【2つめのPOV】企画説明のまとめ


新シリーズ 【2つめのPOV】企画説明:前編 (No.0133)


 今年の2月中旬頃から始めて、何とか現在までこうして日々記事を上げ続けておりますが、未だ未熟できちんと描くべき事が上手く伝わるように出来ずにいます。


勿論今まで日記1つ書き続けた経験も無いのですし、人よりも教養がありませんから自分でも無理ないと思います。しかし腕に関しては当然経験を重ねていくことが成長の絶対条件ですので避けることなく積んでいきたいと思っていますが、それとは別に「伝える」ということについて思うことがあり、今こうして書いています。


学問や技術は長い年月の積み重ねにより進歩し、それこそ笛や狼煙で始まったものが今ではインターネットやスマートフォンになったと言っても過言ではありません。


この間にある長く険しい道はとても一言では表せられず、一夜で学ぶことも不可能でしょう。


様々な回り道があり、天才的な発想や偶然や亀より遅い歩みで進んだ地道な苦労が結集されております。


しかしそうして出来たものであっても、私達は労することなく「利用」出来ます。


ぎこちないながらも老人だって使っております。もはや常識です。


ですが、使っている人たちのほぼ全てが構造や技術にはまるで理解も知識もありません。もちろん私も含めて。


作られた歴史は膨大な苦労の積み重ねですが、利用するにはその場限りの知識で充分可能です。


つまり利用には大して「積み重ね」は要らないのです。当然無くても使えるように開発側が更なる苦労を重ねたお陰ですが。


片手に素晴らしいハイテクを携えて街でもどこでも、いつでも確認しつつ利用しつつの生活が世界中で当たり前になってしまいました。


それはそれで良いことですが、私自身うっかり間違えていたことに最近気づきました。


片手にハイテクを持ち、まるで手足のように扱えるからといっても、それを使っている人は別にハイテクのように賢くは無かったのです。


ブランドの服や流行りのファッションを身に纏っても、その人がカッコよくなったり美しくなったりするかはまた別の問題なのと同じです。


健康食品を食べたりダイエット食を食べたからって健康になるわけではないのと同じです。


その手に持った機器は確かに賢いのです。


しかしその手の持ち主がそれだけで賢くなるわけではありません。


利便性ゆえにむしろ愚かにもなるのです。


事実フォロワーに良いところを見せたくて犯罪や危険を犯し、人や自分を不幸に陥れる人達が今も世界中に沢山いるのです。


彼らはこのハイテクが無ければその不幸を起こさずに済んだのですから、賢い機器があるせいで愚かにもなったのです。


技術や学問が数百、数千、数万の年月を「積み重ねて」その結果が現在の形を成しているのに対して、人はというとそう簡単に「積み重ね」出来ないのです。


人ひとりの命は精々が100年です。


この100年の間、出来ることなら若く健康なうちに過去の人々が発見し築き上げた知恵を学び、自らの物とする事が理想なのですが、そうなかなか上手く行きません。


人には知性の他にも肉体があり、また時々の事情もあり知性にのみ集中する事は大変に難しいのです。


嘗ては今以上に遥かに物資が乏しく、多くの人は食べていくことだけで精一杯でした。つまり肉体の世話が限界で知性に気を使う暇は無かったのです。


実際、少し前まで、いえ現在だって知性の為に時間をタップリと使える人はとても少なく、多くはアルバイトで日銭を稼ぎながら学んでいるのです。


しかもその中の殆どの人は、学ぶ内容よりも学んだ「証」が欲しいだけで、その理由も自分の求める職に就きたいからというよりも、世俗的なメリットを求めてのことなのです。


もし、この世の中に知性が溢れ、人々が知性を何よりも大切にし賢くあるならば、今のような世界は僅かの間だって維持することすら不可能でしょう。


あっという間に良い意味で「崩壊」する事でしょう。


日常付けているマスク1枚とってみても、「どうして付けないといけないのですか?」と質問したって科学的な理由を根拠とした回答は返ってきません。


未だに選挙は人気と見た目と縁故で選ばれます。


CGでとってもカッコいい映像が日夜飛び交っており、小銭を鳴らすことなく買い物が出来て合成写真を現実として勘違いする事がなし崩し的に許可されている世の中です。


何となく自分も知的になったような雰囲気だけは、どこに行っても醸し出されているのですから、その匂いに酔ってしまっても無理ないかも知れません。


内側に醸成されるべき知性は日々どんどんと外部へ漏れ出し、自撮りの合成レイヤーが重なるほど中身は薄く目減りし続けるのです。


つづく


新シリーズ 【2つめのPOV】企画説明:中編 (No.0134)


