【グッドプラン・フロム・イメージスペース】Episode.7 「生きたくない人たちがいるなんて」 まとめ記事


 図書室の整理をしているユウタは、委員でもないのに手伝ってくれているトオルに一冊の本を見せました。


「この本はここが汚れているんです。」


ユウタの開いたページにはジュースのシミみたいのができていました。


「そうですね。」


トオルは何か意味があるのかと思いしばらくそのシミを眺めていたが、よくわかりませんでした。


「トオル、このシミには特に意味はないのです。」
「では何故見せたのですか?」


ユウタは本を閉じるとテーブルに置いた。そのテーブルには他にも何冊か本が乗っていました。


「このテーブルに乗っている本は全部シミがあるのです。」


ユウタはテーブルにある別の本をとって栞のあるページを開いてトオルに見せました。


「たしかにシミがありますね。」
「このシミはジュースです。みかんのにおいがします。」


トオルは顔を近づけると、甘い柑橘のにおいがしました。


「うん、しますね。ここの本が全部そうだとしたら、これはイタズラですね。」
「はい。全部そうなのです。私もイタズラと判断してます。」


二人はテーブルに積まれた本を見つめていました。


「残念ですねユウタ。こんなつまらないイタズラをするものがいるなんて。いやしかし、こういう輩はどこにでもいるでしょう。」
「はいトオル。本当に残念です。そんなやつがノコノコとこの図書室を日々利用していることも不快です。しかしこのようなことをして一体なんの意味があるのでしょう。」
「この手の連中は他にすることがないのですよユウタ。」


トオルは他の本のシミを確かめながら言いました。


「でも図書室の本にみかんジュースを垂らすこと以外に何もすることが無いなんて、そんな人物がいるものでしょうか。よくわかりません。」
「ユウタ。私はあなたよりも歳が上ですから、知っているのです。」


とりあえず二人はシミのついた本が西日で灼けてしまわないように隅にまとめて下校しました。


ユウタは気持ちが落ち込んでしまい、帰りの足取りも重く何も話そうとしませんでした。
トオルはユウタの気持ちを察して途中のパン屋に誘い奢ってあげました。


パンとお茶を持って二人は近くの公園へ行きました。
やや不貞腐れ気味にメロンパンをかじるユウタにお茶を勧めつつトオルは言いました。


「ああいうことをする連中は一体どんなやつなんだろう?と、ユウタは不思議に思っているのではないでしょうか?」


ユウタはモゴモゴと口を動かしつつ頷きました。


「ユウタ。ああいうことをする連中はみんな同じで、人生に希望が無いのですよ。」


トオルがストローを挿してくれていた紙パックのお茶を飲み、喉を潤してからユウタは言いました。


「どうして希望が無いのですか?」
「事情は色々あるでしょうが、大きく言えば今回のことみたいなやましい事を沢山してきたからですね。」


トオルは何やらジャムの乗ったタルトをかじりました。


「やましい事をいっぱいしている・・・、ジュースに限らずですか?」
「はいそうです。彼らはこういう下らない汚れた事を人生の中で沢山してきているのです。ですから周りの人にとても嫌われているのです。」
「それは周りの人にバレているからですか?」
「いいえ、バレては居ません。しかしそういう汚らしい気持ちを持っている事はバレています。ユウタ、君もわかると思いますが、日々生活していて気持ちの汚れた人はやっぱり見ただけでも何となくわかるものでしょう?」


ユウタは両手で持ったメロンパンのかじった跡を見つめながら言いました。


「たしかに変なやつはすぐにわかりますし、目を見たり話をしてみればほぼ100%解ると思います。」
「そうでしょう。しかし彼らはそれがわかりません。つまり自分が汚れた心の持ち主だとバレていることに気づいてないのです。」
「そうなんですか。どうしてでしょう?簡単なのに。」
「バレてほしくないからですね。だから都合の良いように解釈しているのでしょう。」
「しかしトオル。人は希望がなくなると本を汚したくなるものなのですか?私にはよくわかりません。」
「ユウタ。それは意外と当たっているのです。人は希望がなくなると本を汚したくなるのですよ。ただし、図書室などの本に限りますが。」


