【特別掲載5/5】三秋縋『あおぞらとくもりぞら』(原作版)

三秋縋さんのサイト「げんふうけい」と同時掲載。

※こちらの原稿は、初期バージョンから大幅に加筆・修正が施された改稿バージョンとなります。

★最初から読む場合はこちら ⇒ 【特別掲載1/5】三秋縋『あおぞらとくもりぞら』(原作版)

★loundrawさんによるコミック版はこちら ⇒ 第一話「Blue sky?」


『あおぞらとくもりぞら』

三秋 縋


  104.

 気がつくと、僕は青空の肩をつかんで抱き寄せていました。


 青空は動揺した様子でつぶやきます。「やってみるものですね……」


 僕が十日ぶりの青空を堪能し終えて身を離すと、

 彼女は「ねえねえくもりぞらさん」と言いました。

「夜が明けたら、ふたりでお出かけしましょう」


「お出かけ?」と僕は訊き返しました。「どこに?」


「くもりぞらさんを連れていきたい場所があるんです」


「それって——」


「ひみつです」

 青空はいたずらっぽい表情で人差し指を口に当てます。

「着いてからのお楽しみ、ということで」


「わかった」僕は肯きました。


 それから僕らは、夜が明けるまで束の間の眠りにつきます。


  105.

 翌朝目を覚ました僕は、操作能力が失われていることに気づきました。

 しかし、今となってはどうでもよいことでした。

 目の前にいる女の子は、操るまでもなく、

 僕の望みを叶えてくれるのですから。


 数分遅れて起きてきた青空と簡単な朝食をとると、

 彼女の案内に従って車を走らせました。


「ずいぶんこの町の地理に詳しいんだな」


「ええ。標的を自殺させるのに相応しい場所を探して、

 ひとりで色んな場所を巡り歩きましたから」

 青空はこともなげにそんなことを言います。


「どうしてわざわざそんなことを?」


「決まってるじゃないですか。より自殺らしく見せるためです」


「……相応しい場所、か。考えたこともなかった。

 俺は皆、適当に近所で自殺させてたよ」


「どっちが正しいんでしょう?」


「どっちが正しいというわけでもないだろう。

 自殺というものを積極的な行為として捉えているか、

 受動的な行為として捉えているかの違いじゃないか?」


「なるほど」青空はこくこくと肯きます。


  106.

 そこが第一の目的地であることは、

 青空が「到着です」と告げる前からわかっていました。


 車を路肩に停めて外に出て少し行くと、

 眼下に、一面のひまわり畑が広がっていました。


 畑の奥のほうには数基の風車が立っていて、

 風を受けてのんびりと回転しています。


 さらに視線を上げていくと、晴れ渡った空の向こうに、

 気が遠くなるような大きさの積乱雲が見えました。


「どうですか?」と青空が問います。「ゆっくり回ってるでしょう?」


「ああ」と僕は認めます。

 それは実に、僕好みの風景でした。


 僕たちは柵にもたれて、その風景を目に焼き付けました。

 耳鳴りのような蝉の鳴き声に混じって、列車の走行音が聞こえました。


 いつ殺されてもおかしくないという状況でしたが、

 あるいはそんな状況だからこそ、

 僕はとても穏やかな気分でいられました。


  107.

「……ねえ、くもりぞらさん」

 不意に、青空が沈黙を破りました。

「どうして、私たちじゃなきゃいけなかったんでしょうね?」


 彼女が<掃除人>の選定基準のことを言っているのだとすぐにわかったのは、

 やはり僕も同じことを同じ瞬間に考えていたからでした。


 僕は少し逡巡したあと、こう切り出しました。

「——こんな話を、聞いたことがある」


「数百年前、どこの国だったか忘れたが……

 その国では死刑執行人になりたがるやつがいなかったから、

 死刑囚の中から執行人を選んでいたらしい」


「執行人に選ばれた死刑囚は、その仕事を

 続けている限りは死刑を先送りしてもらえるんだが、

 一度でも執行を拒否するとすぐさま殺されて、

 また次の執行人が死刑囚から選ばれていたそうだ」


「それ、私も聞いたことがあります」と青空は肯きます。

「でも、その話がどうかしたんですか?」


 僕は一呼吸分の間を置いてから言いました。

「ひょっとしたら、俺たちがやらされていたのも、

 それと似たようなものだったのかもしれない」

 青空は少し考えてから、自信なげに訊きます。

「……私たちはもとから死刑囚だった、ということですか?」


「ああ」と僕は肯きました。

「執行人の義務を放棄したから死刑囚になったんじゃなくて、

 執行人になることで一時的に死刑を免除されていた。

 そう考えた方が、色々としっくりくるんだ」


  108.

