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コザにて、THE WALTZを聴く。

THE WALTZ 37th Anniversary Live。
昨年11月にローリーに相談を受けて実現した。
ローリーとやる仕事は、彼の意思に基づくことがほとんどで、自分から持ちかけたことはほぼない。それはアルバム一枚作ることにしてもそう。彼の1枚目のソロアルバム「永遠の詩」のときも、雑談からそういう話になったのだった。

昨夜のライブは、オープニング・アクトでThe crybaby'sが出演してくれた。それぞれに歳を重ねて、病気を経験したメンバーもいるのに、ちょっと心配になるぐらいにエネルギッシュな演奏で驚かされた。時代は一回りして、彼らの音楽は改めて新しい音として響いてきた。今後もパーマネントに活動できればいいなと思う。

THE WALTZ。5年ぶりのライブだと、ローリーがMCで話していたが、バンドの演奏ぶりはこの上なく充実していた。演奏を通してステージ上で交わされている”会話”を見て /  聴いて、とても楽しく感じられた。それぞれの楽曲が普遍性を持っていて古びることがなく、極めて現代的なメッセージを放っていることが印象深かった。「Woo-Too-Too」とか「あきれかえる世界」で綴られた言葉はボディブローのように今も効いている。コザを舞台に描かれた数々の名曲たち。混血児のシンディーやスケコマシのジミー、嘘つきジェリーといった登場人物たちは、この金曜日の夜、姿を変えて会場の外のゲート通りのどこかのバーにいるはずだ。コザで聴くTHE WALTZの音楽は、そんなマジックを簡単にかけてしまう。ローリーの実父である故普久原恒勇氏作曲の「芭蕉布」のR&Bバージョンや「マブヤー」など、ウチナー・オリエンティッドの楽曲は、会場全体の温度がグッと持ち上がるような、地元ならではの反応。(「HABU!」や「ウーマクカマデー」も聴きたかった)最終盤、「あきれかえる世界」、「沖縄ロックンロール」、「週末はA&Wで」という流れは実に圧巻。会場全体が熱狂と不思議な多幸感に包まれていった。
演奏されたのはアンコールの2曲を含めて全23曲。繰り出される作品の多彩さに、改めてローリーの音楽的なインプットの量の多さと質の高さを感じた。

それにしても、37年という時間は長い。終演後、ロビーでの古い知人たちとの話。あまりに素晴らしいライブを目の当たりにして、出てきたのは「反省」という言葉だった。それは、37年も続く、この素晴らしいバンドを、より広く紹介することができないでいたことに対してのある種のもどかしさでもあった。
チャンスは幾度となくあったのだが、ローリーはそこに乗っかることを良しとしなかった。残念な思いもなくはないが、そのことは正解だったのだと思いたい。

Sax奏者の山田祥包さんは、デザイナーとして付き合ってきたので、彼がThe crybaby'sのメンバーだったということを今回初めて知った。1998年12月、「永遠の詩」をリリースした時、ジャケット周りのデザインをお願いしたのが彼だった。
「永遠の詩」は、1970年のコザ暴動から、1995年に起きた少女暴行事件まで四半世紀にわたる沖縄の風景や時代の気分を綴ったアルバムだ。政治的な主義主張があるわけではなく、時と共に流れていく沖縄の風景の中に、新しい世代への希望や願いが織り込まれている。ローリー自身は「コンセプトアルバム」と話していた。1000枚をプレスしたアルバムはすべて売り切れてしまった。
昨夜、打ち上げの席で、山田さんに、あの時のデザインデータが残っているのか尋ねると、今朝「MOデータで残っていた」と連絡があった。
「永遠の詩」のリリースからいつの間にか25年。今改めて聴かれるべき作品だと強く思う。

ローリー「永遠の詩」(1998)
01:最後の奇跡
02:OVER THE RIVER
03:少年と犬~MY LITTLE TOWN
04:初恋
05:おばぁーの琉夏
06:TOO-TOO-MAY
07:HAPPY GUITAR
08:CHRISTMAS TRAIN
09:雨上がりのパブリカ
10:1991…夏
11:EPILOGUE: SLEEPING HEART IN THE DEEP MOON~永遠の詩


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