前編のつづき


技術や学問のように、人ひとりひとりの知性もしっかりと積み重ねられる事が賢さへの道でしょうが、その積み重ねを阻害する状況や事情は星の数ほど存在し、毎日内部に貯まった知恵の積み木を崩したり腐らせたりしてしまうのです。


そして何よりも、そもそも世の中には「知性を重んじ、賢くなること」が大切であるという考えや価値観が全然浸透していないのです。


世の中は今だって知性より肉体が優先される世界です。


しかし、それでも大分変わっています。


この日本でも相当食事には困らずに過ごせます。勿論例外はたくさんあり否定しません。私も食事にとっても苦労してました。


ですが、よく言われたデフレ飯なんていう飲食店も味や素材に拘ったり調理法に工夫をこらしたりと、単に安いだけでは客は寄りづらくなっているのです。


それでも休日にチェーンの割安な食事に人々が群がるのは、少し希望的な意見かもしれませんが、ただの「習性」なのだと思います。


人生や世の中の価値観が「知性より肉体」で凝り固まっているのですから、隙きあらば飯を食らう習性が健在なのも仕方ないのでしょう。


でも習性なだけであって、幸せに感じているかというとあまりそうも見受けられません。


チェーン店が不味いとかそういう事ではなく、やはり飯を食らうこと以外にすることが無い人生はどんな人だって退屈で辛いのだと思います。


だがそれ以外に何をして良いか解らないのですから、古来よりの習性に従う他ありません。


でももう一杯です。もう沢山だと思っている人は少なくないはずです。


これからの世の中を生きる人々には、新しい習性、いえ新しい習慣が必要なのではないでしょうか?


つまりこれからは、これまで常識だと思っていたことをきちんと考え直し、場合によってはいち早く捨て去り正しく作り直す必要があるのだと思います。


以前に別の記事でも書きましたが、世の中の一般的な常識というのはその殆どが学校で教えられます。しかし肝心の学校自体がもはやカルト宗教に毒された世界に成り果てているのですから、そこで刷り込まれた歪んた価値観はその子供達が大人になることで世に放たれて「常識」となってしまうのです。


