ストレンジシードと静岡はホームグラウンド 山田裕幸×劇団渡辺 インタビュー
劇場を運営しながら劇団活動
リョウゴ:まずは自己紹介をお願いできますでしょうか?
梅田:劇団渡辺の2022年度代表の梅田大三です。よろしくお願いします。
山田:劇団渡辺は年度によって代表が変わるんだよね。
梅田:そうです。去年も僕がやってたんですけど、毎年、劇団内投票をして選考されるというか指名されるっていう形で。今年も引き続きとなりました。劇団渡辺自体は静岡市内で主に活動してまして。「人宿町やどりぎ座」っていう劇場を拠点にして活動を行っています。劇団としての方針というか、目指すものとしては、「ばかばかしいことを全力でやっていこうよ」みたいなものだったり、基本的に古典戯曲からオリジナル戯曲まで、幅広く色んな芝居をさせてもらってます。劇団員は7人です。今日は今回出演する演者の3人がインタビューに参加させてもらっています。じゃあ、あとはメンバーの紹介をお願いします。
大石:大石宣広です。今日取材を受ける3人は劇団渡辺のメンバーでは同い年、全員今年42歳になります。僕は静岡に住んでいる静岡生まれの静岡育ちです。一回も静岡から出たことがありません。
蔭山:劇団渡辺の蔭山ひさ枝です。大体説明してもらった通りです。劇団渡辺は2004年に静岡大学の演劇部OB・OG中心に立ち上げて、私と大石はその時のメンバーなんです。
劇団渡辺は2019年秋頃から一年半ぐらい活動休止していました。2021年4月から劇団渡辺の活動が再開することになって、そこで代表を年度ごとに選んでいきましょう、という話になって。メンバーのほとんどがアラフォーなので、社会的にも色々やることができてきたりして、忙しかったり、忙しくなかったりは毎年どうなるかわかんないよねって話になって、年度ごと劇団内で選挙しましょう、みたいな感じになって。たまたま2年連続、梅田君が代表になっています。
山田:僕は劇団渡辺のメンバーじゃないんです。今回の作品の脚本と演出をしています。僕は島田高校出身でして、中学校も島田だったので、合計6年間島田に通いました。その後、大学で東京に行っていたんですが、2015年に東京から静岡に劇団の拠点を移し、藤枝市に「白子ノ劇場」という劇場を作って活動をしています。劇団渡辺の皆さんは昔から知ってるんですけど、こうやって一緒に何かをやるっていうのは本当に初めてなので、変な感じですね(笑)。なんとなく知っているんだけど、演劇やるのは初めてなので、なかなか楽しくやらせて頂いております。
リョウゴ:山田さんと劇団渡辺が一緒にやろうとなったきっかけはなんですか?
蔭山ひさ枝:劇団が活動再開するとき、新作を作る時は外部から演出家をお招きしようっていう方針を決めました。今回、ストレンジシードに出演するということになって、誰にお願いしようかなっていう話を劇団内でしたときに、「(演出家は)静岡の人で」といういうオーダーもあったので、いろいろ考えていて……
私たちは「人宿町やどりぎ座」という劇場を運営しながら劇団活動をしているんですけど、山田さんも「白子ノ劇場」という劇場を運営しながら「ユニークポイント」という劇団をやっているので、ちょっと境遇が似ているよね、という話があったんです。10年以上前からの知り合いですが、一緒に何かを作るっていうことをしたことがなくて。
あとは個人的な話なんですけど、以前、ストレンジシード事務局として山田さんに出演のオファーをしたんですけど※、その時、出てもらうことは叶わなかったので。その時の気持ちもあって、山田さんといっしょにストレンジシードで何かできたらいいなって、お声をかけさせて頂いた感じです。
※劇団渡辺は、ストレンジシード静岡立ち上げ当初からフェスティバルの事務局スタッフとして活動しています。
リョウゴ:山田さん、ユニークポイントの方なんですね。僕、先日「藤枝ノ演劇祭」に行ってユニークポイントを観ました。とても感激して、友達にも話して、めちゃくちゃ良かったです。
山田:ありがとうございます。「藤枝ノ演劇祭」のフェスティバルディレクターもやっています。
蔭山:「芝生でやりたいなぁ」と思ってたら、事務局側から提案された会場が駿府城公園の芝生だったので、わりとサクッと決まったような気がします。「ストレンジシードならではの作品をお願いします」というようなオーダーをもらいました。
事務局:野外での公演は初めてですか?
