【2つめのPOV】シリーズ 第6回 「しがみつく」 Part.5(No.0233)
パターンA〈ユスタシュの鏡〉
[side:D]
ジリジリジリジ
私は時間通りに鳴り始めた目覚ましを素早く止めた。
現在マルロクマルマル時。
この長く使っている古めかしい目覚まし時計は、今朝もきちんと努めを果たしてくれた。
頭にベルが付いて赤い塗料がぶ厚く塗られたこのドッシリと重いゼンマイ式目覚まし時計は、本日も私の期待に応えて問題なく努めを果たしてくれた。
まだまだ使える。
私は新しい物よりも、きちんと使える事が証明されている中古品の方を重用することを信条としている。
こいつにはもっと頑張ってもらうつもりだ。
私は目覚ましを置き、すぐに食事の準備にかかった。
冷蔵庫を開け昨夜から用意しておいた四角いアルミ製の飯盒を取り出した。
飯盒の中には既に白米と麦が水と一緒に入っている。
これもいつもどおりだ。
歩くとタプタプと中の水が揺れて零れそうになるのを意識しながら、狭い台所へ行き本来ガスコンロが置かれる場所に用意してあるアウトドア用の五徳の上に飯盒を置いた。
手が空くと今度はコンロ下の収納からポケットストーブとアルコールストーブ、消毒用エタノールのボトルを取り出した。
大きめのトランプカード束のような形のポケットストーブを真ん中から開き、上向きに空間の空いたコの字型に変形させる。次にオートバイのガソリンタンクの蓋みたいな形のアルコールストーブの中にボトルから水で薄めたエタノールを注ぎ入れ、ポケットストーブの中に置く。
五徳に置いた飯盒をポケットストーブの上に移し、マッチでアルコールランプに火をつける。
これでよし。
このまま飯盒は放っといて次にシャワーを浴びる。
シャワーを終えバスローブを羽織ると、アルコールランプの火は消え、飯盒の側面には新しい吹きこぼれ跡が出来ていた。
私はバスローブのまま手製のミトンを付けた手で飯盒を再度五徳へ移してランプ類を収納へ戻した。
そして同じ収納にしまってある、アウトドア用カトラリと裏地にタオルを当てた帆布製の袋、そして藤カゴにズラリと並んだレトルトパック類の中から本日は親子丼をひとつ取り出し、まとめて飯盒と一緒に袋の中へ入れた。
レトルトと一緒に入れる事で袋に遊びが無くなり飯盒は揺れず、飯盒内の米も自身の予熱で蒸しあがるしパックも温まるのだ。
続いて電気ケトルで湯を沸かし朝食の準備をする。今炊きあがった飯盒飯は昼飯用である。
玄関を開け今朝配られたばかりの牛乳を取り、冷蔵庫からはまんじゅうを2つ出して朝食を始める。
朝はいつもこれだ。
今時、宅配の牛乳を契約するのも珍しいかも知れない。しかも私のような貧乏な独身の男がだ。
だが新聞を取るより余程良い。契約している牛乳屋とは近所で親しくしているし、経営者も信頼できる男だ。
地元を守る為にも、今後も契約は続けるつもりだ。
牛乳なんて何処で買っても同じだと言うのなら、こうして購入しても問題は無い。
さっくり食べ終えると湧いたお湯でマグカップと水筒にお茶を入れる。水筒はいつも必ず2本用意する。ひとつは蓋がコップになる旧式のタイプ。こっちには熱いお茶を入れ、もうひとつのマグボトルタイプには冷蔵庫で冷やした水を入れる。
食後のお茶を飲み終えたらマグカップと牛乳瓶を流しで濯ぎ、逆さにしておく。
よし。
私は着替えると、飯盒を入れた袋と水筒を机に置いた。
読書や物書きに使うその机には、既にズラリと様々な物が並べてある。
これもまた、いつものことである。
私はいつも外出時に持っていく物はカバンに入れっぱなしにせず出して並べておく。
財布ヨシ、携帯ヨシ、タオルヨシ、歯磨きポーチヨシ、弁当ヨシ、水筒2本ヨシ、ICレコーダーヨシ、ボディカメラヨシ、リモコンヨシ、デジカメヨシ、ノイズキャンセリングイヤホンヨシ、COB型LEDライトヨシ、ウインドブレーカーヨシ。
指差し呼称を終えたあと、机の下に置いてある四角いリュックサックに仕舞う。
財布と携帯はズボンへ、ボディカメラは上から羽織ったジッパーを閉じたパーカーの腹のあたりに自分で縫い付けたポケットに装着した。
そのボディカメラのリモコンはキーホルダーのようにベルトループにカラビナで引っ掛ける。
うん。出来た。
準備完了。
これからいつもの平日通りにバイト先へ向かう。
キャップを被りリュックサックを背負うと、いつもながらその重さに物々しさを覚える。
バイトに行くだけなのに、これだけの重装備がはたして必要なのだろうか?