自分で考えて実行する事が特別にされ、自己判断が罪のように扱われているのです。


これを改善する必要があるでしょう。


そもそも誰かの指示で動き、自分の肉体や個性を活用しないで生きることは面白くないのです。


たとえ失敗したって自分を使うことが何よりも楽しいのです。


そもそもきちんと失敗しなければ学ぶことは出来ません。そして学んで何かを知れば楽しくなります。


ですから自分の人生を生きる楽しさが解ることで、充分に生き方も変わるのではないかと思っています。


そしてそれを阻害する事が罪であるという「常識」も、楽しさを邪魔される経験が裏付けになって広まるかも知れません。


最初の方にハイテク機器や技術が知恵や研究の積み重ねであると書きました。


これらの場合は「肉体」も「命」もないので、途中までの成果を誰かが引き継げば発展を続けられます。


しかし人間は寿命があるのでそうは行かず、「人生の知識」などは本などにして残せても、その個々人の中の「知恵」や「知性」は本を読んだだけでは発展しません。


知恵であろうと経験であろうと、一人ひとりがそれらを咀嚼し消化吸収するプロセスや苦労が無いと身につかないし、成長しないのです。


それもコツコツと積み重ねていかないといけません。知恵に前と後ろがあってこそ成長になります。


新しい事を得たとしても、その都度昔の事を忘れていては意味がありません。何故ならまた過去の過ちなどを繰り返してしまうからです。


ネズミが平地を走り回って穴蔵や小石や草むらの場所を覚えても、空から鷹が見ていることには気づけません。


また、鷹も地の底に繋がる穴蔵や生い茂る草むらの中までは分かりません。


しかし人はその両方を得られるのです。


1階から階段を登って2階、3階と登ることで下からの目線も上からの目線も手に入ります。


ですが、2階に登った時に1階の目線を忘れてしまっては意味はないのです。


そのそれぞれの比較や、その両方を照らし合わせた時に得られる知恵が大切なのだと思うのです。


つづく


新シリーズ 【2つめのPOV】企画説明:後編 (No.0135)


中編のつづき


前回、前々回とゴチャゴチャ書いてきましたが、この企画で何をするつもりなのかと言いますと、『描く』ことでなく『語る』ことを考えているのだと思います。


思います、と書くのも正直未だに自分でも手探りであって上手くいく自信が無いからです。


しかし前回最後のほうで書いた「目線」というのが、どうも大切な気がしてならず、それをどうやって意識していけばいいのかを考えた末に、今回の新シリーズ


を作ったのです。


これは現在出来た限りですが、4つのパターンを抱えています。


この新シリーズという大項目の中に、4パターンという小項目を持っているのです。


もうこれだけでもなかなかにややこしいですが、この小項目の細かな説明も『しません』。


一応パターン名としては、


A:〈ユスタシュの鏡〉


B:〈ラウディのサングラス〉


C:〈セルゲイのMix Up〉


D:〈ホロウマンのネガフィルム〉


などを考えています。


それぞれを事細かく説明すると、そもそものこの企画を作った理由自体を否定しかねないので一体何をしたいのか大枠で書きますが、それはやはり「目線」だと思います。


鷹の目線、ネズミの目線など、今取り合えずこの程度しかわかりませんが、こうした複数の目線が『同時』に存在する。


それぞれをバラバラで意識したり描いてみても、階段を1段登るごとに感想を述べるようなものに感じたのです。


坂道のなだらかさをアナログとするなら切り分けた階段はデジタルであり、結局は上に登るための装置ですが、一歩進むごとにその前の事を無いものにしていく事、ひとつひとつ分割してしまうことが知恵や経験の継承、積み重ねを何処か否定しているように感じたのです。


もし私達の人生が、朝起きてパンを作り食べて寝るだけの生活だとしたら、その一日の中で起きるイベントで一番大きいものはパン作りだと思います。


一日のイベントの数が少ないほど、そのひとつひとつの比重は上がりその分だけ記憶にも残るのだと思います。


なにか大掛かりな活動の中に居てプライベートが削がれたときに、次の日にも関わらずまるで5分前にもこの場所にいたような気分になることは珍しくないと思います。


そしてそのイベントを好きでやっているなら、その保たれてた記憶にその日の分の経験が上乗せされ、次の日はまた昨日と違う形の知恵が本人の財産として扱われるようになります。そうして毎日より美味しいパンが食べられたり新しい保存法を考えたり出来るのだと思うのです。


現代はそのイベントの数は大変なものでカウントするのも難しいと思います。


つまりその分だけひとつひとつは薄く浅いものになりやすいです。


あまりに薄い経験や知識は日常の雑事で四捨五入され消えてしまい、人生の発展に寄与しません。


少ない量は扱いやすいですが伝えることには限度があり、多くなれば吸収も活用も難しいです。


しかし大切だからって量が増えたり難解になったりするわけでは無いと思います。


ただ、多量の日常イベントに埋もれてしまい易くなるのだと思うのです。


コーヒー豆を入れるような麻袋であっても、ポケットの多いIKEAのディパックであっても同じように物を入れる事が出来ても、ゴチャゴチャになるのと整頓されているのとでは扱うときにはまるで違うのです。


