45年前のさだまさし、34年前のU2。
(カバー写真は2015年10月26日、ロンドン02アリーナでの、”eEXPERIENCE + iNNOCENCE Tour。客をステージに上げて、スマホで撮影させた映像が巨大なビジョンに映し出されるという演出)
最初に”コンサート”というものに足を運んだのは、さだまさしさんの公演だった。1978年7月20日、45年前の13歳の夏休み初日の佐世保市民会館。生命保険会社に勤めていた叔母からチケットが回ってきて、カワクボ君と2人で出かけた。さださんはグレープ時代から長崎では有名だったが、「雨やどり」がヒットして、地元長崎ではカリスマ的な人気だった。
ライブの前に「帰去来」や「風見鶏」などのLPを聴き込んで”予習”もしていて、しゃべりも達者だし、ものすごく楽しめた記憶がある。マリンバを叩いていた宅間久善さんの演奏が印象的だった。学校の音楽室にあるような木琴をあんなに激しく、正確に演奏できることが信じられなかった。この夜、”アンコール”というものの存在を知らずに、アンコールの拍手が鳴る中立ち上がったのは、今では懐かしい思い出だ。
あれから、いくつも印象的なライブがあるのだが、1989年12月1日に大阪城ホールで聴いたU2のライブもその一つだ。
”Joshua Tree"が売れて、B.B.Kingをフィーチャーしたアルバム”Rattle and Hum"を出した直後の世界ツアーで、B.B.Kingのバンドが前座的に演奏するという贅沢なものだった。
11月28日のライブのアリーナ席のチケットを友人のチャキが取ってくれて何人かの友人たちと見に行った。私は別の友人の結婚式が京都であったタイミングで大阪にいたのだ。海外の人気アーティストのコンサートを聴くのはそれが初めてで、恐ろしいほど鮮烈で、気持ちを揺さぶられてしまったのだ。一旦沖縄に帰ったものの、衝動的に飛行機のチケットを手に入れて12月1日の大阪公演に出かけたのだ。すごい行動力ということではなく、気持ちを抑えられなかったのだと思う。
12月1日のチケットは持ってなくて当日券売り場に並んでいたら、1枚余ったからと、上手側のスタンド席の券を若い男性が定価で譲ってくれた。曇り空の寒い日だった。
B.B.Kingバンドの演奏が終わり、古いロックのスタンダードばかりが流れる客入れBGMが続いた後、ジョン・レノンの"Stand by Me"が流れると、客席は大合唱。客電がまだ点いている中、メンバーがステージ上に現れてそのまま”Stand by Me"の演奏を始めるという興奮のオープニング。そこから”Pride (in the Name of Love)”〜”I Still Haven't Found What I'm Looking For”という流れは素晴らしかった。ところが(後から知ったことだが)客席でトラブルがあったらしく、そのことをボノがステージからMCでたしなめるという場面もあった。"Angel of Harlem"を12月に聴く高揚感とか、B.B.Kingが加わっての”When Love Comes To The Town"の力強さとか、カーティス。メイフィールドの”People Get Ready"、ザ・ビートルズの”HELP"、ボブ・ディランの”All Along The Watch Tower"といった、ロック・クラシックのカバーの数々。そして、"All I Want Is You"の美しさとか…。
数日前に、あの夜の音源がブート盤でもいいからないものだろうかと、ふと思い立ってYouTubeを検索していると、まさかと思ったがフルの音源が上がっていた。音源には、ジョン・レノンの"Stand by Me"にかぶさるように始まる演奏や、”I Still Haven't Found What I'm Looking For”の演奏の後に客を嗜めるように話すMCで、客席でトラブルが会ったことがわかる。
この後、U2はバンドが大きくなるにつれて、ド派手なセットを組んだステージばかりになっていくのだが、音楽が真ん中にあって、派手な演出もないあの夜の大阪のステージは、それだけで音楽の力強さを感じられる印象的なものだった。なにしろ34年経っても、昨日のことのように覚えているのだ。