【2つめのPOV】シリーズ 第6回 「しがみつく」 Part.6(No.0234)



パターンA〈ユスタシュの鏡〉


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Part.6

(Part.5 はこちら


まだ初夏と呼ぶには早い時期にも関わらず外はもうすっかり明るかった。古びたにも程があるこのアパートの二階角部屋。
玄関を開けると目の前には腰程度の高さしか無い鉄柵があり、一歩前へ出るとそのガバガバの隙間から階下の自転車置き場が足元に見える。

私は目線を自転車置き場の手前から右に折れたすぐにその先、アパート敷地から出た狭い道路を挟んだ向かいにある陰気な一軒家に向けた。
その家の壁沿いをなぞるように視線を動かす。

誰もいない。

あるのはそのくすんで苔の生えたコンクリブロック塀と、そこに貼られた色褪せて腐ったポスターだけだった。
階段を降りる前にこうして確認することもまた "開戦 "以降は習慣となった。


しかし、この習慣にはきっかけがある。
それは "開戦" 以前からこの向かいの家主たちが、私や他の住人たちに対して 仕掛けていた "攻撃" であった。


当時、このアパートへ引っ越したばかりの頃はそのことにまるで気が付かなかった。
確かに毎日そこの家主の老人は日がな一日、家の周りをウロウロとし続けていたが特に何も不思議に思わずにいた。ごく当たり前の日常に見えていた。

はじめの頃、私はその家人と思しき老人の顔を見かけると、軽く会釈したり挨拶で声をかけたりしていた。

だが、彼らはまるきり私のことを無視し続けた。


その家はどうも老夫婦のもので二人暮らしのようだった。家と同じくらいの陰気な老人が毎日何度となく出たり入ったりを繰り返していた。
しかし、その夫らしき方にも、妻らしき方にも、そのどちらにも私の挨拶は袖にされ続けたのだ。


私も近所とはいえそこまで相手にする必要もないと思い、何度か無視されてからは声をかけなくなっていった。


だがそのうちに、この老夫婦の行動に違和感を覚えるようになっていった。


私はこのアパートへ越したあと、何度となくバイトを変えている。
出勤時間帯もその時のバイト次第でまちまちだったので、夕方出勤で深夜に帰宅したり、夜勤で朝方に帰宅という生活もしてきた。


でもそういう風に生活を変えても、私は出勤や帰宅の際にこの老夫婦のどちらかと接触することが普通にあったのだ。


流石に深夜帰宅のときは出会わなかったが、それ以外はかなりの頻度で出くわした。


更に面白いのは、外出する私と入れ違いのようにして当の老人は家に入ってしまうのだ。
この奇妙なタイミングの揃う偶然が続いていたことを、私はその生活の中に見つけた。
それは開戦よりずっと前のことだった。


そして"開戦" となった。


みんなして何処へ行くにも顔に "汚い雑巾" を付けるようになった。
当然だが私は一切付けなかった。


私も騒動を起こすことが目的では無いので、任意の場所やバイト先では付けたりもした。だが公共の場では付けなかった。
それ故に揉めることもあったが、当然だがこの騒動は嘘である。そんな病気などハナから存在しないしその顔雑巾にはネガティブな意味は無数にあれど、ポジティプな効果はひとつも無い。
科学的にも医学的にも法的にも、付ける意味も義務も責任も一切無いのだから付けなかった。
電車でもバスでも図書館でも市役所でも警察署でも、当然路上でも。


私はそのころは一応カバンの中に使い捨ての顔雑巾を持ち歩いてはいたが、しかしまず使わなかったし、家を出てバイト先で着替えるまで一切付けることはなかった。その時のバイト先には職場で用意されたものがあったので業務中はそれを付けて過ごしていたが、帰宅時にはその使ったものは職場で捨てていき、家に着くまではやはり通常通りにいただいたままの素顔で過ごしていた。


しかし、それからだった。
例の向かいの家の老夫婦の行動が目に着くようになったのは、そうした生活が始まってからだったのだ。


ある日、私がアパートの敷地を出て狭い道路から駅へ向かう通りへ抜けるとき、その家の壁沿いを歩くわずか十数メートルの間に、唐突に

ドカン!

という物音を耳にするようになったのだ。


はじめてその物音を耳にしたとき、私は思わず音の方へ顔を向けた。そこには例の家の陰気なコンクリ壁と、それ以上に汚らしいポスターがあった。
立地的に、私が物音を聞いたその汚い壁の向こうには、この家の庭に当たる部分がある。それはのちに、アパートの手すり越しに上から確認したので間違いなかった。

「なんだろう?」

と、一瞬気を取られつつも、そのまま歩みを止めること無くバイトへ行った。

そして帰宅時、私は既にそのことをすっかり忘れていて、頭の中は帰りがけに買った食材を使った夕飯のことでいっぱいだった。


だがアパートの敷地に入るその手前で、今度は

バダム!

