通ってるんですね。なので、生活とダンスとか、自分の年代とか経験によってもちょっとずつ変わってきたりするんですけれども、やっぱりいつも、「ダンスって何なんだろう?」っていうのがありますね。
劇場でやる作品をかっちり作りたいっていう時期もあれば、今回みたいに、プロのダンサーじゃなくてもいいじゃんと思う時もあって。いつも答えは出ないんだけど、「考え続けてる」っていうか、「なんだ?」って思ってますね。
私たちのカラダ時間
天野 今回の作品『風景とともに』の説明文に「私たちのカラダ時間」という言葉が書いてありました。鈴木さんが思う「私たちのカラダ時間」っていうのはどういった意味合いがあるんですか?
鈴木 時間感覚って、本当に人によって違うじゃないですか。
例えば、自分の時間を、みんな自分の時間で歩いてしまったら、多分何も感じないと思うんです。当たり前すぎて。でもその中で、みんなである一定の時間にシフトさせる。(まわりの)人の時間を知ることで、「ああ、このペースなんだ」とか「あ、私もうちょっとスピードあげたい」とか「みんな速い」とか、他の人がいることで自分の時間がクリアになったりする時ってありますよね。そういう感覚をじっくりやると、自分の時間をもう一回取り戻せるというか。確認できる時間になるんじゃないかなと思ってるんですね。
そういう意味では、ある種時間の共有を丁寧にやっていくと、不思議な一体感であったり、自分に向き合う時間になる。みんなでやってるんだけど、それが結果的に自分の時間に向き合える時間が生まれるというか、そうなるといいなと思って。
天野 プログラムの説明のところの「体」が全部カタカナなので、なにか意味があるのかなと思いました。
鈴木 体って難しいですよね。「体」一文字もあるし、「身体」もあるし。でももう少しフラットにしたいっていうか。漢字って複数の意味を持つじゃないですか。日本人だとより詳しく知ってるし。カタカナにすることで、フラットにしたいんですよねえ。
自分にとっての「カラダ」の感覚があるんですけど、この感覚を説明するときに、漢字を使うとそれぞれの体に寄ってっちゃうんですかね?僕が思う「カラダ」っていう意味も実はあるけど、これを説明するのはすごく難しいです。それは一緒にワークをしたり、一緒に触れ合う時間を持たないと、本当の意味は伝わらないと思う。意味を削いだ方が、フラットに伝わるかなって。
あと僕、自分の名前もカタカナにしてます。あれも漢字で意味を持ってるのがあんまり好きじゃなくて。漢字じゃないっていうのもそういうところがあるかもしれないですね。
天野 「鈴木」の方はカタカナじゃないんですね?
鈴木 そうそう。いいとこ気づいちゃったね。あのね、ゆきおっていう漢字がね、好きじゃなかったんですよね。だからカタカナにして印象を変えてみました。
時間の経過を可視化
ゆか 私が気になったのは、作品の説明文に「その場所に積み重なる時間の経過(歴史)を視覚化」って書いてあったんですけど、視覚化するってどういうことなんですか?
鈴木 はい。ちょっとかっこつけすぎましたね(笑)。場所が持つ力っていう意味でね、その歴史。前に静岡県の藤枝に滞在経験※をさせてもらって、街歩きがすごく面白いって初めて気づいたんですね。色んなエピソードを説明してもらえるからっていうのももちろんあったんですけど、色んな場所をちゃんと歩くと、ちょっと思いを馳せるだけで、見える景色が変わったんですよ。だからそういう時間を感じる場所をみんなでゆっくり歩くとか、その場所っていうことをちょっと思うだけで、なんとなく歴史のことを考えちゃう。
※2023年に鈴木ユキオさんが「マイクロ・アート・ワーケーション2023」で静岡県藤枝市に滞在された時のこと。マイクロ・アート・ワーケーションとは、アーティストらが静岡県内に滞在し地域住民と出会うきっかけをつくるアーツカウンシルしずおかの主催事業です。
鈴木 それがすごく面白い経験だったので、カラダがその場所にあるのを見てもそう(歴史のことを)思うかもしれないし、そういうことを起こせるんだなと思って。その場所に積もってきた時間っていうのも見れたらいいんじゃないかなっていう意味で「その場所に積み重なる時間の経過(歴史)を視覚化」と書いてみました。
ゆか ありがとうございます。確かに街歩きとか、普段見てる景色とは違うものが見えてきたりする時もあるので。そういうのが静岡で体験できるのは、いいなって思いますね。
鈴木 一緒に体験しましょう。