【2つめのPOV】シリーズ 第5回 「実り 」Part.3 (No.0205)
パターンB〈ラウディのサングラス〉
[Remove sunglasses]
野菜などは形が不揃いで見栄えが悪いと売り物にならず捨て値で取引される。農作物などは不揃いのほうが本来自然なのだが見た目が悪いと容赦なく価格は下げられるため生産者側も形の均一化に努力をする。それによって得られるものは効率と商業性と見た目だ。確かに一理あるが自然のものは建築やコンピュータの部品ではないのだから形が不揃いで当然だし本質的には何も問題はない。しかしそのこだわりのせいで廃棄になる食品の数は無視できないものがある。それだって問題なく食べられるし、それを作るために使われた労力やエネルギーは大変なもので無視できるものではない。この問題が野菜果物で終わるのであればまだいいのだが、恐ろしいことにこの考え方は現実の世界ではアッサリと人間にも当てはめられてしまっている。
一人ひとりが個性を持ち才能を持って生まれてきたのに、それを発見し磨くチャンスも考える時間も与えられず、その事実さえも何も教わること無く、自分でそのことに気づけるより遥か前に才覚の芽を叩き潰すことが教育や社会の習わしになっている。その扱いはまるで個性や才能を病気や障害と同一視するかのようで、個々人の魅力や伸びしろをまとめて駆逐し漂白することを良しとする雰囲気が広められている。
その結果、まるで野菜たちの涙を味わうように日夜大人も子供も自分自身の身も心も踏みにじられ芽を潰され成長のチャンスを切り取られるこの苦しみを味あわされている。
とりわけ本来子どもたちを賢くし豊かな人生を送るための教育の機関である学校がその強力な担い手になっている。
野菜が不揃いであっても中身には変わりはない。しかし中身より効率や見た目や商業性を重視し中身を軽んじる傾向は極めて強い。
中身が育つ前の幼い段階でそれを行うのは極めて悪質で、計画し実行する者たちの本気度の高さが伺える。
本気で個性や才能を育たないように枷をハメているのだ。1ミリだって世の中の真実に触れさせない。
こうして誰もが未来や成長を潰され中身のない役立たずばかりの世界に作り上げれば、少しでも常識的な効果のある教育を施した者ならば絶対に上に行ける。たとえ能無しであってもだ。
悲しいことに連日行われるこの悲惨な現実に加担し従う者たちのほぼすべてが、その踏みにじられ苦しんでいるものたちと同じ境遇の経験者なのだ。過去にされてきたものもいれば現在進行形のものまでいる。その苦しさがわかり、その愚かさがわかっているものが手を貸して悪しきレールの上を突き進んでいる。轢かれるものの苦しさをその身を持って経験済なのに、なぜその悪人の道へ進むのか。
なぜ同じ境遇のものに同情し助けたり共闘をせずに、逆に自分たちを苦しめる側に味方をしたり肩入れしたり、心を通わせたり同情したりするのか。
従順さや無垢であることが、その人生の中での唯一の誇りなのだろうか。
怖いからか。なら何が怖いのか。自分たちを苦しめる連中の言動は信じて、同じ境遇の者たちを信じないのは何なのか。
いや、それも当然かもしれない。
そうやって闘う機会さえも幼い頃から奪われ続けて来ているのだから。
従うことしか教わっていないのだから。
[Put on sunglasses]
複雑なものは繊細である。それは世の常だ。だから雑なものは適当に扱っても問題ない。単純だから数もたくさんあるし代わりには事欠かない。
だが私達のような繊細で複雑な存在は丁重かつ慎重な扱いが必要である。
何しろ数が少ないのだ。
まして私達の跡を継ぐものとなると、条件をこなせるだけの人材がどれだけいるというのか。
確かに優秀である必要はない。だが馬鹿すぎてボロを出すようでは話にならない。そのへんをわきまえた程度のバカでいいのだが、それが見つからないし簡単には育たない。ぽっと出では容認されないので幼いうちから道を整えて歩かせる必要がある。
その道を、階段をしっかりと踏ませて育てるのは全く骨が折れるしトラブルが耐えない。
特に学生のときや若いときは厄介だ。馬鹿なので周りが張り合ってくるし、当人もそれにぶつかってやり合ってしまう。そういうときは実力勝負になってしまいがちだ。だから根回しをする暇もスキもないから経歴に傷をつける結果になりやすい。これが後から結構響くことがあるから注意だ。
世の中から注目されるような肩書きをつけさせ、世間から一目置かれる程度の実績をつけさせる。実際は実力などどうでもいいが見てくれは気をつけないとならない。
そのための材料など世間にいくらでも落ちている。拾えばいい。たまに文句を言われ騒ぎになることもあるが、潰せば良い。すぐに黙る。我々の跡継ぎの為になるのだから連中にも名誉なことではないか。我々の役に立てるのだ。奴らの成果が私達のこれからの繁栄の礎になるのだぞ。
我々のなかでも疑問を持つものもいる。連中がそんなに従順に都合よく従うのだろうかと疑い恐れる者もいるのだ。馬鹿馬鹿しい。
たとえば、自分が経営している鉄道会社の路線だけを使わせたいなら、連中にはその移動方法だけしか教えないことだ。
そうすればどんなに粗末で不便で不等な運賃であろうと、その移動方法以外に知らないのだから誰でもそこを使う。
これは絶対だ。
そこ以外を隠して見せなければいい。
選択肢が無いのだから誰一人として文句も言わずに通っていく。
だから心配は要らない。
連中は必ず従う。そうなるように形を整えているのだから。
ガタつきがある踏み台など使い物にならない。
しっかりと統一され固定されたものでないと安心して上には乗れない。
棒は磨くことで剣になる。
経験や役立つ知識や、この世の真実が磨きをかける。
丸い石でも磨くことでナイフにもなるのだ。
無駄なものを削ぎ落とし、そこまで尖ってやっと使命を果たす使い物になる。
だから踏み台になる連中には真実は禁物なのだ。
彼らにはいつまでも鈍い棒のままでいてもらわないといけない。
もし尖っていたら私達が踏みつけたときに危ないではないか。
【2つめのPOV】シリーズ 第5回
「実り 」Part.3(No.0205)
パターンB〈ラウディのサングラス〉
おわり
Part.4につづく