その気持ちが一瞬よぎるが、必要なのである。
残念ながら、今の私には、いや今の時代には必要なのだ。
必要になってしまったのだ。
かつてはそんな事はなかった。アルバイトへ行くだけなのにボディカメラまで取り付け、遠隔で素早く録画出来るようにリモコンをぶら下げて生活する必要なんか無かった。
だが今はそれが必要になってしまった。
数年前に起きたウイルス騒動から、こんな装備が必要な世界に変わってしまったのだ。
騒動が始まった当初から、私にはそれが大嘘であることが分かっていた。だがそれは別に特別なことではなくて普通にスマホで調べたり常識的に考えたりしただけだった。そしてそれは日を追うごとに、次々と誰の目にも明らかに嘘であるとしか判断出来ない情報が飛び込んでくるようになったのだ。
それは誰にでもすぐに実現可能な手段で入手できた。私はそれほどITに詳しくないしスマホも四六時中眺めていないが、それでも造作無く正しい情報が得られ、それをもとに答えも簡単に導き出せた。
明らかに政府はその騒動を拡大させようと煽っていたし、マスコミはそれを拡大させる大きな役割も積極的に果たしていた。
残念ながらこれもいつもどおりであった。100年近く前と全く代わり映えの無い光景である。
だから私は初めから一度たりとも、そのウイルス騒動に恐れを覚えたりはしなかった。ただただ呆れていたし、騒動に乗じている者たちに怒りを覚えていただけだった。
煽る者たちや騒動に乗っかって小銭を稼ごうと藻掻く連中を侮蔑の視線で睨んでいただけだった。
しかし、それに気を取られているがあまりに、大切なことに気づくのが遅れてしまったのは私の油断であった。
その大切なこととは、これが戦争であるという事実だ。
この騒動は世界規模で同時に巻き起こされたものだが、国や地域によって対応や振る舞いが違った。
考えれば可笑しな話で、同じウイルスでトラブルが発生しているのにどうして対応が変わるのか?
私は自分の周りの連中を睨みつけているうちに近視眼的になってしまっていたせいで、考えがそこまで及ぶのに時間がかかってしまったのだった。
政府が煽り、マスコミが乗じて、国や地域で態度が違う。
この状況はまさに戦争だった。
そしてそれに気づいた瞬間から、私の生活は今のように物々しい装備に変わったのだ。
身体に装備した様々な道具は、言わば兵器、武器である。
何しろ今は平時ではないから。
ここは戦場だから。
空手で生活することはありえない。
しかし実は、現在はそのウイルス騒動も収縮し沈静化しているのだ。
つまりこの戦争は、今はもう終わりに向かっている状況なのだ。
ウイルス騒動を煽りに煽った者たちが敗走し、責任を逃れ罪を擦り付け合う醜い振る舞いが誰の目にも触れられるようになり、本気で恐れていた弱い人たちも既に顔から汚らしい雑巾を剥ぎ取り出したのだ。
連日、政府自治体から各家庭のポストへ投函されるワクチン赤紙も、みんなただのゴミとして扱うようになり、心を動かすものはいなくなっていたのだ。
ただ、この数年間の騒動のなか、調べたり考えたりせずにマスコミによる情報工作作戦によって、無残にも自分たちの考えやこれまでの人生観や常識を破壊された被害者たちは少なくない数出てしまった。
その人たちは我先にと積極的に毒物を自分に、家族に、親に、そして子供に、果ては赤子にまで打ち込んでしまったのだ。
その人たちはもうそれから何年も経っているが現在もベッドで苦しんでいる。その毒に耐えきれない身体の人は既に死んでしまった。
この人たちは毒物で殺された。
だけど本当はそうではない。
彼らはこの戦争の敵国である『上級国民軍』による ”無差別情報絨毯爆撃” によって思考と情感を爆殺され、それが命を奪ったのだ。
正しい思考と情感を破壊される事で、人は誤った行動を起こすようになる。
嘘、偽り、デタラメ…
それが人を過ちへと進ませ、そして自ら滅びに向かうのだ。
この戦争に宣戦布告は無い。
いやすでに何度と無くされてきたと言っても良い。
それもいちいち粒立てすることが出来ないほどの回数である。
この戦争は『上級国民軍』対『下級国民軍』による世界全面戦争である。