日々の生活は大切なものもゴチャゴチャに混ぜ込まれ別物になり、忘れ去られ捨てられているのだと思います。


ゴミと大切なものは本来全く別物である筈なのに、「入れるところ」や「入るところ」や「扱うところ」が分けられていないのです。


「入ってくるとき」はその大切さが誰にでも解るのです。


でもそれを「仕舞う場所」を持っていないのではないかと思います。


大切なものは地べたに転がっているようなものでなく空から舞い降りてくるような贈り物だと思いますが、そうしてやってきたプレゼントを泥の上に放ってしまい、他の物と混ぜてしまうのです。


今回の新しい企画で、なんとも描きづらいものを語っていけるようになれたらと考えています。


つづく


新シリーズ 【2つめのPOV】企画説明:後編 (No.0135)


中編のつづき


前回、前々回とゴチャゴチャ書いてきましたが、この企画で何をするつもりなのかと言いますと、『描く』ことでなく『語る』ことを考えているのだと思います。


思います、と書くのも正直未だに自分でも手探りであって上手くいく自信が無いからです。


しかし前回最後のほうで書いた「目線」というのが、どうも大切な気がしてならず、それをどうやって意識していけばいいのかを考えた末に、今回の新シリーズ


を作ったのです。


これは現在出来た限りですが、4つのパターンを抱えています。


この新シリーズという大項目の中に、4パターンという小項目を持っているのです。


もうこれだけでもなかなかにややこしいですが、この小項目の細かな説明も『しません』。


一応パターン名としては、


A:〈ユスタシュの鏡〉


B:〈ラウディのサングラス〉


C:〈セルゲイのMix Up〉


D:〈ホロウマンのネガフィルム〉


などを考えています。


それぞれを事細かく説明すると、そもそものこの企画を作った理由自体を否定しかねないので一体何をしたいのか大枠で書きますが、それはやはり「目線」だと思います。


鷹の目線、ネズミの目線など、今取り合えずこの程度しかわかりませんが、こうした複数の目線が『同時』に存在する。


それぞれをバラバラで意識したり描いてみても、階段を1段登るごとに感想を述べるようなものに感じたのです。


坂道のなだらかさをアナログとするなら切り分けた階段はデジタルであり、結局は上に登るための装置ですが、一歩進むごとにその前の事を無いものにしていく事、ひとつひとつ分割してしまうことが知恵や経験の継承、積み重ねを何処か否定しているように感じたのです。


もし私達の人生が、朝起きてパンを作り食べて寝るだけの生活だとしたら、その一日の中で起きるイベントで一番大きいものはパン作りだと思います。


一日のイベントの数が少ないほど、そのひとつひとつの比重は上がりその分だけ記憶にも残るのだと思います。


なにか大掛かりな活動の中に居てプライベートが削がれたときに、次の日にも関わらずまるで5分前にもこの場所にいたような気分になることは珍しくないと思います。


そしてそのイベントを好きでやっているなら、その保たれてた記憶にその日の分の経験が上乗せされ、次の日はまた昨日と違う形の知恵が本人の財産として扱われるようになります。そうして毎日より美味しいパンが食べられたり新しい保存法を考えたり出来るのだと思うのです。


現代はそのイベントの数は大変なものでカウントするのも難しいと思います。


つまりその分だけひとつひとつは薄く浅いものになりやすいです。


あまりに薄い経験や知識は日常の雑事で四捨五入され消えてしまい、人生の発展に寄与しません。


少ない量は扱いやすいですが伝えることには限度があり、多くなれば吸収も活用も難しいです。


しかし大切だからって量が増えたり難解になったりするわけでは無いと思います。


ただ、多量の日常イベントに埋もれてしまい易くなるのだと思うのです。


コーヒー豆を入れるような麻袋であっても、ポケットの多いIKEAのディパックであっても同じように物を入れる事が出来ても、ゴチャゴチャになるのと整頓されているのとでは扱うときにはまるで違うのです。


