【2つめのPOV】シリーズ 第6回「しがみつく」Part.10(No.0238)



パターンA〈ユスタシュの鏡〉


[side:D]


Part.10


(Part.5: こちら Part.6 : こちら  Part.7 : こちら Part.8 : こちら Part.9 : こちら



こうした重たい罪の振り子に振り回されている残党たちが、今でも時折攻撃を仕掛けてくる。
しかしその攻撃には、もはや威力は無い。

組織が破綻し、現場への資金も滞って士気も下がっているし、これまで隠蔽してきた情報もすべて明るみに出て彼らの正体がバレてしまっている。


そして 未だに彼らが使っている "アンカリング" を使った古臭い攻撃も、さきほど私がしたような "ミラーリング" を駆使した "対策" があるのだから、彼らの攻撃すらまるで意味は無い。


彼らの "アンカリング" を使った攻撃に対しては、私がしたこの
"ミラーリング" を使った対処法が効果的である。


繰り返すが、彼らは自分たちの正体が明かされるのを極端に恐れている。
自分たちの実態や自分たちの考えていること、自分たちの胸の内を他人に見透かされる事が恐ろしくて仕方がないのだ。


そのカルト宗教から派兵された下等兵士が放つ "アンカリング" 攻撃に対して、同じ動作 "ミラーリング" を行うことで、相手から放たれる "メッセージ" とは "また違うメッセージ" をこちらから与えることが出来るのだ。




そのメッセージとは、



"あなたが行っている動作の意味を、私は知っている"


"あなたの行動の理由は、もうバレている"


"あなたにその動作を命じている "組織" のことも分かっている"



"あなたの正体を知っている"




本来、ミラーリングは親愛を意味する。
だがそれには "タイミング" が鍵になる。ゆっくり相手と同じ動作を行うのなら、それは親愛の意味にもなるのだが、今回のように、

"相手が起こしたアクションに対して、瞬間的に同様の動作をする"

ことの意味は、


"あなたのことはとっくに分かっているよ"



と、いう意味になる。
彼らはこれを最も恐れている。



影からコッソリと、正体がバレずに行うのが彼らのやり方だ。
というよりもそれしか出来ない。
本性が暴かれるというのは、すなわち命を失うことと同じだからだ。


光に晒されてしまう。日光で消毒されてしまうのだ。


自分の醜さを隠してくれる暗闇のベールが剥ぎ取られるのだ。人前にさらけ出されるのは、自分でも正面から向き合えないほどの醜い本当の姿。



ジョギング男も、私とすれ違いざまに "反撃" を受けてからは、もう気が気ではないだろう。突然に丸裸になったような気分のはずだ。


自分が周りの人からどう見られているのかが気になってしまい、走ることに集中なんか出来ないでいるだろう。


彼らの攻撃に毒性があるように、この "ミラーリング" にもそれがある。


以前、私の鳴らした紙鉄砲があの老人に決定的な行動になったように、この反撃は悪人に致命傷を与える。


と、いうのも彼らの多くは "反撃" されたことが無いからだ。

彼らは人の痛みを知らないしそれを理解しようともしない。
他人が痛みで苦しむ姿を、彼らは愉快なダンスとしか受け取らない。
あれだけの場数を踏んでいる彼らのなかでも、双方に攻撃をやりあった経験を持つものは実はとても少ない。


なぜならそれは簡単で、彼らは反撃しない相手にしか攻撃を仕掛けないし、
やられる痛みを知ってしまうと、暴力を振るえなくなるからだ。



これはいつの時代でもそうだ。
痛みを知らないものほどすぐに暴力を行使したがるのだ。


戦争でも、戦場での経験があるものは戦争を嫌がり、経験の無いものはすぐに開戦しようとするのだ。


銃弾の痛みはおろか、弾丸の重みすら知らないボンボン達が口だけ番長で幅を利かすのは、時代が変わっても同じなのだ。


痛みを知らないものは恐怖を知らない。
だから恐ろしく残酷で大胆な行動をする。
子供が残酷なのはそれ故だ。


連中はまさに子供である。
汚らしい身内でかたまって常に現実から目をそらし、自分よりも絶対に弱いと確信を持った相手にだけ居丈高になって横暴を振るう。


その値踏みのセンスが備わっているものほど、彼らの中で高い評価を受けるがその一方で、その分だけ "痛み" を知るチャンスを失う。


だから年を取っても子供なのだ。
さっきのジョギング男もいい年である。その点は私も人のことは言えないが、しかしあの男は人の痛みを知らないでここまで来たのだろう。
ひょっとしたら反撃を受けたのはこれが初めてかもしれない。


