【楽園の噂話】Vol.16「『責任』をください︰後編」 (No.0082)


前編のつづき



また、街を掃除する権利が無いという事は、結局はその街を掃除する為にどこかでお金が動いているのです。

つまり誰かが儲けているわけです。


自分たちの街を自分たちで大切に使う為の手間を惜しむせいで、そこに派遣会社が行政に介入するスキが生まれ、不透明なやり取りで業者との契約が結ばれるのです。


住人の「責任」が金に変わるのです。


献血が人の善意や愛から行われるのは美しいでしょうが、その「善意」は、すぐに不透明なプロセスから血液製剤などの「商品」に変わり、大変な金額で取り引きされるのです。


人々の「愛」や「善意」や「人体の一部」が金に変わる瞬間です。


毎年芸人がマラソンする番組でチャリティを謳って寄付を募り、CMなどでまたしても金を生み出します。


確かに薬を作ることもチャリティイベントもお金がかかる事ですが、個々人がもっと「権利」を意識していたら、今のような不透明な状況で暴利を貪る環境が続いていたでしょうか?


自分の心にある小さな責任感は、どんなに小さくてもささやかでも、果たされる事でその「結果」が自分に返ってきます。

壁に投げたボールのようです。

この「返事」が人に生きた手応えをもたらします。


その「責任」が自分から分離するのは、投げたボールがいつまでも戻らない事と同じです。

モノとしてのボールはまた買えば良いかも知れませんが、心にあるボールは自分自身です。

本来容易く切り売り出来るものではないでしょう。



チャップリンの「モダンタイムス」では、「全自動ゴハン食べさせマシーン」が登場します。

いわば介護マシーンです。


映画では上手く動かずにチャップリンが食べ物に塗れたり機械に翻弄される様が面白く描かれますが、仮に完全に自動化が出来たところで、結局噛んで飲んで消化して吸収して排泄する「責任」は本人にあるのです。

これは分離出来ず自動化不可能なのです。



肉食の是非はともかく、精肉にする過酷なプロセスを他人や業者に任せたからといって、動物の命を有り難くいただく「責任」は購入し食べる人達にもあります。


見えないから無い訳では無く、分離されてもいませんが、実作業から距離が生まれると当事者意識は希薄になります。


人から責任や権利を分離させる事の矛盾や違和感が、テクノロジーや社会の進化で日々希薄にされているのを感じるかと思います。


こうしてハイテク化の名のもとに、私達の中から勝手に様々な「分離」が説明も無く行なわれ続けます。


その果てにある世界、それが「スマートシティ」です。


住人の誰にも「責任が無い」世界です。


それはつまり人間である事を全て「分離」された世界です。



今の私達にもすでに街を掃除する「責任」は分離されています。


しかしそんなに掃除が嫌いですか?

掃除する事で落ち葉を使って焼き芋が楽しめるのですよ。

責任と権利は同じです。


この大切さに気づくのは奪われたあとかも知れません。


その時になって、求める為にこう叫ぶのではないでしょうか・・・



【楽園の噂話】 Vol.16


「『責任』をください︰後編」 (No.0082)



おわり



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