日々の生活は大切なものもゴチャゴチャに混ぜ込まれ別物になり、忘れ去られ捨てられているのだと思います。


ゴミと大切なものは本来全く別物である筈なのに、「入れるところ」や「入るところ」や「扱うところ」が分けられていないのです。


「入ってくるとき」はその大切さが誰にでも解るのです。


でもそれを「仕舞う場所」を持っていないのではないかと思います。


大切なものは地べたに転がっているようなものでなく空から舞い降りてくるような贈り物だと思いますが、そうしてやってきたプレゼントを泥の上に放ってしまい、他の物と混ぜてしまうのです。


今回の新しい企画で、なんとも描きづらいものを語っていけるようになれたらと考えています。


つづく


新シリーズ 【2つめのPOV】企画説明:後編その2 (No.0136)


後編その1のつづき


この企画にある4つのパターン、もしくはフィルターやエフェクトといっても良いですが、それを全く説明なしにではどうにも出来ませんから、それぞれの例をあげることで説明することにします。


パターン〈ユスタシュの鏡〉


「ほんとうのことを伝えたい」


[side:F]


おたまじゃくしは母であるカエルに聞きました。


「私は何処から来たのでしょうか?」


カエルは答えました。


「あなたは私が作りました。」


おたまじゃくしはまた聞きました。


「母は何処から来たのですか?」


カエルはまた答えました。


「私の母が作りました。」


「あなたの母はどこから来たのですか?」


「母の母が作りました。誰でも母が作るのです。」


おたまじゃくしは暫く黙ったあと、こう聞きました。


「それでは、一番最初の母は誰が作りましたか?」


「けろけろ」


カエルは何処かに飛んでいってしまいました。


そのおたまじゃくしも、今や立派なカエルとなりました。


目の前にはかつての自分のようなおたまじゃくしが沢山生まれ始め、カエルの周りに集まり始めました。


おわり


[side:D]


私が4歳の時に弟が産まれました。


親や周りの振る舞いから、どうやらこの赤子は自分ととても似たものである事がわかり、病院から母が戻ると同時にこの赤子も我が家にやって来て、私へ接する以上にこの赤子へ愛を注いでいました。


父母が赤子に夢中であっても私自身もこの赤子が決して憎く思う事は無く、同じように幼いながらも赤子へ愛に似たものを持っていたと思います。


しかし私にはもっと強い関心事があり、それがあってか両親の愛の方向性に対しても嫉妬を思う事は無かったのです。


それは、この赤子が一体何処からやってきたのか?と言う事でした。


気づいたら病院で母の隣にいた赤子をみんなが口々に可愛いと褒めそやすのですが、何処からやってきたとは一言も話してくれなかったのです。


ある日、私は眠る赤子を見守る母に尋ねました。


「お母さん、この子は一体何処からやってきたの?」


母は子供らしい質問に笑って答えました。


「コウノトリさんが運んできたのよ。」


「鳥?が持ってきたの?」


「ええ、そうよ」


母の答え方には大いに疑問がありましたが、私はその答えを真剣に受け止めたのでした。


それから私は、父母と買い物に行ったり幼稚園に行ったりと外へ出る度に、空を飛んだり道や木に止まる鳥たちに目を奪われるようになりました。


私はその鳥たちの中に、弟を運んできた鳥がいるのだと思い、必死になって探したのでした。


何故ならその鳥は、きっと私のことも運んできた鳥に違いないからでした。


今にして思えば母がついた嘘には納得がいきますし、当然なんの恨みもありませんが、あの頃は本当に必死になって探していました。


もし仮にあの時に母が嘘をつかなければ確かに私はあんな苦しむことは無かったでしょう。


しかし、ではどう言えば良かったのか、と考えてみてもやはり答えは出ないのでした。


おわり


大変手探りですが、こんな感じに考えています。


つづく


新シリーズ 【2つめのPOV】企画説明:後編その3 (No.0137)


後編その2のつづき


このパターンも手応えはあるのですが、まだまだ自信はありません。


しかしとにかく始めるべきだと思ってやっています。


もがいているうちに上手くなったり、何かを掴んだり出来ると信じています。


前回と今回のはまだ何とか多少は感覚を掴めているのですが、あと2つはもっと曖昧なので例題すら作れないかもしれません。


パターン〈ラウディのサングラス〉


「何の価値もない」


[Remove sunglasses]