「すると、死刑囚の選定基準が気になるところだが……」

 僕はその仮説を静かに口にしました。

「俺は、『誰かに殺されたがっていること』が、

 その条件だったんじゃないかと踏んでいる」


「確かに、私が殺されたがっていたのは事実ですが……」

 青空は僕の顔を覗き込みます。

「くもりぞらさんにも、そういう願望があったんですか?」


「ああ。でなきゃ、こんな発想はできない」


「どうして?」青空は首を傾げます。


「お前と同じさ。生きてるのがあんまり好きじゃなかったんだ」


  109.

「そういうふうに考えた上で、あらためて

 これまで殺してきた人たちを振り返ってみると、

 皆多かれ少なかれ自暴自棄なところがあるというか……

 どこか、青空に似たところがあると気づいたんだ」


 青空はちょっと思案してから言いました。

「つまり、この<人殺しリレー>は、死にたがっている人を

 片端から安楽死させるために存在していたということですか?」


「まあ、あくまで俺の勝手な想像だ。根拠はまったくない。

 そもそも、こんな理不尽な呪いじみた超自然的な現象を

 理屈で説明しようとすること自体馬鹿げてるしな」


「……でも、もしそれが本当だとしたら」

 青空は少し間を置いてから言います。


「なんか、寂しい話ですね」


 とてもとても寂しい話だ、と僕も思います。


  110.

「殺されたがっている人間を殺してくれる。

 それは確かにありがたいシステムだ——しかし、欠陥もある」


「私やくもりぞらさんのように、殺されかけたところで

 今さら生きる喜びを知ってしまう人もいますからね」


「そういうことだ」と僕は肯きました。

「いつか、どこかで、この連鎖が止まってくれればいいんだが」


「……でも私、死刑囚でよかったなって思いますよ」


「なぜ?」


「おかげで、くもりぞらさんと出会えましたから」

 青空はそう言って僕に笑いかけます。

 言われてみればそうかもな、と僕も心の中で同意します。


  111.

 青空は指折り数えます。

「時計、オルゴール、風車、ひまわり、

 メリーゴーラウンド、観覧車……でしたよね?」


「そうだ」と僕は言います。「よく覚えてたな」


「ひまわりと風車は達成したので、次にいきましょう」


 僕は驚いて訊き返します。「もしかして、全部回る気なのか?」


「そうです。とってもいいアイディアがあるんですよ。

 くもりぞらさんの好きなもので一杯の場所があるんです」


 青空は柵から降りて、地面に着地します。

「そろそろ出発しましょう。次は、ちょっと遠いですから」


 多分その言葉の後に、彼女はこう続けたかったのでしょう。

 ——残された時間が、あとどれくらいあるかもわかりませんからね。


  112.

「国道をひたすらまっすぐ」という彼女の案内に従い、

 僕は車を走らせ続けました。


 午前中あれほど晴れ渡っていた空は、

 徐々に厚い雲に覆われ始めていました。


 そのうち、青空は寝息を立てて眠り始めました。

 僕は車内の冷房を弱め、ラジオの音量を落とし、

 彼女を起こさないよう慎重に運転しました。


 信号待ちのあいだ、僕は助手席の青空の寝顔をじっと見つめていました。

 ——ふと、奇妙な錯覚に陥りました。

 こんな日々が、いつまでも続くような気がしたのです。


 もちろんそれはただの錯覚にすぎず、

 僕たちの生命は今この瞬間にも失われようとしています。

 しかし、その錯覚をきっかけとして、空想はどこまでも広がりました。

 この先もずっと生き続けることができたら、

 どんな幸せが僕たちを待ち受けていたんだろう?


 僕は慌ててその空想を振り払います。

 ありもしない「もしも」を考えるほど、無駄なことはありません。


  113.

 昏々と眠り続ける青空に、僕は語りかけました。

「……この数日間、ずっと考えてた。

 青空がもっと早く俺の前に現れていたら、って。

 そうしたら、俺たちは誰かに殺されたがることもなく、

 こんな馬鹿げた繰り返しに巻き込まれずに済んでいたかもしれない」


 そこで言葉を休め、ゆっくりと息を吐いてから、再び僕は続けました。


「そんなふうに考えるべきじゃないことは、わかってる。

 多分俺たちは、こんな形でしか出会うことができなかったし、

 こんな形で出会ったからこそ、今みたいな関係でいられるんだ。

 ……でも、頭ではわかってても、やっぱりつい考えちまうんだよな。

 こんな時間がいつまでも続けばいいのに、って」


 やがて、青空が目を覚まして、道案内を再開しました。

 彼女は僕の顔を見て、なにか異変があったことに気づきます。

「くもりぞらさん、なんか元気ないですよ?」


「気のせいさ。天気が悪いから、顔色も悪く見えるんだろう」


 しかし、青空は僕の嘘などお見通しのようでした。

 助手席から手を伸ばして、「よしよし」と僕の頭を撫でてきます。


  114.