という強い音が背中から響いたのだ。
振り返るまでもなく、その音は例の家の玄関を締める音だった。


それは決して珍しいものではないし、何処でも耳にする音だった。

しかし私はすぐに今朝のことを思い返していた。
そしてやはり、そのタイミングに疑問を持ったのだ。


私は家に入るなり、夕飯の支度よりも先にこのことを日誌として記録することをはじめた。


それから毎日、この音が発生する度に

日付、曜日、時間帯、周りの様子、天候、その日の時事

を、スマホで記録するようにした。


そうやってデータを取ってみると、これは偶然ではありえないという事が分かった。
そもそもこれまではそんなことが無かったのだから、調べるまでもなくどうみてもこれは故意である。


そうなると当然だが犯人である老夫婦は、明らかに私を監視し、私の行動を記録していることになる。
そしてそれに合わせてこの騒音動作を行っているのだ。

にわかには信じがたいくらい陰湿な結論である。私としてもそれは信じたくなかった。さすがに気持ち悪すぎる。


だから私は確かめることにした。


それから毎日、私はあえて決まった時間に出勤し、帰宅する生活に切り替えたのだ。

これまでのように帰りに寄り道をしたりせず、きっかりの時間に行動するようにした。

そうすることで、彼らに攻撃を "させ易く" したのだ。


2週間続けた。

バイトは平日だけだったので、平日はきっちりとその生活を守った。
そしてその間、当然のように彼らのその "攻撃" は続いた。


そして3週目の平日。

その日、私は普段の出勤時間より1時間早く家を出た。そしていつもとは反対の方向へ歩き、ぐるりと一周回るようにして駅への大通りに出た。そして大通り沿いの喫茶店でモーニングを食べながら時間を潰し、いつもの出勤時間の10分前までそこで待機した。
そして時間になって店を出ると、今度はその大通りから逆に進み、いつもの通りから小道の角まで戻り、そこから例の家を確認した。


いつもとは違い、今度は手前に例の家が見え、そしてその家越しに私のアパートが見えた。


私の部屋は道路側の角部屋なので、ここからでも人の出入りはもちろん壁沿いの窓も見える。カーテンは付けていたが、遮光ではないし、これなら中で何をしているかは第三者が簡単に確認できる。


そのまま5分ほど待っていると、例の家から老人が出てきた。
老人は道に出てアパートの方をしきりに見ている。

私は時計を見た。時間はちょうど出勤時間になっていた。


私はスマホを取り出し、動画撮影を始めながらアパートへ向かって歩き出した。件の老人はその道の真ん中で私に背中を向けている状態である。

私は左手で撮影しながら、右手でポケットのなかを探った。
そこには昨夜こさえた紙鉄砲が入っていた。

私は背を向ける老人の後ろでその紙鉄砲を振り下ろした。
その日は湿度も低かったせいか、まだ朝方で周りの騒音も少ないからなのか、私の想像を超えて紙鉄砲は勢い良く破裂音を鳴り響かせた。


パァンッッ!!


その強烈な音に、老人は文字通り飛び上がって驚いた。
彼は音のした後ろを振り返り、そこに立っているターゲットである私を見つけるなり、更に飛び出さんばかりに目を剥いた。


私は、


「おはようございます。すごい音がしましたね。最近はこの時間になると不思議なことに大きな音がしますよね? 何かご存知ありませんか?」


と、笑顔で挨拶した。


当の老人は目をひん剥かせたまま完全に硬直し、一切返答は無かった。
私は笑顔のまま老人の横を通り過ぎながらポケットに両方の道具をしまった。


角を曲がる際にチラと振り返ってみると、老人は未だに硬直して呆然と立ちすくんだままだった。



それ以来、例の音は無くなった。行きも帰りも。



残念ながら、私の答えは正しかったのだ。
本当に残念ながら私は監視されていたのだった。そして計画的にその攻撃は行われていたのだった。


私はこの一件でそのことが確認出来ると、こういったことが他にもあるのではないかと思い立ち、調べ始めた。
すると、それは実に一般的に、長い歴史を持って実践され培われてきた、確立された "テクニック" であることを知ったのだ。


この"テクニック" は、あらゆるところで行われ続けてきた伝統的な "攻撃法" だった。ときに形を変え、大きさも変えて。


このことは現在では心理学などという堅苦しい学問から学ぶよりも、一般販売されている書籍のほうがより簡単に知ることが出来る。
調べた限りだと、この手の情報を扱った書籍のタイトルには

"心理テクニック"  "洗脳"  "深層心理" 

などの文言が多く使われていた。
これらの本には実に様々な "テクニック" という名の ”攻撃方法” が紹介されているのだ。


こうして書くといかにも恐ろしいが、実際にはその多くが良いものとして書かれている。
自己鍛錬が目的であったり、営業利益の向上や気弱な人に自信をつけさせたり、長年の心の傷を癒やし克服させたりと、そんな耳心地の良い言葉で紹介されているものがほとんどだった。


しかし、その情報を得る前から私は知っていた。
それらの言い訳は嘘であると。
顕教や密教のように、表と裏があるのだ。
片方しか教わっていないものと両方を知っているものとでは、仮に同じ動作をしていてもその意味は違ったものになる。
一般的な書籍では書けないような "使用法" が存在するのだ。