3月の中旬頃からか、街中どころか世界中からマスクが何処かへ消え去り暴動のような騒ぎになった。


日本では反社会組織に小銭稼ぎで駆り出されたホームレスや貧しい年金受給者が、朝からドラッグストアに並び、一般の人達が街から普通には手に入れられなくなっていた。


社会問題として扱われ、やがて店側も入荷の情報にタイムラグを作るなど対策をしたが、今度は店内で何もせずにひたすら老人たちが待ち続ける状況が生まれた。さらに問題は悪質化していき身なりの不穏な老人が時に店内に座り込みを始め、内も外も治安が悪化しお客は不安を覚えるようになった。


この状況が起きると同時にネットでは法外な値段での転売が開始され、たかが不織布の切れっ端がフリマサイトで万単位で売られた。


この悪質さに人々が騒ぎ、対策も講じられたが結局イタチごっこが続き、当時から胡散臭かったウィルス騒動に煽られた一般の人達は、このヤクザから買うしか無かった。


一度仕入れがあったという情報が入るなら、立ちどころに実店舗だろうがウェブサイトだろうが人が群がり買い漁った。


ニュースなどで「〜日後に〜百万枚入荷される」等などと報道されても現実は変わらなかった。


戦時中の配給や戦後の闇市やヤミ米と全く同じ事がこのスマホの時代にも繰り返された。


それは何故か在庫が無い筈なのに、議員や報道陣やタレントが必ずマスクを付け続けれる状況まで全く同じなのであった。


[Put on sunglasses]


1億円は大金であるが、持っている人は持っている。


動かすことが出来る人はいる。大変な金額であり、普通は一生縁が無い。バラバラにした金額なら誰でも持っているが纏まって持っている人は極めて少ない。


しかし1億円でも10億円でも良いが、一体何故価値があるのか?


それは持っている人が少ないからだ。


もし1億円を、地球にいる全ての人が持っていたら、その1億円には何の価値も無く誰も欲しがらない。


持っている人が極めて少なく、誰もが求めるから価値が生まれる。


そして持つものに何らかの権力が生まれ、持たざるものは従うのだ。


つづく


新シリーズ 【2つめのPOV】企画説明:後編その4(No.0138)