そうなると、今頃彼はその痛みでのた打っているかもしれない。
裸の恥ずかしさに右往左往なんてものでは無いのかも知れない。


この "痛み" 。

これが彼らへの毒なのだ。



彼らは年を取ってその "痛み" を知る。
それは成人がオタフクにかかるようなダメージだ。


凝り固まって柔軟性をとうに失った身体に、心に、その痛みは強烈に突き刺さる。ゼリーに五寸釘を指すようなものではない。
ガラス瓶につるはしを振り下ろす行為なのだ。


その痛みが、彼に恐怖を植え付ける。
彼は今後、同様の攻撃を仕掛けづらくなる。

何故なら反撃が怖いからだ。


次は更に、相手をよく吟味するようになるはずだ。
しかし、どんな相手であってもあの痛みが思い出されるようになる。つまり攻撃しようとすると、まず先に自分がその思い出によって "攻撃される" のだ。スニーカーに紛れ込んだ小石のように、自分が足を踏み下ろす行動が自らへのダメージになってしまうのだ。その苛立ちはすがるものを失っている彼には辛いことだろう。そのうちに彼はジョギングをする度にその痛みを思い出すようになるだろう。ただ惰性で行っているジョギングを止めたとき、彼の心の大黒柱は音を立てて崩れることになる。



このように彼らは "弱い" のだ。


末端もこのざまだが、上に上がったところで特に変わりはしない。血筋や家柄で "保護" されてきた連中こそ打たれ弱く、フェアに競われたら彼らには勝ち目など無いのだ。



だからこそ彼らは不正の手を緩めない。
緩めた瞬間に死が待っていることを知っているからだ。


彼らには、とりわけその上層部にはその恐怖が染み付いている。
上部に行くほど失うことへの恐怖は強まる。上級国民軍の上層部は銀の匙を100本くらい咥えながら生まれてきたものたちばかりだ。はじめから全てを持っている者たちだ。


つまり失うこと、持たないことを知らない人たちだ。

それが彼らには未知であり恐怖なのだ。

全ての雑事を従者に任せてきた彼らは、自分一人では掃除機のゴミパックすら変えることは出来ない。彼らはプライドが非常に高いから決して認めはしないが、その心の奥では自分の無能さを理解している。
でもそこに触れることはなく、またそこに触れる人間を許さない。
彼らは持って生まれた権力と立場を圧力へ転換して、自身を貶めるトラブルを力でねじ伏せる癖が身体に染み付いている。
それは代々親から受け継いだ経験であり伝統なのだ。
その伝統を受け継ぐ子供時代に、自分たちの都合を強権的に他者へ押し付けるやり口の暴力性に不快感を覚えても、結局は自分もそれと同じ方法を日常的に行使する生活が当たり前になってしまう。
命令と力押しの選択肢だけが、彼らの能力であることを彼ら自身は細かくは理解出来ていない。
言ってしまえば本能のようなものだ。鳥が飛ぶことを、魚が泳ぐことをどれだけ理解出来ているというのか。一匹のアリに複雑怪奇な巣の構造が全て理解出来ているとは思い難い。
しかし理解は関係なく出来てしまうのだ。何故かはともかく。


傍から見れば憧れ羨む力だが、当人は周り以上にその能力のメカニズムを理解していないから、それを失った時の絶望は大変なものだ。

泳げない魚に一体未来があるのだろうか?
飛べない鳥に希望があるのだろうか?

命令しても、身の回り全ての雑事を誰一人としてやってくれない上級国民に明日があるのだろうか?



深い理解が「信頼や安心」に繋がるのならば、その逆は「不安や恐怖」である。彼らは一方的で強烈なトップダウンだけで人生を過ごさなければならず、たとえ血を分けた家族間であってもその関係性は大前提だ。


だが、なまじその圧倒的な立場ゆえ、我々一般人のように人生の中で周りの他者との理解を求め合う必然性が発生しない。
何しろ、何をするにも誰に許可を取らずとも行えるのだから、いちいち他人の顔色を伺う必要など無いからだ。
その分、彼らの人生はある意味単純とも言えるが、人との紐帯が複雑に結びついた関係性の強度は、人にごく自然な形での安心や安らぎを与える。

だがそれは傍から見ただけでは、弱々しくてみすぼらしいものにしか映らない。逆に上級国民たちとなると、果てしなく広大な土地のなか、万全の警備が敷かれた敷地内に、幾重もの分厚い壁に囲まれ、強固な防犯体制が組まれた隔離世界で、ゆりかごから墓場までを過ごす。


他人との紐帯と分厚い壁、そのどちらが安心を与えるのかは誰に聞くまでもない。しかし実際は、人との繋がりが与える安心感と、そびえ立つ壁とではそれぞれにその与える安心感の方向性が違う。本来それは単純な優劣では測れないはずである。
だが、彼らにはその価値観の違いを理解する持ち合わせが無い。


彼ら上級国民にとって、他者との関係性はどこまでも上下関係どころか、常に自分たちだけが上に居る生活が当たり前なのだから、他者との繋がりなんぞに重きを置くはずはない。

彼らにとっては分厚い壁こそが唯一絶対に信頼出来る安心の由来なのだ。
それはもちろんある意味では正しい。

猛獣が放たれた世界では、その厚い壁は何よりも頼りになるに違いない。


でも、壁では防げないものに対しては、一体どうするというのか?




part.11につづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?