ユウタはハッとして立ったままのトオルを見上げました。


「何故です?! 何故図書室がひどい目に合うのですか?!」


スズメたちが彼らを遠巻きにして見つめています。


「ユウタ。それは簡単です。迷惑や嫌なことをしても抵抗しないし見つからないからですよ。不快な話ですが事実です。」


再びユウタはかじり跡を見つめました。


「トオル。その話はとっても不快ですよ。しかし多分、それは真実なのでしょうね。」
「はい。残念ですが。」


トオルはタルトを食べ終えました。


「ユウタ。君には少し早いかもですが、しかしもったいぶることもありませんから、この機会に伝えておきます。」
「なんですかトオル。もったいぶることなんて当然ありませんよ。さあ、教えてください。」


さっきの話がとても不愉快だったせいか、ユウタは少し気が立っているようでした。


「わかりました。では彼ら、つまりこういう下らない事をする汚れた奴らのことですが、彼らは人生に希望がありません。」
「それはもう聞いています。さあ、その先を。」
「はい。その希望のない彼らはただひとつだけ望んでいるものがあるんです。それは彼ら自身ほとんど気づいていませんし、伝えても認めませんが、しかし汚れた者たちは全てこれだけしか望みがありません。」
「その望みはなんですか?」
「その前にユウタ、お茶をください。」


トオルはタルトが少し喉に詰まっていたようで、ユウタの座っているベンチに置いたままのお茶を求めました。
ユウタは、フタを開けてトオルに渡しました。トオルはストローを使わずに500mlパックのお茶をグビグビと飲みました。


「はー。ありがとうユウタ。話を続けますが、彼ら全員の心の奥にある唯一の望みは死ぬことです。」
「死ぬこと?自殺したいのですか?!」


ユウタは思わずメロンパンをギュッとしました。厚手に盛られたクッキーがボロボロと剥がれて足元に落ちました。


遠巻きにしているスズメたちがザワつき始めました。


「いいえ自殺したいのではありません。死が来ることをボンヤリと、しかし確実に心から望んでいるのです。」
「うーん。わからないです。」
「希望が無いのですよユウタ。希望とは成長ですよ。日々、大きいものでも小さいものでも希望を持つのです。そしてそれを求めて生きるのです。その時に人は成長します。」
「それは、そんな気がします。」
「ええ。そうだと思います。しかし彼らはその希望が無いのです。ですから生きる目的がありません。彼らは一見ヘラヘラしたりして楽しげです。しかしそれは強がりに過ぎず実際はウンザリするほど退屈なのです。」
「退屈・・・。それならいっそ汚すのではなく読めばいいのに。」
「ユウタ。それが出来ないのですよ。彼らにはそんなことは出来ないのです。成長していないし、成長出来ないのですから、本を読むなんて行為は人生の中に無いのです。」


ユウタはさっき握ったせいでクッキーが剥がれた白い部分を食べました。


「もぐもぐトオル。本を読むことすら無い人生なんて、あまりに惨めすぎませんか?」
「はい、そのとおりです。実は彼らもそのことを知ってます。自分たちの人生の惨めさには気づいていますが、彼らの人生はここからが勝負なのです。」
「勝負とはなんですか?」
「はい。つまり、自分のあまりに希望の無い汚らわしい人生に気づいた彼らは、そこからの人生で一瞬足りともそのことに気づかないように生き始めるのです。」
「それはどういうことでしょうか?」
「そこから彼らは、ただの一瞬でも自分自身の愚かさに触れないように生きていくことが義務になります。ですから先ほど言いましたように本を読むなんてあり得ないのです。本を読むことで人は成長しますからね。しかし彼らは成長が出来ない。成長するためには自分の弱さや愚かさに気づいてそれを認めて乗り越えることが必要です。こんなこと彼らには出来ません。ですから読んでもその場だけで終わるようなマンガみたいなノベルどまりです。」


ユウタは何だか疲れてしまったようで、トオルの話をすぐに飲み込めないようでした。メロンパンは外側のカーブしたクッキーを残して食べ終わっていました。


「ユウタ、いきなりだから辛いだろうけど折角の機会だから全部聞いてください。」


ユウタは頷きました。


「彼らは自分たちが成長できない、つまりは進歩しないし救われない事に心の奥では気づいているのです。そして本ひとつ読めない人生に歳を関係なく全員がウンザリしているのです。そんな彼らが心から望む事はやはり死ぬことだけなのです。もう嫌なのですよ。彼らは、彼ら自身の人生を続けることが」