後編その3のつづき


前回、前々回はまだ何とか大体の感覚は掴めていたのですが、残り2つは本当に自分でも未だ掴めずにいます。


また多少掴めていても、どうにも難しくてきちんと扱えるのか不安なままです。


パターン〈セルゲイのMix Up〉



「綿毛」


夕焼けに照らされた土手


かばんを背負って歩く少年


足取りは重い


一番うしろの席から見える授業中の風景


色を失う授業風景


飼育小屋の金網越しに鶏を覗く少年


金網に右手をかける


雪で真っ白な住宅地の片隅で雪だるまを作る


大きいのと小さいのを2つ作って並べてから、遠くに離れて物陰から雪だるまを覗き見る少年


両手に乗せた丸いヒヨコ


小さく鳴くヒヨコ


ヒヨコと両手の色が消える


木造の古い家がショベルカーによって崩される


もうもうと立つ埃と露出した壁の中身や屋根の裏、そして人が住んでいた痕跡のある古びた部屋


ジッと見つめる少年


青々とした野原で走り回り綿毛の付いたタンポポを何本も集める少年


右に左に走って夢中で集める


少年は川べりの石に乗って綿毛を吹きとばす


ゆるやかな風にのって青空に舞い散るタンポポの綿毛


綿毛を追うように青空を見上げる少年


夕焼けに染まる土手の上で立ち尽くす少年


少年の足元に映える綿毛の付いた一本のタンポポ


少年は足元のタンポポを思い切り蹴り飛ばす


ほとんど崩された古い家の瓦礫に埋もれる額に入った賞状


額のガラス板は割れている


少年は物陰から勢いよく飛び出し、体当たりして雪だるまを2体とも粉々に砕く


少年は両手に乗ったヒヨコを思い切り握りつぶす


同時に目も口もシワを寄せて固く閉じる


震える手


奥歯を噛み締め震える身体


震える手をゆっくりと開く


口を固く閉じたまま、ゆっくりと目を開ける


開いた手から、たくさんのタンポポの綿毛が風に乗って飛び出す


驚いて口も目も大きく開けて、風にのって飛ぶ綿毛を目で追う


蹴り飛ばされた綿毛が夕焼けの空に飛んでいく


綿毛を目で追う少年


頭から血を流し泣きじゃくる同級生


心配した友人たちに囲まれる


慌てた先生が大きな声を出して騒ぎ、怪我をした子を抱きしめる


誰よりも遠くでその姿を見ている少年


少年は空に舞う綿毛を掴もうとして、急に慌てて追いかける


一生懸命に綿毛を掴もうとして手を振るが、全然掴めずにかえって綿毛はバラバラに飛んでいってしまう


夕焼けのなか必死に綿毛を追いかける少年


「戻ってきてよ!」


土手に響く少年の声


足元には、綿毛を失ったタンポポの軸が残って揺れている


「綿毛」


おわり


まだよく解らないが、何とか書けたという程度です。


非常に疲れます。


つづく


新シリーズ 【2つめのPOV】企画説明:後編その5(No.0139)


