【2つめのPOV】シリーズ 第1回 「土台」(No.0144)
『パターンB〈ラウディのサングラス〉』
[Remove sunglasses]
いつの頃からかレジ袋が環境問題の対象として目をつけられ、やれ燃やすとダイオキシンが発生するやら原料が環境に悪いやらと叩かれ続け、その都度の業者の努力も虚しく、遂に完全に有料として扱われることになってしまった。これでレジ袋が使われる量が減ることでゴミとしての量も減りゴミ問題やそれから現れる環境破壊が改善に向かうというのなら、まあそれも受け入れる事も出来るが、しかしレジ袋に使われる材料は早い話が石油でありプラスチックである。
ペットボトルは増産され続け、瓶に戻る気配は無いのに、それよりも遥かに少ない原料で出来るビニール袋がどうして環境問題の悪玉として扱われるのであろうか。
プラスチックストローも相当の店で手配を辞めており、氷を入れた飲み物は大変に飲みづらい思いをするようになった。
地球の自然環境が人類や地球の生命にとって大切なのは認めるところだが、そのための対策がビニールとストローなのはあまりにバカバカしい。
ビニール袋で言えば、持ち運ぶ道具のあとはゴミを纏める袋として”再利用”される。これが有料として扱われることでゴミを纏めることが特別になり、結果ゴミの散乱や、食べ残しをビニールに入れて縛り蓋をする衛生管理も失われ、虫が湧く原因にもなり生活環境は酷く悪化する懸念が大いにある。
現在も高値で動くマスクだって、原料は化学繊維、つまりは石油である。ビニール袋と変わらない。ビニール袋で包まれたゴミは虫から守られるが、マスクで覆われた口はウイルスを防がない。
全く役に立たないものには環境問題の責務を剥がし、昔から利用され続けてきた便利なものには環境問題を一心に背負わされる。
本当に地球の環境問題を考えるのなら、もっと真剣に手を付けるべき事はたくさんあるだろう。世の中にはわざと環境を汚す者たちが山程いるのだ。
それは便利で役に立ち環境負荷も少ないはずのビニール袋を使って金を儲けようとする者たちと同じ心理である。
こういう輩によって環境問題は煽られ、その煽りに乗り真剣になって環境問題に取り組んだところで根本的に解決することは許されない。
それは、煽るものと食い止めるものが全く同じだからである。毎日莫大な量の廃棄食品を出しているコンビニ大手がビニール袋で環境問題を取り扱うなど馬鹿馬鹿しい話である。その弁当1つの廃棄で、一体ビニール袋何枚分の環境負荷になるのか考えたことはないのだろうか?
しかしそんなことは考えもしないしどうでもいいのだろう。
コンビニは廃棄させることを目的として、絶対に売れ残る量を生産し店舗に”買わせる”のだから。
会社としては店舗に”買わせた”時点で目的が完了しているのだから、あとのことはどうでもいいのだ。
そして、その問題の矢面に立たされ世間から怒られるのは、一方的に押し付けられ何の権限もないチェーン店舗なのである。
店舗を叩いても解決しない。
ビニール袋を減らしても解決しない。
ストローを無くしても解決しない。
本当に問題を解決したいのなら、物事を根本から考えていき実行しなければならないのだが、そうすると現在利益を確保し財産や権力を持つ既得権益者に必ずぶつかり、それを批判したり傷つけたりすることは色々な意味で死を意味する。その壁を迂回した結果、ビニールやストローが叩かれるのである。
そうして既得権益者の都合が生み出した歪んだ現実を、物事の根本に触れない次の世代が引き継ぐ。
この世代は何故ビニール袋やストローなのかを考えようとしない。
次の世代はもっと形骸化する。環境問題とこれらを結び付けることすら出来ない。
[Put on sunglasses]
初めて利用するものとそのあとに利用するものとでは状況が違う。
同じ状況で利用できると考えるのは間違いであり、風呂ひとつとっても一番風呂とそのあとでは湯の当たりが違うし汚れも違うが、風呂であることは同じなのでつい同列に考えてしまう。
その習性を上手く利用することで、原理原則を奪い軽視させる。ガラスをプラスチックに、シルクをビニールに変える。
人権や権利や選挙権を経年劣化させる。
水を垂らした角砂糖のように、ジワジワと溶かしていく。
そのためには、人々を愚かにさせることが必要である。
人生の大切なものに一切触れないように生活をさせる。
人生の原理原則を決して教えてはいけない。
その場しのぎの風だけを教える。
人々が笑いながら人間としての全ての権利を放棄するように人生設計をする。
そのための洗脳機関は充分に用意がある。
つづく