例の老夫婦が私に向けた "攻撃" は『アンカリング』を使用した "兵器" である。『アンカリング』とは条件反射といったもので、早い話がパブロフの犬の話だ。
ある行動に対して特定の動作や情報が組み合わされることで、その行動、情動を操作することが出来るというものだ。
食事の時に合図としてベルが繰り返し鳴らされると、やがて合図が鳴るだけで犬がヨダレを垂らしだす。
この有名な話ならば、食事という行動の奥にある食欲という情動、これがベルを鳴らす動作や情報によって操作出来てしまう、となる。


いかがわしさが拭えないので私は好きではない言い回しだが、要するに無意識などという言葉で語られる部分に、その "テクニック" という名の "兵器" は影響を与えるのだ。


この "兵器" は、我々の敵である『上級国民軍』の下等兵士たちに "標準装備" として配備されている。
扱いがたやすくて安価、マニュアルすら不要なバカでも使える "武器" である。
一応、使い方は訓練されている。しかしその訓練内容は大したことはない。


"ある特定の条件の人物に対して、特定の動作を行うこと"


大体がそれだけで、その対象や動作が時期によって変化する程度だ。

今回の私の件は、その "攻撃方法" のなかでもかなり広範囲に使えるもので、大昔から綿々と伝わる "古代兵器" といって良い代物だ。


暴走族が発生させる暴力的な騒音
暴力組織の人間が放つ凶暴な発声による発言や生活音
机を叩く音や椅子をガタガタ鳴らす音、グラスを置く音、咳やくしゃみ、舌打ち、ため息…


これらは全て "合法" である。


これらの行為を取り締まることはまず出来ないし、仮に対処する法律があったとしても実際には適用されることはなく野放しである。
しかもこれらの行為を指摘すると、今度は逆に言いがかりだと揚げ足を取られ、相手に暴力を振るう言い訳を与えることにもなりかねない。


これらの行為は人間として、倫理としてある程度許されている部分がある。何故なら誰でも不意に物音を立てることはあるからだ。
それは時として、人に迷惑を与えるほど大きいときもあるのだが、それは仕方のないことだと誰もが考えて許容するのが社会の常識となっている。


しかし、『悪』というのは、その部分を "旨み" "弱み" として受け取るのだ。


この社会の営みとして存在する許容範囲を、都合よく限界まで拡大解釈し、常識を遥かに超えた量と回数を "意図的に実行" する。


これが最悪なのは、この "意図的" という部分である。
この範囲を "攻撃" として悪用する者たちは、意識してわざとやっていながらも偶然の範囲内であると主張するのだ。
この都合の良い二枚舌こそが彼らの "武器" だ。これを下地にしてバリエーションを増やしている。


こうした物音ひとつでさえも長い長い歴史があり、途方もない実戦経験を経て磨き上げられているのだ。

単純で明快、すぐに実践に配備できる安価な兵器。


しかし、この兵器。何かに似ていると思われるかも知れない。


そう、『威嚇』だ。


これは獣でもやっている威嚇動作そのものなのだ。


そのことが分かると、逆にこの武器の恐ろしさがよく理解出来るはずだ。
動物や虫同士でさえも通用するこの "兵器" は、それほどに広範囲に使われ、そして何よりもあらゆる条件下で確実に『結果』を出せることが証明済みなのだ。


だが、人間が使うときは少し勝手が違う。
獣が使うときは、あくまでも自分たちの身の危険や生命に関わるときに使うのみだが、『悪』が使う時はそうでは無い。とことん汚らしく姑息なのだ。


利益のため、損得のため、快楽のため…


つまり、この "兵器" を使う兵士たちは獣以下ということだ。


本来人間は、このような獣以下の振る舞いをすることを誰もが嫌がる。

こんな不潔で惨めな事はしたくないと誰もが首を横に振る。たとえ敵と直接戦う必要性が生まれたとしても、もっと正々堂々と戦うことを望むものだ。それなのにこんな無様な武器で戦うことを命じられる。そんなのやってられないと思って反抗するのが普通だと思う。

私は自分で調べてそのことを知った当初は、たしかにそう思っていた。
だから何故そんな小汚い行為が平然と出来るのか不思議だったのだ。
だが、違った。
それは前提がそもそも違っていたのだ。


つまりこの "兵器" を日常的に使用する『上級国民軍』の下等兵士たちは、最初からこのような汚らしい武器を、平然と "非戦闘員" にまで使用出来るほどに "腐りきって" いたのだ。


もっといえば、それくらい腐りきっていなければ、彼ら『上級国民軍』の下等兵士は務まらないのだ。


そのことに気づいた私は、呆れながらも

「よくもまぁ、そんな連中ばっかりかき集められるもんだ」

と感心したが、その時にふと例の老夫婦を思い出した。



彼らの顔
彼らの見た目
彼らの生活 振る舞い
彼らの目
彼らの家
彼らの服装
彼らの靴
そして 彼らの 壁


私は初めてこの "攻撃" を受けたときに、思わず音のする方向へ顔を向けた。
そこには汚い壁と、更に汚らしい『ポスター』が貼ってあった。


私はそれを思い出し、そしてついに理解出来た。



Part.7 につづく

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