【借りものたちのメッセージ】 第3編「変わるときに」:前編(No.0195)
今まさに私の身体はサナギになるべく準備を整え始めているようだ。
かつて父のカブトムシから聞いていた話を、私自身が今体験している。
食欲が減り、眠気が生まれ体の表面が少しずつ固くなってきているような気がする。
しかし、私の心はいまだそのサナギへの階段を昇ることへの準備が出来ているとは言えなかった。
私の父は熱心な人で、生まれたばかりの幼虫であったころの私が尋ねる幼稚な質問にも丁寧に答えてくれた。
幼虫の私と、成虫である父では見た目がまるで違う。なぜそんなに違うのか?幼虫の私には不思議だった。
これは生命としては当然であろうことだから、成虫のものからしたら鼻で笑ってしまう内容だが、そんな簡単な疑問でも父は馬鹿にすることなく子供の私に答えてくれた。
そういった内容の質問を沢山したなかに、今私に訪れているサナギに関するものもあった。
それは、父と一緒に食事をしているときだった。
ある雑木林に生えているクヌギの根元で、幼虫の私はおが屑だとかを食べていたのだが、父はそんな私の姿をジッと見つめていたのだ。
私は
ー父さんも食べる?
と、たくさんあるおが屑を手で掬って差し出したのだが、父は
ーいや、そうじゃないんだ。ただ昔を思い出したからね、つい見つめてしまったんだ。食べたいわけじゃないんだよ。だって、ほら見てご覧。父さんみたいな成虫はね、君たちみたいなアゴは無いんだよ。だからモグモグ噛み潰すなんてできないんだ。頑張って食べたって美味しいとも思わないだろう。消化する力も無いしね。
と言って、幼虫の私を置いて根本からクヌギをよじ登り、遥か高いところに位置する幹のところへ行ってしまった。
私は顔を上げ、幼虫の私には果てしなく高いところにしか見えない幹にしがみついた父の姿を眺めながら、私は私でもぐもぐとおが屑を食んでいた。
すると父はすぐに引き返してきて、両手に貯めた液体を私に差し出しました。
ーほら、これが私達成虫である大人が食べているものだ。
私は、父が差し出した何やら茶色い液体を見つめていたが、口の中のおが屑をゴクンと飲み干すと、恐る恐るその液体を舐めてみた。
それはほとんど何の味もしないものだった。少しドロッとしていて特徴といえば何となくだが、匂いがあるような気がした程度だった。
父にそう告げると、父は
ーそうだろうね。まだ君たちには分からないのだよ。これはクヌギの樹液だ。私達のような成虫になると、もうこのような液体しか食べられないんだ。これはおが屑と違って噛みごたえも無いし満腹感も無いんだ。でもとても香りがあって繊細で美味しいんだよ。木によっても味が違うし、果物なんかも美味しい。私には少々甘すぎるがね。でも、そうやって変わっていくときが来るんだよ。君もいずれそうなるはずだ。そのときにはサナギという状態がやってくるよ。それは変化の合図だ。よく考えて受け入れるんだよ。
父の説明は幼虫の私には難しく、殆ど聞き流していたのを覚えている。
あのときの私は父の言葉よりも目の前のおが屑に夢中だった。
父もそんな私の心を見透かしていたと思う。
しかしそれでも話をしてくれたのだ。
つづく
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