禍話リライト「袋女」
大学の友達の家に遊びに行った時の話だ。
後輩と一緒にお邪魔して、家主と同棲中の彼女さんも交えて酒を飲んだ。
あれこれと強い酒を出されて、飲んで、酔っ払って。家主と彼女のキスを見せつけられたりしつつも楽しい時間は過ぎていき、やがてお開きとなった。
後輩と別れて帰宅すると、アパートのゴミ捨て場にひとつだけ、ぱんぱんに膨らんだ大きな袋があった。曜日を間違えたんだろうな、と思いながら俺は収集日程の表を見る。朝になっても回収されないじゃないか。
ダメじゃん、と蹴飛ばした袋は思いのほかやわらかい。びっくりしたけどだからどうってこともなくて、俺はそのまま部屋に戻って寝た。
ひどく酔っていたせいか眠りが浅く、目が覚めたのは明け方だった。
……頭が痛い。
……酒のせいだ。
……薬を飲もうか。
布団の上に起き上がって薬箱を置いている方向を見たら、玄関が目に入った。
玄関に大きなゴミ袋がある。
あー、もうすぐ回収だからな。
ゴミをまとめて置いといたんだよな――いやいや待て待て。
ゆうべ帰ってきたときにあんなのあったか? 無いよな?
ゴミをまとめておくとしても、俺は玄関には置かない。ベランダだ。
明け方の室内は薄暗い。徐々に目が慣れてくると、なんだかあの袋のなかに誰か入っているような気がしてきた。体が軟らかい人なら入れそうな大きさではある。誰か、ドッキリみたいな感じで入ってたりして。でも帰ってきたときにチェーンを掛けたしな……。そこはちゃんと記憶がある。
寝起きの頭は何も結論を出せずにぐるぐる同じところを回る。
人が入ってるなんて目の錯覚だ。
いや俺あんなところにゴミ袋置かないし。
ていうかあれやっぱ人だよな?
俺は布団の上で枕を抱きしめゴミ袋を凝視する。
髪の長い人が入ってるようにしか、見えねえなあ……。
なんでだ、と思ったそのとき、何の前触れもなくゴミ袋から人が立ち上がった。
ガサガサガサと鳴る音を掻き分けスッと立ち上がったのは、髪の長い女性だった。
部屋着っぽいジャージ姿で、その辺にいそうな雰囲気。知らない人だ。
ゴミ袋から生まれた知らない女性は、玄関に立ったまま、何も言わない。ただ立っている。
俺も、何も言えない。ただ女性を見ている。
お互い黙ったまま一分くらい経っただろうか。
「……あの」
俺のほうから声をかけてみた。
それに応えてか、女性が口を開けて何か言った。
けれどよく聞こえない。声を発しているようだが、水中で叫んでいるみたいに不明瞭だ。何度も何度も繰り返し、同じことを言っているみたいだった。
語尾が上がっている? 質問なのかな?
聞き取ろうと耳を澄ませているうちに、だんだんわかってきた。
「やる?」
「やる?」
女性はそう繰り返しているのだ。
やるって何を? わからない。
わからないけど、俺は、お前もゴミ袋に入るか、って訊かれているような気がした。
「やる?」
「やる?」
女性は玄関に立ったまま繰り返している。
逃げられない、どうすればいい――警察だ。警察を呼ぼう!
今から呼んだところで既に事件は玄関先で起きてしまっているんだが、俺は縋る思いで枕元をまさぐった。
ガサガサガサ。
そこにあるはずの携帯電話の代わりに、ゴミ袋を掴んだ。
こんな大きいの、買った覚えが無い。
空っぽのゴミ袋。
あ、用意されてる――。
「やる?」
女性の声が一段と大きく嬉しそうになり、俺は気を失った。
次に目が覚めると、俺は後輩の家にいた。友達カップルの家で一緒に飲んだ奴だ。
後輩によれば、俺は突然押しかけて転がり込んだらしい。
「先輩、ヤベー女がいるって言ってたけど何すか? 飲み会で見せつけられたからって元カノとか呼んでヤバいことになったんじゃないっすか〜?」
俺は事情を説明し、後輩と、後輩がビビって呼んだ人と、三人で自宅に戻った。
女性はいなくなっていた。
ゴミ袋もなくなっていた。
玄関にも枕元にも、何も無い。
「……先輩寝ぼけてません?」
「いや……いや絶対いたんだよ、幻覚じゃねえよ」
「そりゃそうでしょうね。オレは信じますよ」
後輩が連れてきた人が言う。
「化粧の匂いがします。家のなか、玄関が特に」
言われて初めて気が付いた。
「確かに、誰かいたんでしょうね」
「……マジか……」
それから外に出てゴミ捨て場も確認したが、やはり何も無い。
大の男が三人もウロウロしていたせいか、その辺を掃除していたお婆さんに声を掛けられた。昨日ここにあったゴミ袋を蹴っちゃって、今日は無いからおかしいなと思って、なんて細部をぼかした説明をすると
「そこの、後ろのアパート。女の子専用なんだ」
と、お婆さんが語りだした。
入居者が女性限定のアパートで、近くの大学に通う女子学生が多く住んでいるそうだ。男性を招いてはいけないルールだが、彼氏なんか出来たら部屋に呼びたくもなるだろう。それについては黙認するような雰囲気があるそうだ。
「別れ話が拗れちゃって手首を切るような騒ぎもあったんだよ。命は助かったんだけどさ。覚えてるよ。友達が来てねえ、後始末したティッシュだのタオルだの捨てて。見た目がアレだからね、外から見えないように捨ててみたいなこと、アタシ言ってねえ」
女性は引っ越したそうだ。それ以来、翌日は回収が無いはずの夜に、大型のゴミ袋に入った何かが置かれていることがあると言う。
「……そうなんですか……」
「まー死んでないはずなんだけどねえ、アタシはそう聞いてるんだけど」
蹴飛ばしたゴミ袋と、玄関に現れたゴミ袋と、ジャージ姿の女性と。どう繋がるのか、繋がりがあるのかどうかもわからない。
ただ、あれから俺は「やる?」と訊かれるたびに妙な緊張が走るようになってしまった。遊びに誘われるようななんてことない場面でも、だ。嬉しそうに訊かれると、いっそう嫌な気持ちになる。
※「ザ・禍話 第二十三夜 病み上がりスペシャル」より
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