ユウタはキッとなってトオルに言いました。


「それならば辞めればいいではないですか?! そんなことしなければいいでしょ?! どうして図書室の本にジュースを垂らすのですか?!」


トオルは大切な友人の怒りを静かに受け止めました。


「ユウタ。辞めることも勇気がいるのです。彼らが何故図書室の本にシミを作るのかもう一度思い出してください。彼らは抵抗しない、優しくて穏やかで真面目で美しいものを見つけ、それに自分の汚れた心を拭き取らせようとするのです。」
「トオル。私はそのシミを拭き取ろうと頑張ったのです。」
「知ってます。その汚れは彼らの汚れです。当然ですがそんな事で彼らの汚れは落ちません。人に迷惑をかけている分ますます汚れていきます。しかし、この行動にはもう1つ大事な意味があります。」


ユウタがベンチに置いた紙袋を気にする様に、チラチラと目線を送っている事に気づいたトオルは、


「ユウタ、紙袋にあるパンを取りなさい。」


と、促しました。
ユウタはアンパンを取りました。
またしてもスズメたちが色めき立ちます。
しかしユウタは、


「トオル、これは妹にあげますから。」


と言って再び紙袋に戻しました。
スズメたちの小さなため息が響きました。


「ユウタ、もう1つの意味は仲間です。」
「仲間ですか?」
「はい。彼らはそうやってモノでも人でも何でも汚すのです。だって自分だけが汚れているなんて辛いからです。」
「酷い話です。自分さえ良ければいいのですか?自分のせいで人が苦しむのに罪悪感は無いのですか?」
「無いです。彼らは損得しか生きる基準が無いのですから。得するならば何でもします。そして、いいですか?彼らはその自分の愚かゆえの苦しい人生を、他の人にも味わわせる事が目的なのです。」


ユウタはハッとしました。


「トオル。私は今味わわされています。」


ユウタは目を見開いてカーブしたクッキーを見つめます。
スズメたちも寄せ集まって不安そうに見守ります。


「ユウタ。気づきましたね。あなたは彼らによって苦しみを与えられたのです。そしてその瞬間、この世界に苦しみが増えたことになるのです。」


未だユウタは動けずにいました。


「こうやって世の中に苦しみを増やして自分と同じ思いをする人、つまり仲間を増やすのです。そうすれば彼らは少しだけ苦しみから救われるのです。共感出来る仲間がいますからね。」
「酷いです。こんな酷い事はありませんトオル。自分が反省して改めればいいだけなのに!」
「ユウタ。その怒りもまた彼らからの汚れが原因です。」


トオルは気を抑える為に、ユウタの肩に手を置きます。


「ユウタ。今日は色々と学びました。もう帰りましょう。」
「トオル。疲れました、帰りたいです。しかし最後に、どうすれば良いかを教えてください。」


トオルはベンチに置いてある紙袋をまとめ、ユウタに渡しました。そして空になったお茶のパックをユウタの分もまとめてゴミ箱に捨てました。


「賢くなりなさいユウタ。正しい事を学ぶのです。ウソを捨てて真実を得るのです。彼らはウソによって作られたのです。愚かだからウソに騙され続けているのです。」


ユウタは立ち上がりましたが、まだ動けずにいました。


「まだよくわからないようですね?でも無理はありません、しかしユウタは必ずわかるようになります。」


ユウタはうつむいた顔を上げ、トオルに向けました。


「そうですね、ユウタこちらへ来なさい。」


ユウタはトオルの方へ近づきました。
ユウタが来るとトオルは指差しました。


「あれを見るのですユウタ。」


ユウタは振り返って、いま居たベンチの方を見ました。


すると、待ちかねたスズメたちがユウタ達のこぼしたおいしいやつをつつき倒しています。


「ユウタ。あれを見てどう思いますか?」
「嬉しい気持ちが湧いてきますトオル。」


トオルは促すようにユウタの背中を軽く押して、歩き始めました。
ユウタは西日に染まったトオルの背中について行きました。


「ユウタ、さっきまでの気持ちは去ったでしょう?」
「はい。」
「ユウタ。もしこれからもあの様な気持ちになった時は、助けてもらうのです。世の中は優しくて誠実さに満ちていますから、遠慮せずに助けてもらいましょう。私たちはあの小さなスズメからでも救いが貰えるのです。」


ユウタは既にいつもの爽やかな笑顔を取り戻していました。


そして手に持ったカーブしたクッキーをスズメたちに向けて放り投げました。
驚き、逃げたスズメたちは飛んできたものがまたしてもおいしいやつだと気づき、すぐに戻ってきて仲間たちと激しくつつき始めました。


帰路につく二人を包む西日の暖かさは、まるで黄金の毛布のようでした。



【グッドプラン・フロム・イメージスペース】Episode.7


「生きたくない人たちがいるなんて」


おわり

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