 ひまわり畑を出てからおよそ三時間、

 目的地に到着したことを青空が僕に知らせました。


 古めかしいデパートでした。

 家族で買い物をしたあと、最上階の大食堂で

 カレーを食べたりクリームソーダを飲んだりするような、

 そんな昭和の雰囲気をそのまま残したデパートです。


「屋上遊園地?」と僕は訊き返します。


「そう、屋上遊園地です」と青空は答えます。


「そんな時代錯誤的なものが、まだ存在してたのか」


「ええ。すばらしいでしょう?」

 ここにはくもりぞらさんの好きなものが

 いっぱいあるんです、と青空は言います。


  115.

 店内に入ると、青空はしばしの別行動を提案しました。

「食堂でコーヒーでも飲んで待っててくれませんか?」


「いいけど、なぜ?」


「ちょっとだけ、準備が必要なんです」


 僕は彼女の指示に従い、一人で最上階に向かいます。


 思えば、デパートに来るのは久しぶりでした。

 最後に訪れたのは、十年以上前ではないでしょうか。


 大食堂で食券を購入し、コーヒーを飲みながら青空を待ちました。


  116.

 ひょっとしたら、僕と別れた直後に

 青空は殺されてしまったんじゃないか。


 そんな不安が頭をもたげ始めた頃、

 青空がひょっこりと姿を現しました。


「さ、いきましょう」と青空は言います。

 なんのための準備だったのかは、あえて訊かずにおきます。


 僕たちはどちらからともなく手を繋いで歩きます。

 行き先は、もちろん屋上遊園地です。


  117.

 屋上に到着した途端、場内に大きな音楽が流れ始めます。


 真上にある時計台からの音のようです。

 見ていると、時計の文字盤が開いていき、

 中にいた楽器隊の人形たちが音楽を奏で始めました。


 二人でからくり時計に見入っていると、

 肌にひやりとした感触がありました。


 僕は手のひらを上に向けて、それから空を振り仰ぎました。


 雨でした。


 今はまだ弱いですが、徐々に強くなりそうな降り方です。


「雨ですね。じゃあ、さっさと乗っちゃいましょう」

 メリーゴーラウンドと観覧車を交互に指さして青空は言います。


  118.

 屋上遊園地は、多少古めかしくはあるものの、

 想像していたよりもずっとしっかりした遊園地でした。


 観覧車はゴンドラが三十以上ある大型のもので、

 メリーゴーラウンドもよくある子供騙しの

 チープなものではなく、非常に凝った造形のものでした。


 僕としてはただそれらを見ているだけで満足だったのですが、

 青空は断りもせずに二人分のチケットを購入してしまいます。


 僕たちは馬車に乗り、向かい合って座ります。

 合図の笛が鳴り、音楽とともに馬車が動き出します。


 青空は座席から身を乗り出して、僕に訊きます。

「『とてもひどいやりかた』で私を殺す、

 くもりぞらさん、確かそう言ってましたね?」


「言ったな、確かに」


「それって、どんなやりかただったんです?」


  119.

 少し考えてから、僕は答えます。

「前にも言ったように、簡単に殺しはしない。

 時間をたっぷりかけて、じわじわ殺すんだ。

 生きる喜びを叩き込んで、死に甲斐をすべて奪い、

 死ぬのがおそろしくなったところで殺す」


「時間をたっぷりって、どれくらいですか?」


「お前の場合、死に甲斐を奪いきるのは大変そうだからな。

 十年、二十年、場合によっては、百年でも」


「あはは。実際には、一ヶ月もかかりませんでしたけどね」


「いいや。俺は完璧主義だから、この程度じゃ満足しないんだ」


  120.

 予想通り、雨は次第に強くなっていきます。

 屋上にいた客は、どんどん屋内に退避していきます。

 僕らはメリーゴーラウンドを降りると、駆け足で観覧車に乗り込みます。


 ゴンドラが半分ほどの高さまできたところで、

 青空は、ぽつりとつぶやきました。

「百年かけて、殺されたかったなあ」


「俺もそうするつもりでいた」


「でも、難しそうですね」


「今こうして生きているのが不思議なくらいだからな」


「あーあ。なんとかして、逃げられないものですかね?」


 僕は無言で首を振ります。


 しかし、青空は腕組みをして考え続けます。


 121.

「こんなのはどうでしょう?」

 ゴンドラが三分の二の高さまで来たところで、

 青空は顔を上げて言います。


「くもりぞらさん、標的を自殺させる上で、

 定められた手順を言ってみてください」


 僕は頭の中に刻み込まれている文章を読み上げます。


①標的の体を乗っ取る

②自殺をほのめかす

③身辺整理をする

④遺書を用意する

⑤自殺する


「そう。そして、①を阻止することは実質的に困難です。

 ですが、②を全力で妨害したらどうなるでしょう?」


  122.