後編その4のつづき


前回のパターンは大変苦労しましたが、今回のものも簡単にはいきそうにありません。


パターン〈ホロウマンのネガフィルム〉



「声:1」


ああ、もういい加減にしろ


いつまでもいつまでも、同じことばかり言ってきやがって面倒くさい


もう諦めろよ まるで全部俺のせいみたいに


どいつもこいつも文句ばっか言いやがって


俺が考えたとでも思ってんのか


ふざけるな 俺のアイデアなわけ無いだろ 全部書いてあるんだ


俺がこんなもの書くわけ無いだろ こうしろって言われてるだけだ


もう分かるだろいい加減よ、俺たちが決めてんじゃねえんだよ


そうしろって言われてるんだよ そうしないといけない約束なんだよ


破るわけにはいかないんだよ 無能として扱われるだけじゃない このさき生きていく事が出来なくなるんだ


この国になんかもういる場所はない そんなことこっちが一番良く知っている こっちから願い下げだ


だからさっさと約束を 契約を進めていきたいんだよ なのに下らない邪魔ばっかして足を引っ張りやがって


大体気づかねえのかよ こんなこと俺たちだけで出来るわけねえだろ 俺たちが望むわけねえだろ


一人勝手に進んだり決めたり出来ねえんだよ 子供じゃねえんだから解るだろそんくらいよぉ


俺はただ指示通り動いて喋ってるだけだ だから予め聞いてくることを提出させてるんだろうが


ああくそ 面白くない 何も面白くない 最近はもう映画なんか観る気もしない どうせ最近のやつはどれもこれもつまらない 下らないものばっかだ


飯もまずい 酒も美味くない ああイライラする 薬がなきゃ眠れやしない しかも最近は効きが悪い 安物よこしやがって ろくなことがない


早いところ約束を果たしてサッサと辞めるぞ あとはどうにでも勝手にしろ 知ったことか どうでもいい バカバカしい 


ドバイに住むぞ


マスコミなんか絶対に近づけない世界で残りをノンビリと誰にも邪魔されずに過ごすぞ あーもう知ったことか


金は腐るほどある 何も心配は要らない 女だって好き勝手さ あんな女房なんかの顔を見ずに過ごせる


しかし医者は日本じゃないと あの医者じゃなきゃだめだよな くそ そのためにいちいち戻ってくるのかよ 面倒くさい


ドバイは日本街はあるのかな 日本語だけで生活できる場所に住みたいがあったかな 英語なんか出来るわけない 飯も普通のカツカレーとかあるのか


蕎麦やラーメンはあるのか そういえば記憶にないな プールはあったな でかいジムやらいい感じのレストランもあったが しかしそんなのどうでもいいな


どうせ泳がない ジムなんか行かないしああいうところのレストランは面倒くさい かえって疲れる 味も嫌いだ


酒も あそこはイスラム圏だし 飲めはしたはずだが しかしどこでもって訳ではなかったな


ああ そう考えると映画館だって英語じゃないのか アラビア語か くそ あとは何があるんだ 競馬か どうでもいい 馬なんか知るか


女だって今更どうでもいい もう身体はついていかない 大体日本語の話せる女なんかいるのか


ああ イライラする 何だよ こんなに必死になって頑張っているのに そのあとのご褒美もロクなものがない


大体なんでこの俺が日本を捨ててあんなクソ暑い砂漠に逃げなきゃいけねえんだよ


くそ くそ ああイライラする 薬はどうした 約束をずっと遅れているぞ 早く届けろ 量も少ないぞ くそ


ああ 頭が痛い 全身がビリビリする 身体も重い 痩せなきゃ いや知ったことか 食うこと以外に何があるんだ


ああ またしても山程マスコミが構えていやがる 眩しいだろ そんなところから写真撮るな この野郎


人を誰だと思ってるんだ マイクを向けたら相手するとでも思ってんのか ナメやがって


ああ 腹が立つ ちきしょう いいかげんにしろ


なんでいつまでも 俺のマスクだけ小さいんだよ


「声:1」


おわり


つづく


新シリーズ 【2つめのPOV】企画説明:後編ラスト(No.0140)


後編その5のつづき


書きながら自分でも手探りで方向性を探っていたために企画の説明だけでかなり長々となってしまいましたが、これで最後です。
説明の序盤で繰り返し書いたように、今までのような書き方では書けないまたは伝えられないようなものを伝える方法を考えた末に、このような企画と4つのパターン(またはフィルター、エフェクトなど)を捻り出しました。普通の記事を書くよりも遥かに疲労してしまいました。


しかしあくまで取り敢えず立ち上げたという程度であって、今後上手く使っていけるのかどうかは全く未知です。
これまでは書く内容に合わせてシリーズという形で企画を作り書いてきましたが、今回のはこれまでの説明通り少し毛色が違うものになります。
描きづらいものを語り、語りづらいものを伝えることが出来るように、そしてそれが役に立てるようにやっていきたいと思います。


また、今回の説明をまとめた記事を後に上げます。また、各パターン毎の例をまとめたものも上げます。


こういう新しい企画を作ったのも、そもそもは100日連続投稿が達成出来たことが理由でした。
もともと連続投稿を頑張ったのはモチベーションの為でした。
はじめの頃は、不思議と少し読まれていたので、何だ簡単に読まれるのだなぁと高をくくっていたのですが、それもつかの間で以後全く読まれなくなりどうして良いかも解らずに書く気が無くなっていました。


その時に、連続投稿をすると投稿の度に励ましのカードが現れるnoteのサービス機能を知り、それだけをモチベーションにして続けていけたのです。
そして切りの良い100日連続を達成した時には、もう私は励ましのサービス機能が無くても書けるようになっていました。
もうモチベーションは私の中にあり、今現在も殆ど誰にも読まれていませんが、それでも挫けたりせずにドンドンと書いていこうと思えるようになりました。


そしてもうひとつ、素晴らしいプレゼントがありました。


それが「もっと伝わるように書きたい」と思えたことでした。


誰にも読まれておりませんから、上手いも下手もありません。私も数をこなすことを第一のようにしていました。
しかしそれが今度は「質」を自分から意識するように変化したのです。
これほど嬉しいプレゼントはありません。普通は誰かに厳しく指摘されてそう思わされるものです。
しかし、それが自分で気づけたのですから何も僻んだり言い訳をしたりする事が一切なく、自ら成長を望めたのです。
とても恵まれていると思います。


それから暫く考えてもなかなか上手い方法が見つからなかったのですが、ようやくこの度こうして出来ました。


繰り返しますが、まだ自分でも完全に手探りです。4つもありますがひょっとしたら使われないものもあるかも知れません。
でも、使ってみたいと思うところもありますから、これからの記事作成に活用していきたいと思います。


新シリーズ 【2つめのPOV】企画説明(No.0140)


おわり


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