蔭山:劇団渡辺は野外での公演も結構やっていて、利賀村の演劇祭や、劇団渡辺名義ではないんですけど、SPACの野外劇場「有度」で公演をしたこともあって。あとは、劇団立ち上げ当初の2008年、野外で俳優の底力を鍛えよう!と、(静岡市内の)青葉の街中で月に1〜2回ストリートショウっていうのをやっていました。当時は大変だったけど、今思い出すと良き思い出です。
大石:ストリートショウをやっていた時も、通りがかりの人も引きつけなければならないっていう課題があったので、その経験を活かしつつ、今回は演じていけたらなあと思っております。難しいですけどね。早いんですよ、(観客が)居なくなるのは。引きつけてそのまま引きつけ続けなきゃならないので。
梅田:野外でやってきたから培ってきた力っていうのがあるなって感じています。今回山田さんが書いてくださった脚本は、途中から見ても楽しめる仕掛けをところどころに仕込んでくれていているので、やっている僕らも楽しいです。劇団渡辺として完全新作は久しぶりですし、大変な部分もあるんですけどワクワクしてます。
事務局:ストレンジシードって、普通の劇場のようにずっと集中して見てくれるお客さんだけじゃない、苛酷な環境でやるわけじゃないですか。皆さんは長年培ってきた野外の経験があるので、静岡すごいな!って思いました。
山田:そうだよね。そう考えると、静岡で野外で演劇やってるって言ったら、劇団渡辺は宮城聰の次ぐらいじゃないですか?
蔭山:そんなことはないと思うけど(笑)。
山田:いやだって、普通はあんまりやらないよ。野外は。
梅田:劇団初期の頃は多かったですね。神社でやったり、地面がコンクリートの場所もあったし。
山田:今回の芝生なんてもう本当に恵まれてますよ。音響さんはいるし、優しい観客もいるし、もう自由にやらせて頂いてありがとうございますって感じ。普通はね、転んだら流血するからどうするの?みたいなね。
梅田:よく流血して怒られています(笑)。劇団渡辺はストレンジシードのスタッフをやってきたゆえのアドバンテージがでかいですよね。会場のことを熟知していますし、極端な話、ちょっと出掛ければ(公演をする予定の)現場がすぐそこにあるので。
事務局:アウェイじゃない、ホームでやる強みがありそうですね。
地域に根付いている劇団から見た「静岡の演劇」
事務局:静岡で演劇をやる側の、演劇事情について伺ってもよろしいですか?
山田:静岡県は東京と愛知っていう大都市に挟まれているので、若者の流出率が激しいんですね。演劇をやりたい人はほぼ県外に行くか、地元に残って演劇を続けるか、二極化するというか。東京や大都市を経由して静岡に戻ってくる人もいて、そういうグラデーションはあるような気がしますけどね。
蔭山:うちがやっている「人宿町やどりぎ座」はいわゆる小劇場なんですが、ちょっと前までは静岡市には小規模の劇場がなかったんです。カフェとかを使ったミニ公演みたいなものが一番小規模で、その次がいきなり(キャパシティの多い)小ホールだったんですよ。2011年に私たちが「アトリエみるめ」という劇場を始めて、それまではちょうどいい規模の場所が静岡になかったので、そんな規模の公演をやってみたいって思ってくれる人が少しずつ増えて来たような気がします。それから私たちは場所を変えつつ ※、50人前後のキャパシティの劇場をずっとやってきました。私はそれぐらいの劇場が好きなので、私が見たいお芝居はちょっとずつ増えてきているのかなと個人的には思います。
※アトリエみるめは2015年に移転
蔭山:あと、やっぱりステップって大事だなと思います。なので50人ぐらいの規模の劇場でやっている劇団が、大きい公演を打つとか、逆に小規模な公演を打つとか、今は選択肢が広がったので、劇団の人たちもやることの選択肢が増えたんじゃないかな。なので、大小さまざまな劇団が静岡で増えつつある実感があります。
事務局:なるほど、山田さんも劇場をお持ちですよね。劇場をご自分の地元・藤枝で作ろうと思われた理由は何ですか?
山田:これまで演劇活動をしてきて、場所を持ちたいっていう指向性が、最終的に一番強かったっていうことですね。いろんな人がいると思うんですけど、僕はやっぱり場所があって、そこに人が集って、っていうのを演劇活動と捉えています。だから、固有の作品を発表する興味よりも、むしろ演劇という要素を、媒介として人が集う場所を作りたいと思っています。
事務局:藤枝で演劇祭を始めたのも、同じような理由ですか?
山田:はい。演劇祭をやるために劇場を作ったので。面白い場所を作るということは、面白い地域になるということに繋がりますよね。僕が死んだ後も、どうにか(そんな面白い場所や地域が)続いていくようにと思ってやっています。例えば子どもとか、そういう(未来の)人たちのために、もうちょっと先を目指してできることをやっているっていうイメージですね。
事務局:観劇をしようと思った時にいつでも観に行ける場所、やれる場所が自分の暮らす街にあるということは、とても豊かなことなんだなぁと思いました。今回の野外での公演、楽しみにしています!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?