「どれだけ掃除人が努力しても覆せないくらい幸せになっちゃえば、

 いくら周りに向けて自殺をほのめかしても説得力がなくなって、

 いつまでも③の段階に移れないんじゃないでしょうか?」


 彼女はもちろん、それを本気で言っているわけではありません。

 訪れることのない幸福な未来を想像する免罪符として、

 そのような仮定を持ち出しているのです。


 僕は話を合わせます。

「なるほど。確かに掃除人には、標的の死が

 自殺だと見せかけなければならない義務があるからな」


「でしょう? そうと決まれば、

 もっともっと幸せにならないといけませんね」


「問題は」と僕は言います。

「今以上の幸せっていうのが、ちょっと想像できないことだな」


 青空は照れくさそうに目を逸らします。

「あのですね、くもりぞらさんは卑屈すぎるんです。

 私はもっと思いつきますよ。これから先の幸せ」


  123.

 ゴンドラが、ついに頂点に達します。

 その位置からだと、雨に濡れた街が一望できます。


 窓の外に視線をやったまま、青空は続けます。

「まずですね、私はくもりぞらさんと同じ大学へ行くんですよ。

 がんばって勉強して、くもりぞらさんの後輩になるんです」


「今の成績だと、だいぶ頑張らないといけないぞ」


「大丈夫ですよ。くもりぞらさんが手伝ってくれますから。

 そうして後輩になったら、また一緒に喫茶店に行ったり、

 映画を観たり、お酒を飲んだりするんです。

 今度は掃除人と標的じゃなくて、恋人同士として。

 それだけじゃありません。くもりぞらさんが望むなら、

 もっともっと恋人らしいことをしてあげてもいいです。


 それから、毎年、殺してしまった人たちのお墓参りにいきましょう。

 その程度で罪が贖われるわけではありませんが、そうすべきなんです。

 今までの行為を深く反省して、あんまり派手な生き方はせず、

 けれども必要以上に卑屈にもならず、強かに生きていくんです。

 ——そう、明るい日陰で生きていくんですよ」


  124.

 観覧車を降りる頃には、雨は大降りになっていました。

 遊園地のスタッフが、剥き出しの遊具にカバーをかけています。


 濡れた石畳が、遊具の光を反射して色取り取りにきらめいています。

 園内に流れていた音楽が止み、屋上は奇妙な静寂に包まれていました。


 僕たちは傘も差さず、そんな光景を眺めながら、

 観覧車の中で話した空想の続きを話し続けました。


 多分、世の中には、大降りの雨の中でしか

 上手く話せないことがあるんだと思います。

 見込みのない二人は、手遅れの幸せについて、いつまでも語り続けます。


  125.

 ようやく話が途切れかけたとき、

 青空が「……あ、そうだ」とつぶやいて

 鞄の中から小さな包みを取り出しました。


 梱包を解く前から、僕には中身がわかっていました。


 青空はそれを僕に手渡します。


 木製の箱に入った、シリンダーオルゴールでした。


「これで、くもりぞらさんの好きなものは、一通り揃いましたね」


 鳴らしてみてください、と彼女は言います。


 僕はオルゴールのねじを巻き、手のひらの上におきます。

 シリンダーが回転し出し、ピンが櫛歯を弾いて演奏を始めます。


 僕たちは、じっとそれに耳を澄まします。


  126.

 オルゴールは少しずつテンポを落としていき、やがて完全に停止します。

 意識から遠ざかっていた雨の音が、再び戻ってきます。


「青空」と僕は呼びかけます。


「はい?」彼女は目線を上げてにこりと笑いかけてきます。


 僕はそっと青空を抱き寄せ、頭を撫でました。


「ありがとう」


「いえ、こちらこそ」


 青空も僕の背中に両腕を回して背中を擦ってきます。


「ありがとうございました」


 そのとき、ふいにオルゴールが一小節分だけ音を奏でました。

 解けきっていなかったゼンマイが、今になって動いたのでしょう。


 こんな日がずっと続けばいいのにな、と僕はまた思います。


 でも結局、その日が僕らにとって最後の日となりました。


  127.

 さて、唐突に感じられるかもしれませんが、

 お話はここでお終いです。


 七月のよく晴れた日に出会ったのは、

 神経質そうな目つきをした女の子でした。


 押せば壊れそうなほど華奢で、

 触れると汚れそうなほど色白で、

 いつも遠くばかり見つめている、


 僕が恋をしたのは、そんな女の子でした。


 おしまい。

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