でも考えてみれば、それもまた別に珍しいものではない。いつの戦争だってそうなのだから。一見、国対国や人種対人種のように見える戦争だって、そのように教えられた歴史だって、上の組織や人間同士は繋がっているのだから結局はどの戦争も今回と同じ構図なのだ。
何も変わっていない。大昔と何も。
そう思える。
いやそう思えたのだ。
それは私達『下級国民軍』もだが、敵国の『上級国民軍』もそう思っていたのだ。
だが、それが間違いだった。大きな間違いだったのだ。
これは敵国にとっては痛い事実だ。だから彼らは気づけなかった。
誰でも自分の痛い部分には目をつぶるようにする。だから気づくことが出来ないが、他人にとってはその部分が嫌と言うほど目に着く。
この戦争はこれまでとは全く違った。
我々『下級国民軍』には、これまでの時代では絶対に得られなかった最大最高の『武器』がタダ同然で与えられていたのだ。
私はそれを得た。
この戦争が始まる前から貰っていた。
だから開戦しても動じることはなかった。気づくのに遅れたのは失態だったが、なにぶん宣戦布告と受け取れるものが世の中に溢れすぎていて目移りするほどだったので、いつ火蓋を切ったのかと言われてもなかなか線引きが難しかったのだ。
開戦の前から私の生活は今のようになっていた。生活はシンプルで自炊中心になった。
シャンプー、洗剤、歯磨き粉などの消耗品の類もほぼ購入しなくなり、クエン酸や重曹、粗塩、にがり、マグネシウムペレットなどを常備し、必要な品を自作するようになった。
日々、外へ出歩く際に、それが近所であっても重装備で移動するようにもなった。当然である。一見外は何気ない日常に見えるが、そこはいつでも戦場なのだから。
ガチャガチャと様々な道具が歩くたびに両肩に存在を主張する。その多くの機能がスマホ一台で成立するものばかりだ。だから多くの人はそのようなことをせずスマホだけを持ち歩く。それはそれで素晴らしいことである。これもまた過去の戦争とは全く違う『我々』の強力な武器である。現代だけが使える武器である。
しかし同時に昔から「餅は餅屋」という。案外私はこの言葉を重く受け止めていたのだ。それは自分でも気づけなかったことだった。
なかなかに古臭い格言だが、いざこの戦争の存在に気づき、自分たちの周りが完全に "戦場" であることを認めたときに、このカビの生えた言葉に行き着いた。
何かを兼ねた物はとても便利だ。スマホはあらゆる機能を兼ね備えた万能の道具だ。それは素晴らしいし私も大いに利用している。
だがこの世界にはルールがある。
それは「単純なものほど壊れにくい」というルールである。
ものは複数の部品から出来ているが、その部品が少なければ少ないほどに壊れにくい。
これはあくまで原則なので複雑であっても頑健なものは存在する。それは確かだが、この原則を基準にすると悩むこと無くすぐに判断が出来る。
そして機能がまとまったものはあくまでそれ一つであるが、バラバラの機能をそれぞれもったものはその数だけ存在する。
つまりはスマホを一つ無くしただけ、壊しただけで全てを失うが、デジカメやICレコーダーやLEDライトや小銭や札やカード類や鍵をバラバラに持っていれば、たとえそのうちの一つを失っても他は問題ない。
何でもそうだが一つにまとめるというのは危険なのだ。
それに、基本的にまとめられたものは使い辛い。
本当に信頼してその機能を使おうとすると、やはりそれぞれ単体の機能を持ったもののほうが圧倒的に使いやすく信頼出来る。
繰り返すが現在は平時ではない。戦時だ。
ならばどういう判断をすればいいかは明白で、当然扱いやすく信頼が出来、そして破損や紛失も警戒した状態が望ましいのだ。
準備は済んだ。ではこれから移動を行う。
私は玄関で靴を履き、目の前にあるドアと向き合った。
「ではこれより戦闘開始。 今から一切の油断を禁ずる。 正義を信じ恐れを抱かず戦い抜き、本日も無事に帰宅できることを祈る。」
開戦以来、この瞬間に覚悟を決めることが習慣になった。
ガチャリ
part.6 につづく
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